【Case4】3.男のスーツは胸で着る説 (8)
同じころ、同じ外来棟の六階にある第一会議室では、病院の経営陣と主な部門の長が、警察関係者とテーブルを囲んでいた。
議題はもちろん、昨日予告状の届いだ怪盗ブルーへの対応。具体的には、真山側が希望している報道規制についての方針決定だ。
「この予告状にある、外来棟の電力を盗まれるというのが、いかなる状況を指すかにつきましては、正直こちらではわかりかねますが」
――『八月三日午後六時四十五分、真山総合病院外来棟の電力を少々頂戴します。 ――怪盗ブルー』
ブルーからの予告状のコピーを手に、事務部門の担当者が慎重に口を開いた。
「当院には、外来棟・入院棟それぞれに、独立した予備電源がございます。予告状にあった八月三日当日は外来棟のすべての科を休診とし、あわせて、たとえ何らかの方法で通常の送電が行われない事態になったとしても、送電再開まで予備電源を使うということにすれば、対応は十分可能ではないかと。もちろん、警察の皆さんによる捜査と警備があった上での話ですが」
「そうは言われましても、これはれっきとした犯行予告なわけでして。マスコミに一切説明しないというのは、なんとも」
テーブルの反対側に座った田崎警部が、苦り切った顔で言う。
「ですが、実際の犯行を防ぐにあたっては、警察の方で可能な限り対処してくださるわけですよね?」
担当者が食い下がった。
「当院といたしましては、患者様や周辺住民の皆様への影響を考えると、むやみに騒ぎたてるようなことは避けるべきかと」
「いや、むやみに騒ぎ立てるというわけではありません。具体的な内容はまだ明らかではありませんが、とにかく、怪盗ブルーからこちらの病院に対して犯行予告があった。それを報道で広く社会に知らしめ、卑劣な犯罪を防止するべく」
胸をそらして言いかけた警部に、
「その、犯罪というのがよくわからんのですよ」
別の職員が声をあげた。
「電力を盗むって、つまり盗電ですよね。あるいは停電? なんでわざわざ、うちみたいな病院から」
「この『少々頂戴します』の、『少々』っていうのが気になるんだよなあ」
「ピンポイントでうちの外来棟だけ停電させるなら、送電障害じゃなくて院内ネットワークをいじるのかも」
「サイバー犯罪なら、専門家マターじゃ」
職員たちからあがる、どこか他人事のような発言に、警察関係者たちがうんざりした表情になる。
病院のブランドイメージを守るため、病院側には既に真山グループ本体から、この件を表沙汰にしないよう指示が出されている。病院の予算と人事を握る本体側の決定は、病院スタッフにとって絶対だ。
加えて、警察の担当者たちにも、真山本体とつながりの深い上層部から、本件については真山側の決定に従うべしという意向が伝えられていた。
田崎警部をはじめとする現場の警官が、いくら病院側を説得したところで、会議の結論はやる前から決まっている。
「私からも、よろしいですかな」
そこで、それまで黙っていた副院長が声をあげた。
「まずは警察の皆さん。お仕事ご苦労様です」
恰幅のいい副院長が、鷹揚に警察側参加者の顔を見回す。
「先ほど事務方からも説明しました通り、無用に患者様方を不安がらせるのは避けたいというのが、当院の基本的なスタンスです。そのため、犯行予告のあった午後六時四十五分というのは、通常なら外来受付もとうに終わって、ほとんどの患者様が帰られている時間ではありますが、慎重を期して、あえて全日休診とすることにいたしました。こちらとしてはこれで、外来患者様および当院スタッフの安全は、十分守られると判断しております」
副院長が机に置かれたペットボトルの蓋を開け、水を一口含む。
「隣の入院棟については、もともと予告状では一切触れられていないわけですから、被害は想定されませんところ、患者様方へのご説明も必要ないと判断しております。すべて、患者様に余計な心配をおかけしないようにという配慮に基づいた判断です。したがって、既にお伝えしました通り、円滑な治療の妨げとなりかねないマスコミへの発表は、避けていただければと」
「しかし……」
言いかけた田崎警部を遮るように、
「ご存じかと思いますが」
ナース服に身を包んだ看護部長が口を開いた。
独特の威圧感に、ざわついていた病院スタッフたちも静まり返る。
「現在入院中の患者様方は、お名前は出せませんが、わが国の各界を代表する方々です。長年、当院を信頼して心身をお預けくださっている皆様を、いたずらにお騒がせするのは避けたいと、わたくしどもスタッフ一同、強く思っております」
看護部長が首からさげた眼鏡をかけ、手元の資料に目をやった。
「こちらで調べましたところ、警察では、前回・前々回の怪盗ブルーとやらによるメッセージに対して、特段の対応はなさらなかったそうですね? そもそも、ここ二回の相手については、真山第一美術館で宝石を奪ったのと同一人物なのかどうか、それすらはっきりしていないとか」
「そちらについては、被害がごく限られたものであったという事情もありまして」
こたえかけた田崎警部に、
「被害が軽微なら、結構ではありませんか。当院につきましても、外来棟が一時的に停電したところで予備電源で十分対応可能だと、先ほどから申し上げております」
ぴしゃりと看護部長が言った。
「被害といえばむしろ、世の中を無用に騒がせる方が心配です。たとえば、の話ですが、入院棟の皆様からの信頼を損ねるような事態になった場合。警察の方で、当院への信頼を回復していただけるとでも?」
無論、マスコミや野次馬を避けてよその病院へ移ったⅤIP患者を取り戻すすべなど、警察にあるはずがない。
「本件に関するマスコミの報道は、すべて禁止。患者様方へのご説明も、院内点検という方向のみで。……よろしいですね?」
ふっくらした顔に柔和な笑みを浮かべつつ、目の奥がまるで笑っていない看護部長の言葉に、田崎警部をはじめとする警察関係者は黙ってうなずくしかなかった。