【Case1】1.「気づいてない」ってことに気づくのが、一番の難関 (5)
「……いや。別にそんな、平気じゃね?」
俺はちょっと焦って、翠の表情をうかがう。
目の前の一人掛けソファの上で両手を組み、肩を落としている翠。
(やべー。いじりすぎたかも)
冗談の通じないとこあるからなー、こいつ。
翠の言った瀬場さんとは、翠の父親である新堂さんの、住み込みの秘書をしているおじさんのことだ。
およそ十六年前、真山グループの顧問弁護士をしていた新堂さん(当時は違う名前だったらしい)は、わけあって真山家に捕らえられていた三歳になったばかりの翠を連れて、海外に逃亡した。瀬場さんもそれに同行している。
翠の母親と真山家との連絡係をしていた新堂さんは、いつしか翠や母親の成海碧に強い思い入れを持つようになっていたそうだ。
本当はもちろん、翠とは別の場所に閉じ込められていた母親も助け出したかったんだけど、とある理由から真山家に命を狙われていた翠を逃がすのが精一杯で、母親の居場所を探す時間はなかったらしい。
国外脱出時に自分と翠の新たな戸籍を入手した新堂さんは、その後は翠の父親として、外国を転々としながら翠を育ててきた。今の活動拠点はシアトルで、ここ東京にはたまにしか帰ってこない。
「……普通に、意思疎通できてるし。そんな気にすんな」
俺はソファから立ち上がると、しょんぼりしてしまった翠の頭にぽんと手を乗せた。
真山家の追跡から逃れるため、他人と極力関わりをもたずに育った翠は、海外育ちの割にこういうスキンシップに慣れていない。中高とラグビー部副部長で、仲間ともみくちゃになって過ごすのが日常だった俺とは真逆だ。
そうはいっても、一緒に暮らすうちに、俺のこういうのにもだいぶ慣れて……。
「――!」
俺の手が触れた瞬間、翠の全身が硬直したのがわかった。
ただでさえ大きな目を、無言で俯いたままさらに見開く翠に、
(……あー。はいはい)
俺はそろりと手を引っ込める。
なかなか安定しねーなー、こいつとの距離感。
「ねーねー」
そんな俺らの空気をまるで気にせず、ミーコがソファから翠を見上げた。
「そういえば、ブルーの次の作戦は? 翠君」
あいかわらず、怪盗ブルーにノリノリの野良JKに、
「……うん。考えているところ」
顔を上げた翠が、ふんわりと微笑む。
「……」
俺は無言でふたりから目をそらした。
この夏、俺が警察に捕まりかけて以来、翠はミーコや俺をブルーの活動に巻き込むのを避けている節がある。
……本音を言えば、俺はどっちでもいい。翠がブルーを続けようが、やめようが。
この前、警官二人に追い詰められたときは確かに危なかったけど、あれはちょっと特殊な事情があったせいだ。抜群の頭脳と謎のネットワークを持つ翠に、俺は今も全幅の信頼を寄せている。
こいつが「怪盗」なんてやってるのは、派手な演出でマスコミの注意を惹き、敵――真山家にダメージを与えようとしているからであって、それ以外の人に被害を及ぼすつもりはないっていうのも大きい。
真山グループを揺さぶり、グループ総裁・真山晴臣から自分たち母子がされたことを世間に公表するっていうこいつの目的のためなら、俺はできるだけ協力するつもりでいる。
けど、翠が考えを変えて、金輪際怪盗ブルーはやめるっていうなら、それはそれで賛成だ。やっぱ、警察に追われる身(まだ身バレはしてないけど)っていうのは、ごく普通の学生である俺には相当なプレッシャーだし。
どっちにしろ、俺はこいつの決めたことに従うつもり。無責任に聞こえるかもしれないけど。
「もー、翠君いっつもそう言うじゃん。ほんとにやる気あんのー?」
「……はは、もちろんだよ」
じっとりとミーコのデカ目に見据えられて、笑顔のまま動けなくなっている翠に、
「……そろそろ、昼メシ行く?」
仕方なく、俺は助け舟を出した。