【Case4】4.たまに出すデレしか勝たん (4)
「――翠」
何度目かの呼びかけに、ようやくそれが自分の名前だと気づき、翠は振り向いた。
一人掛けソファのそばに、あきれたような顔の父――新堂が立っている。
開いた窓から入るさらりとした風が、近代的な家具の間を通り抜けていく。緯度の高いシアトルは、八月でも過ごしやすい。
高所得層向けマンションのリビングで、朝食後にひとり、父の古い蔵書を読み返していたつもりだったが、いつのまにか考えごとをしていたらしい。
「すみません。ちょっと、ぼんやりしていて」
苦笑した翠に、
「考えごとかな」
笑みを含んだ声で言うと、新堂は杖を器用に使って、翠の席と直角に置かれた同じ一人掛けのソファに腰掛けた。
ワーカホリックの彼も、珍しく今日はのんびりするつもりらしい。
「ずっと、そんな調子だな。こちらに戻ってから」
新堂の言葉に、
「すみません」
翠が顔を赤らめた。
「恒星君たちのことだね?」
顔をのぞきこまれて、
「はい」
うなずいて目を伏せる。
恒星とミーコに黙って東京の家から出てきて以来、後悔と、やはりこれでよかったのだという思いとが、波のように交互に翠の胸の内に押し寄せて、思考を乱していた。
(――間違ってる。こんな風に感じるのは)
ふたりから離れたことへの後悔がこみ上げる度、翠は自分に言い聞かせる。
自分はひとりだ。これまでも、そしてこれからも、ずっと。あの三人で暮らした日々が、イレギュラーだっただけなのだ。
……わかっているのに、どうしてこんな気持ちになるのか。自分の感情を扱いかねて、翠は途方に暮れる。
今ごろ、あのふたりはどうしているだろう。
きっと、ひどく怒っているだろうな。勝手に出ていった俺のことを。
新しい家が、早くみつかるといいけど。
そう思う一方で、ふたりのいなくなったあの家を想像すると、自分が言い出したことなのに、胸に重いものがのしかかってくるような気持ちになる。
(――なにを、甘えたことを)
感傷を振り切ろうと、翠はそっとかぶりを振る。
恒星が警察に捕まりかけたあのとき、十分すぎるほど理解したはずだ。自分の人生に、これ以上誰かを巻き込んではならないことを。それが――。
「翠」
新堂にまた呼ばれて、はっとした。
どうかしてる。父さんの前で、俺は何を。
「連絡を絶っているのか? 恒星君たちと」
「ええ」
翠は深くうなずく。
当然だ。父に言われるまでもない。
自分のような人間はもう、かかわりを持つべきではないのだ。あんな、罪のない人たちと。
俯く翠に、
「そうか。それは寂しいだろうな。……恒星君も、ミーコちゃんも」
新堂がためいきをついた。
(――え?)
予想もしなかった父の言葉に、俯いた翠の端正な顔がこわばる。
「翠?」
黙り込んだ息子に、新堂が不思議そうに声を掛けた。
「……そんなわけ……」
顔を伏せたままつぶやく翠に、新堂が軽く首を傾げる。
「どうかしたのか? 翠」
突然、勢いよく翠が顔を上げた。
「そんなわけない!」
翠が新堂に、大きくかぶりを振る。
「あのふたりが、そんな」
迷惑ばかりかけた。最初から、ずっと。
家庭の事情はあるにせよ、あのふたりはちゃんと、日の当たる場所で生きていける人たちだ。怪盗ブルーなんてものに巻き込まれなければ、もっと安全で平和な毎日を送っていたはず。
勝手に巻き込んだ挙句、最後は黙って出てきてしまった。そんな俺にあきれて、ひどく怒ってはいるだろうけれど。
寂しいだなんて。あのふたりがそんなこと、思うわけが。
「……なぜ、そう思う?」
膝の上で手を組んだ新堂が、翠の顔を見上げて苦笑した。
「相談もなく、仲間が姿を消したんだ。ふたりとも、さぞかしショックを受けたことだろう」
「それは、そうでしょうけど」
かたくなな口調でこたえた翠に、
「翠」
新堂が柔らかな声をかけた。