【Case4】3.男のスーツは胸で着る説 (9)
およそ三週間後。
「ねえ警部。本当にやるんすかね? ブルー」
外来棟正面玄関そば、植え込みの陰で張り込む田崎警部に、背後から間延びした声で部下が話しかけた。
「そもそも、本物っすかねー。あの予告状」
「……わからん」
低い声で警部がこたえる。
八月三日金曜日、午後六時十五分。
日中よりいくらか涼しくなったが、日はまだ落ち切っていない。予告状にあった犯行時刻まで、あと三十分だ。
予定通り終日休診となった外来棟だったが、怪盗ブルーの襲撃に気づきやすいよう、建物内の電気はつけられており、各フロアには警官たちが詰めている。田崎警部たちのいる場所からも、明るい受付カウンターが見えた。
「だが、あいつはやる。私の、ベテラン刑事としての勘がそう言っておる」
謎の確信に満ちた警部の声に、
「もー、勘弁してくださいよ警部ー」
若い部下がうんざりした声を出す。
――それから、さらに三十分後。
「……時間っすよ」
「しっ」
引き続き緊張感のない部下を警部がたしなめた、次の瞬間、
「あ! 警部、あれ!」
ふたりの目の前で、人気のない受付天井の蛍光灯が突然瞬いたかと思うと、数秒の間にすべて消えた。
ベンチの並んだ広い受付とカウンターが、日没直後の薄青い空気に沈む。
『一階総合受付の蛍光灯が、すべてダウン!』
『他の階の被害状況は?』
途端に騒がしくなった無線を聴きながら、
「走れ!」
周囲に目を配りつつ、ふたりは正面玄関に駆け込んだ。
「……寿命ですね。LEDライトの」
警察の要請により大学の研究室から駆けつけた、若手准教授の第一声に、
「……は?」
田崎警部が、間の抜けた声を出した。
外来棟会議室の床に敷かれた青いビニールシートと、その上に山積みされた一階受付の天井の蛍光灯。
シートの前にしゃがんでいた三十代くらいに見える男性が、疲れたように頭を左右に振った。ひとつに結んだ長い髪が、細い背中でしっぽのように跳ねる。
男性は眼鏡を直すと、膝に手をついて立ち上がった。
「寿命ですよ。これ全部」
山と積まれた蛍光灯を指して、うんざりした顔で彼が言うと、後ろに控える作業を手伝った学生たちも揃ってうなずく。
「馬鹿な。受付の蛍光灯すべてが、犯行予告にあった時間通りに一斉に切れるなど」
つかみかかりそうな勢いで言う警部に、
「その馬鹿な事態が起こったんでしょうよ。一本残らず調べさせていただきましたけど、すべて異常なし。工作の跡もなし」
男性が、手袋を外した手をぱんぱんと叩いた。
「他の階では、何もなかったんですよね。じゃ、僕の出番は終わりってことで」
そう言うと、若手研究者は若者たちを連れて風のように姿を消した。
「……そんなことって、ありますー?」
残された捜査員たちの気持ちを代弁するように、田崎警部の部下が、誰にともなくつぶやいた。
「お疲れ様でした」
本庁に戻った田崎警部に、部屋のあちこちから同僚たちが声を掛けた。
真山総合病院での張り込みが空振りに終わったことは、既に知られている。
「……ああ」
浮かない顔でこたえる警部の後ろで、
「マジお疲れっすよねー。無駄の極みっすよねー」
つまらなそうな顔で若い部下がぼやいた。
「そう言うな。刑事の仕事なんて、無駄でできてるようなもんだ」
たしなめながら席に着いた警部に、
「はいはい。あれっすよね、田崎さんの好きなやつ。『刑事の仕事は、九十九パーセントの無駄と、一パーセントの幸運でできている』っていう」
口の減らない部下が言い返す。
「てかそれ、なんか似たようなの聞いたことあるんすけど。誰か偉い人のパクリじゃないっすか?」
「知らん。気のせいだ」
「えー? あ、わかった、エジソンとか?」
「オマージュだ」