【Case4】1.敵の敵は味方的な (2)
――「八月三日午後六時四十五分、真山総合病院外来棟の電力を少々頂戴します。 ――怪盗ブルー」
手のひらサイズの、バラの模様が型押しされたブルーの予告状。これを病院入り口近くの壁にガムテープで貼り付けてこいっていうのが、翠からのオーダーだ。
紙のカードを外壁にガムテで、ってずいぶん雑な扱いだけど、相手に与えるインパクトやら何やら考え合わせると、今回はこれが一番効率的だとかで。もちろん、指紋・掌紋その他が残らないよう細工はしてあるらしい。
例によって、俺は計画の詳細は把握していない。まあ、あいつに任せときゃ問題ねーし。
外来棟の来院受付は、夕方四時四十五分まで。
患者もスタッフもとっくに姿を消した今は、受付の電気も落とされ、自動ドアの前に立てられた救急外来への案内の看板だけが、白っぽい非常用ライトに照らされている。病院の向かいにあるでかい調剤薬局もシャッターを下ろし、入院棟のある道路一本挟んだ奥のブロックとは対照的に、あたりは静まり返っていた。
この三十分間、人通りはない。さっきの救急車で、隣の入院棟のスタッフの注意もそちらに向けられているはず。
(――行くか)
俺は準備していたガムテを予告状に貼ると、思い切って飛び出した。
建物の壁にカードを無理やり貼り付けたら、ターンしてそのままダッシュ。防犯カメラに顔は映っていないはずだが、とにもかくにもここを立ち去りたいという本能的な感覚に身体が突き動かされる。
そのはずが。
「待て!」
走り出した途端、前方の暗がりから声を掛けられて、背筋に電流が走った。
細い路地から人の出てくる気配。
毅然とした口調は、おそらく警官だ。ていうか――。
(……やっべ)
立ちすくんでいた俺は、われに返って身を翻す。
「こら! 待てと言うのがわからんのか!」
鋭い声と、それに続く重い革靴の足音。
背後の声から逃れるため、俺は戻る予定だった幹線道路とは逆の、小さな事務所や古い住居の混在するエリアに駆け込んだ。
(なんで?)
パニックを起こしかけてる頭の中を、必死で整理する。
事前の警戒は、十分なはずだった。
あの警官は、偶然通りかかったわけじゃない。あの病院に、網を張ってたんだ。多分、怪盗ブルー――俺を待ち伏せするために。
しかもあの声。おそらく――
(田崎警部だ)
「……さいっあく」
俺は走りながら、ゴーグルの下で眉をひそめる。
相変わらず、上層部の方針に逆らってブルーを追ってるんだろうか。四角い顔のあのおっさん。
この春初めて「一椀」で遭遇してから今まで、何度か店ですれ違ってはいるけど。幸い、超早食いで平均滞在時間五分のあの人は、俺の顔は覚えていないと思う。
だからって、顔を見られていいわけはない。暑いけどつけといて大正解だわ、ゴーグル。
俺は入り組んだ細い道を駆け抜ける。
(まずいな)
足の速さとスタミナではあのおっさんに負ける気がしないけど、あいにくこの辺の地理には詳しくない。
しかも相手は警官。たとえ一時的に距離を稼いでも、応援を呼ばれて囲まれたら終わりだ。
古い家々は、高齢の住民が多いのかほとんどが明かりを落とし、人通りもない。
街灯の間を、やみくもに俺は走る。
やがて、川の音が聞こえてきた――。




