【Case4】3.男のスーツは胸で着る説 (1)
――蒸し暑さで、目が覚めた。
汗で張りつくタオルケットを、腹からひっぺがす。
フローリングにじかに敷かれた布団から起き上がると、ベッドの上でごろごろしている元ラグビー部の蓮の姿が目に入った。
「……はよ」
「おはー。フライパンに卵あるから」
先に起きてメシもすませたらしい蓮に、スマホから目を離さずに言われて、俺は立ち上がる。
ほんの数歩先にあるちゃちいコンロの上、フライパンの中に残された、ぼっそぼそのスクランブルエッグ。それと焼かない四枚切トースト(こいつんちにはトースターがない)を、狭い調理台の上で牛乳で流し込む。
野菜がねーな、とは思うが、手ぶらで押し掛けといて文句は言えない。
ゆうべ、財布もPOSMOも置いたまま家を飛び出してきたから、コンビニで手土産買う金もなかったんだよな。土産代どころか電車賃すらなくて、スマホで蓮に救援要請して。ダサいわー、俺。
ぼーっとしながらも身体が勝手に動いて、シンクに積まれた皿を洗い、借りた布団とその辺に積まれていた洗濯物をたたむ。
「ごめんな、昨日。急に来て」
壁際に寄せていたローテーブルを元の場所に戻しながら、改めて蓮に謝ると、
「いーよ。俺もう休みだし、授業」
ベッドの上から、いつも通りのてれっとした口調で言われた。
「マジか。俺まだレポートあるわ」
文学部の蓮と、社会学部の俺。どっちも割と、楽勝な学部なんだけど。
昨夜、ノープランで翠の家を飛び出した俺は、中高とラグビー部で一緒だった蓮に頼んで、このワンルームに泊めてもらった。
深夜にうちのそばまでバイクで迎えに来てもらって、超ありがたかった。てか、ポケットにスマホ入っててマジよかった。あいにく、金はチャージしてなかったけど。
小柄で顔もしゃべり方も中学生みたいな蓮は、大学に入ってから学校の近くでひとり暮らしをしている。付属高校上がりのやつはほとんどが自宅から通ってるから、この部屋は友人たちの格好のたまり場になっていて、俺も他のやつと一緒に何度か遊びに来たことがあった。
「恒星ってさー。相変わらず、猫みてーな顔で寝るよなー」
蓮が笑う。
「マジか」
俺は顔をしかめた。そんなこと言われても、自分の寝顔とか見たことねーし。
「普段からちょっと眠そうだしな、恒星」
「そこは普通に目が細いって言え」
「あー、そっちね」
あっさりうなずいた蓮が、
「そういえばさー恒星。俺今日、夜バイトだけど、おまえどーする?」
スマホをいじりながらたずねた。
「あー……」
俺は口ごもる。
どーしよ。
スマホと鍵しか持たずに来ちゃったから、正式に翠の家を出るにせよ、荷物取りに一度あの家戻んなきゃいけないわけだけど。
翠と顔合わせんの、気まず……。
しかも今なら、通常の翠とミーコに加えて、なんと翠の親父さんと瀬場さんっていう強面のおじさん二人もついてます……。
何も考えずに飛び出した自分のアホさ加減に、床に腰を降ろしたまま俺がぼうぜんとしていると、
「決まってないなら、とりあえず合鍵だけ渡しとく?」
ほら、と蓮がスペアキーを差し出した。
「あーでも初めての合鍵は、女の子がよかったなー俺」
「すまん。マジすまん」
ニヤニヤしながら言う蓮に、俺はガラスのローテーブルの脇で土下座する勢いで謝る。
俺だって気持ちはわかるよ。夢じゃん。ひとり暮らしで彼女と合鍵。
ありがたくスペアキーを受け取った瞬間、俺のスマホが通話を着信した。
出れば? と蓮が無言で促す。
表示名は、「ミーコ」
「……」
俺はじっとしたまま、スマホの画面を見守った。留守電に切り替わって、電話が切れる。
「なんで出ねーの?」
蓮に半笑いでたずねられて、
「……なんか、まだいいかと思って」
視線を合わせずこたえた。
「新堂関係?」
「……まあ、そう」
元ラグビー部の皆は、俺が翠の家に居候していることを知っている。
「新堂かー」
蓮がベッドの上に、ごろんと転がった。
「いいやつなんだろうけどさー、あいつ。おまえ、ずっと住んでんだろ? あいつんち」
「……おお」
いいやつだよ。俺とはちょっと……いや、だいぶ? 合わないだけで。
昨夜のことを思い出して、改めてべっこりへこみながら俺はこたえる。
去年の春、一緒に住み始めたばっかのころは、それこそ全然合わなくて。
けど、それからいろいろあって、最近は結構いい感じだと思ってたんだけど。あいつと俺とミーコで、チーム感出てきたっていうか。
……でもそれ、勘違いだったのかもなー。俺の。
俺はこっそりためいきをつく。