【Case3】2.働いた後のメシはうまい (3)
「今は、仲良しのミーコちゃんと触れ合って、ゴロゴロ言っているわけだし。あまり慣れていない俺が触ったら、せっかくリラックスしていた猫が緊張して、」
わけのわかんねーことをぶつぶつ言いだした翠に、
(……ったく、こいつは。いつもいつも)
俺は無言で箸を置くと、ミーコの膝からフーちゃんを抱き上げて席を立つ。
そのまま向かいの翠の傍らに立ち、
「ほらここ」
茶碗からもぎ取ったやつの左手を、猫の頭に近づけた。
「……」
翠の目が、俺とミーコ、フーちゃんの三点間をしばらくさまよったあと、ぴんと伸びた白い指が、ゆっくりとフーちゃんの頭に近づいた。
む? って感じで一度翠の顔を見上げたフーちゃんは、引き続きおとなしく俺に抱かれている。ほんと、あのばーちゃんにかわいがられて育ったんだなフーちゃん。
そろりと、翠の指がフーちゃんの頭に触れた。
白い毛の上をそろそろと撫でる指に、フーちゃんが気持ちよさそうに目を閉じる。サンキュー、フーちゃん。
「……大丈夫、だった」
うっすら上気した顔で、翠が嬉しそうに俺を見上げた。
「しっかし、いい人だったな。あの館長」
「一椀」からの帰り道、俺は今日の依頼主のことを思い出していた。
別れ際、
「今日はありがとう、助かったよ。よかったら、いつでも遊びにいらっしゃい」
規定通りの料金に、近いからと翠が遠慮した車のガス代も払い、ついでにみかんの残りまで持たせてくれて、笑って手を振った枯れ木みたいな姿。
「こーちんのピンクの頭見ても、態度変わんなかったしね」
「うるせーな。ああいうアート系の人にはわかんのよ、俺のセンスが」
いつも通り無意味に言い合うミーコと俺の真ん中で、
「いい絵だったね。『春の池』」
ぽつりと翠が言った。
「ずっと見てたね、翠君」
ミーコが翠の顔を見上げる。こいつも気づいていたらしい。
「昔住んでいたところに、似てたんだ」
穏やかな口調で翠が言った。
「近くに池があって、まわりに花がたくさん咲いていて。母と手をつないで、毎日散歩した。母は花の好きな人で、家の庭でもバラを育てていて」
「いい思い出だねー。何歳くらいのころ?」
たずねたミーコに、
「二歳だ。三歳になる直前まで」
やけにきっぱりした口調で翠がこたえる。
「マジで? おまえ、そんな小さいころの記憶なんてあんの?」
驚いて、俺は声をあげた。
二歳っておまえ、普通そんな記憶……まあ、こいつの脳みそは普通じゃないか。
高校時代、全教科まんべんなくできすぎて、文系志望のくせに理系クラスのやつらに数学教えてたこいつの姿を思い出して、俺は口を閉じる。
「翠君のお母さんって、やっぱ美人さん?」
ミーコの質問に、翠が軽く目を伏せた。
「写真で見る限り、そうらしい。残念ながら、はっきり覚えてはいないんだ。……俺とは、似ていないはずだけど」
「ああ、おまえが小さいとき亡くなってんだっけ」
思い出して、俺は口を挟んだ。
確か、同居を始めたときに聞いた。当時は俺も、父親を亡くしたばっかで余裕がなくて、詳しいことは覚えてないけど。
「うん」
うなずいた翠が、
「殺されたんだ、多分」
表情を変えずに言う。
(――え?)
ミーコと俺は、リアクションに迷って固まった。
冗談にしては、笑えねーし。事実だったら、重すぎるし。
「……」
そのまま、フォローもなくすたすたと夜道を歩き続ける翠の後方で、
(えっとー……、どういうこと?)
俺はミーコと、しばし無言で目を見合わせて立ち尽くした。




