【Case4】3.男のスーツは胸で着る説 (7)
翠の淹れる紅茶だって、全然うまいけどな。俺には。
そう思いながらカップに口をつけて、
(……うっめー!)
鼻を抜ける圧倒的な香りとコク。奥二重の自分の目が、まんまるくなったのがわかった。
ふと前を見ると、向かいに座る翠が自慢げにこちらを見ている。
「おいしいだろ? 瀬場さんのお茶」
「……なんか、ずっと飲んでられる」
「あはは!」
翠の邪気のない笑顔が全開になった。
眉間の力が抜け、目尻がこめかみからはみ出るんじゃないかってくらいふにゃりと溶ける。左右対称に引き上げられた唇からのぞく、きれいな白い歯並び。……だからヤバいんだって。その顔は。
セバさんが、糸目をさらに細めた。
「翠様も、すっかり日本語が流暢になられて」
(うわ、珍し)
セバさんが自分から口を開くところを一日に二度も目撃して、俺はひそかにテンションが上がる。
「どういうこと?」
セバさんの言葉に不思議そうな顔をするミーコに、
「ああ。トリリンガルなのよ、こいつ」
俺は簡単に説明した。
高校のころ聞いた。アメリカ・イギリス・スイスで育った翠は、日英独の三か国語ができるらしい。あと、フランス語もちょっと。
「ただ、日本語は同世代の人と話す機会があまりなかったから。日本の高校に入るにあたって、瀬場さんや父は少々心配していて」
翠が照れたように首を傾げた。
「どうかな? 自分では、支障なくやれていると思ってるんだが」
「……だな。ないない、支障はない」
だからその、微妙に翻訳っぽい言葉づかいとか、「相棒」みたいな気取ったワードだけが、ちょっと。
なんて、指摘するのはやめにして。
俺はしれっと翠の問いを流すと、セバさんのうまい紅茶を存分にすすった。
「えー、休診?」
「急にこういうの、困るのよねえ。ほんと」
「もうすぐお盆休みもあるのに」
――ここで少し時間を巻き戻して、七月上旬、真山総合病院に怪盗ブルーの予告状が届けられた翌日の朝。
「八月三日(金)は、院内点検のため全診療科臨時休診といたします」
外来棟一階の総合受付掲示板に貼られた「病院からのお知らせ」を前に、患者らしき二人連れの中年女性が文句を言い合っていた。
今年は梅雨明けが早かっただけあって、気温はすでに、連日真夏並みの高さだ。
掲示板前の二人の様子には目もくれず、胸にクリップボードを抱えて廊下を足早に歩くナースたち。
いくつも並んだ待合用のベンチでは、通勤や通学の前に診察を受けにきたとおぼしきスーツや制服姿の人々が、スマートフォンに見入っている。
耳が遠いのか大声で世間話をする高齢の男女と、壁にかけられた大型テレビの画面で流れる、字幕付きの生活情報番組。
普段と変わりのない、朝の真山総合病院の光景だった。




