【Case3】4.素直じゃないけどわかりやすい
それからしばらくたった、とある週末の昼下がり。
絵本の中の風景みたいな庭には、ガキだけじゃなく大人も溢れていた。
その中を、
「ドギューン! グオー!」
「助けろ! 俺たちは、◎▽§◇だから!」
安定の謎呪文を叫びながら、縦横無尽に走りまわるオスガキども。
「……すんげー入ってんじゃん、客」
門の前に止めた便利屋の車の助手席で、俺はつぶやいた。
「儲かってるかなあ?」
後部座席で、ミーコが弾んだ声を出す。
怪盗ブルーが盗んだ絵を見てみたいという野次馬。報道によって「名画」の存在を知った美術ファン。そして、(理解しがたいが)ブルーの追っかけ。
それらで構成された、美術館への入場を待つ客たちが、入り口前のスペースに収まりきらず、庭にまで並んでいるのだ。
当初は盗まれたと思われていた絵が、メッセージ通りたった一晩で無事に返されたことで、怪盗とはいえ危険な存在ではないというブルーのイメージも定着したらしい。犯行現場にもかかわらず、美術館の庭には子どもや付き添いの母親が、この前と同様散らばっている。
「相変わらずガキが飽和してんなー」
言いながら、俺は内心ほっとしていた。
俺らとしても、あの館長が美術館と同様大事にしてるこの庭が、ブルーのせいで変わったりしたら本末転倒なわけで。
「そういえばさあ」
ミーコが運転席の翠をのぞきこんだ。
「この間の翠君、すごかったよねー。ちびっことママに囲まれて、ファンクラブ状態」
掃除に来た日のことをからかわれ、
「それを言うなら、恒星の方が」
「……は?」
またもやおかしなことを言いだした翠に、俺は眉をひそめる。
「あんなにほら、子どもたちに抱きつかれて」
真顔で言う翠に、
「……あれはオスだろ。てか、抱きつくの意味が違う」
女子と元女子による握手会状態だったおまえと違って、俺はクソガキどもに連続タックルかまされてただけじゃねーかよ。
あきれた声を出した俺に、翠はさらに続けた。
「確かに、あのとき俺のまわりにいたのは、大人も子どもも女性だったけど。あの子たちと俺とはおそらく、十歳以上離れてた。保護者の方たちともそれくらいか、場合によってはもっと。だからきっと、恋愛感情というわけでは、」
「……わかった。言うな。もうそれ以上言うな」
俺は翠の顔に手のひらを向けて、会話を打ち切った。
マジでわかってないの? こいつ。学校でもどこでも、全方位の女子にもれなくモテてるくせに。
あと、ロリコンがナシなのはいいとしても、さっきの発言あのママさんたちが聞いたら泣くからね? そんな、さくっと「対象外です」みたいな言い方。いくら事実でも。
「つかさー。なんなの? 人情派の怪盗目指し始めたわけ? おまえ」
ふと思いついて、俺は話題を変えるついでに翠に絡んでみる。
「人助けしちゃってんじゃん」
今回の事件による客寄せ効果で、あの美術館の経営は、しばらくは間違いなく黒字になるだろう。当面、閉館は免れるはず。
「……掃除のときにいただいた代金が、多すぎたから」
無表情に俺から目をそらした翠が、
「追加で、もうひと仕事しただけさ」
言うやいなや、勢いよく車を出した。
赤くなったやつの耳たぶを確認し、俺はバックミラー越しにミーコと目を見合わせる。
(……なんだよ。いいやつかよ、こいつ)
ミラー越しににやける、ミーコと俺。
不器用っていうか、下手くそっていうか。
助手席で翠の横顔を眺めながら、俺は気づく。
知らないだけなのかもな、こいつ。気持ちの表し方を。
スギ花粉が入らないよう締め切った窓の向こうには、風に運ばれていく桜の花びらが見えた。
『やつらとは無関係な仕事に『ブルー』の名を使うのは、いかがなものかと思うが』
電話越しに届いたいつものかすれ声に、
「たまには悪くないでしょう。先方を混乱させるのも」
感情の読めない声で翠がこたえた。
深夜一時。二階の一番奥にある、殺風景な翠の部屋。
電気を消した部屋の中で、スマートフォンの明かりが、コンピュータと関連機材でいっぱいのデスクに座った翠の白い顔を照らしている。
電話の向こうで、相手の男性が軽やかな笑い声をたてた。
『おまえが情に流されるのを見る日が来るとはな。……やめるなら、今のうちだぞ。翠』
「やめません!」
男性の言葉に、反射的ともいえる勢いでこたえかけた翠が、
「……やります。予定通りに」
一呼吸おいて、普段通り落ち着いた声を出した。
『……そうか』
相手の声は、どこか残念そうに響いた。
『――そちらは今、桜の盛りだろうな』
ふと、男性が話題を変える。
「ええ。少しばかり、散り始めています」
翠のこたえに、
(――碧)
男性の脳裏に、ひとりの女性の姿が浮かび上がった。
春の日差しと、頬に触れるかすかな風。
降りしきる花びらの中にたたずむ、若い女性。
風に揺れる長い黒髪。意志の強そうな瞳と、どこか翠に似た柔らかな笑顔。
二十年ほど前の、とある記憶。
目を閉じた男性が、ゆっくりとかぶりを振った。
(……もうすぐ、だ)
深いしわの刻まれた顔に、何かに耐えるような表情が広がる。
やがて目を開けると、
『では、予定通りに』
ほんの数秒前までの波立つ感情をまったく感じさせない口調で、男性は受話器に向かって語りかけた。
いつもの挨拶で、通話を締めくくる。
『おやすみ、翠』
相手の現地時間への配慮から、いつものように翠もこたえた。
「そちらも、良い一日を。……父さん」
【 Case3 了 】




