【Case4】2.理由 (4)
臓器目的での人身売買の話なら、聞いたことはある。ありえないとは思うけど、人としての一線を越えてしまうような状況を、想像することだってなんとかできる。
でもそれを、自分の子どもでやるなんて。
そりゃ、上の子が身体弱いのは気の毒だけど。だからってなんでわざわざ、代理母出産までして別の子産んで、それを自分たちの手で殺すなんてこと。
「――そうだね。普通ならそう考えるし、その方が『合理的』でもある。ひどい言い方だが、『跡取り』を確保するという意味で」
翠がかすかに微笑んだ。
「だが、彼らはそれを選ばなかった。……夫の方は、自身の育てられた環境のせいか、『正しい血筋』に強いこだわりを持っていてね。愛人の子より正妻の子が、後妻の子より先妻の子が、そして、兄弟の中では長男が、より『正統』な家督の後継者だと」
自らの父親の奔放な女性関係によって、母親の違う弟や妹が何人もいた彼――翠の遺伝子上の父親は、特殊な価値観を持つ人物だった。彼にとって、長男のために弟が犠牲になるという発想は、ごく自然なものだったらしい。ましてそれが、妻でもない女性――代理母に産ませた子どもなら。
そして、その妻もまた、これ以上の妊娠出産は無理だと医師に言われていたせいもあり、長男への執着が激しかったそうだ。
淡々と翠が続けた。
「ここで、話はその三年後に移る」
(まだあんのかよ)
翠の言葉に、俺は思わず瞬きする。
正直、今までの話でもう、腹いっぱいなんだけど。
でも、考えてみれば確かに、今までの話はブルーとは関係ない、単なる翠の出生の秘密ってやつだ。
単なるっつっても、かなりハードなやつだけど。
「二〇〇二年二月、代理母だった俺の母・成海碧は、依頼人夫妻に頼まれて、とある場所でシングルマザーとして、じき三歳の誕生日を迎える俺を育てていた。俺が三歳になったら、夫妻が俺を引き取るという約束で」
ほんの少しの間、翠が遠い目をした。
「碧」――字は違うが、ミーコの本名・葵と同じ名前だ。
――『……いい名前だね』
初めてミーコと会った夜、そう言って笑った翠を俺は思い出す。
「母にとって依頼人夫妻の妻は、一族の『本家のお嬢さん』だった。
本家というのは、とある地方を代表するような家柄で、その広大な屋敷で、俺の母の家族は代々、下働きのようなことをしていたらしい。
両親を早く亡くした母は、幼いころからその本家で世話になっていた関係で、お嬢さん、つまり依頼人夫妻の妻からの頼みを断り切れなかったそうだ。
これ以上子どもを産めない自分の代わりに、長男の兄弟を産んでほしいという、偽りの頼みを」
馬鹿みたいにお人好しだよね、と翠が苦笑した。
「依頼人夫妻は、俺を自然豊かな場所で健康に育てるため、母にいろいろと注文を出したらしいよ、金に糸目をつけず。彼ららしいな。自分たちの息子に与える心臓は、なるべく健康なものにしたかったんだろう」
感情を交えない、翠の口調。
「だけど、何らかの理由で、俺が三歳になる直前に母は知ったんだ。自分がだまされていたことを。息子――俺は、本家のお嬢さん夫婦に、二男として引き取られるわけじゃない。跡継ぎである長男のために、そこで心臓を失うんだってことを」
俺の斜め前の席で、翠の父親が目を閉じるのが見えた。
「無謀にも、母は俺を連れて逃げようとした。
本家のお嬢さん、というよりその夫――日本有数の財閥系グループの総裁だった男から。
当然、うまくいくはずはない。俺たちはあっさり捕らえられ、その後母は消息を絶った。
俺の方は、予定通りにいけば移植手術を受けて、人知れずこの世を去るはずだったんだけど」
翠が口角を上げる。
「さっきも言ったね。
当時、その家で顧問弁護士として働いていた父が、瀬場さんと一緒に俺を連れて海外へ逃げてくれたんだ。何もかも捨て、新しい戸籍を手に入れて。
遺伝子上の両親も、海外の、それも複数の国の警察が相手では、国内ほど自由はきかない。
成海翠だった俺は、新堂衛の息子・新堂翠として、海外を転々としながら育てられた。
……そして、その間に、事態はさらに複雑になっていった」
(さらに、って)
既にこじれ切っているとしか思えない翠の話に、俺は眉をひそめる。
これ以上、何が。
「俺たちが逃げた翌年。心臓移植を待っていた夫妻の息子――俺の兄が、容態が急変して亡くなったんだ。移植手術を受けないまま」