【Case2】2.盗まれたレシピ (5)
俺はむしろ、イメージすらできねーけどな。マニュアル車の運転。
なんてことは、言えるはずもなく。
とにかく今は、逆らわない逆らわない逆らわない。
俺は両手両足を突っ張ったまま、ひたすらあたりさわりのなさそうなコメントを選ぶ。
誰か褒めてほしい。この状況で、笑顔で柊二の世間話に相槌うってる俺を。
「そーいえば恒星さん、今日、ピアスしてないんすね」
「……ああ、仕事のときは外すようにしてる」
(ちょ、何? ピアスとか。よそ見? よそ見なの? このスピードで余裕あんなおまえ!)
俺の内心の突っ込みに関係なく、
「さすがっすねー。俺も開けたいんですけど、やっぱ痛いんすか? 軟骨」
のんきに質問を重ねる柊二。
「えっと。どーだっけな。病院とかなら、麻酔もあるけど」
「そっすかー。あーでも、麻酔はなしかなー。男なら」
なにげに「峠時代」を想像させるいかつい発言をしつつ、
「穴の場所も、迷うんすよねー。翠さんみたいなのもきれーだけど、俺はやっぱ、恒星さんみたくストリート系っていうか、軟骨いっときたいなって」
バックミラーをのぞきながら、耳たぶをいじり始める柊二。
(いやいやいや、軟骨とかいいから、前! お願い! 前見て!)
このあと控える「仕事」の緊張なんて軽く凌駕する、文字通りの生命の危機に、俺は瞬きもできないまま、固まった笑顔で正面だけをみつめていた。
オフィス街から少し離れた、大きな公園のそば。茶色いタイルとガラスでできた四十階建ての建物が、灰色の空を背景に優美な曲線を描く。
「じゃ、ここで」
ホテル・マヤマの二ブロック手前で俺を降ろすと、柊二の車はすぐに角を曲がり姿を消した。
地獄のようなドライブの記憶を追い出すように、俺は軽く頭を振る。こっからが本番だ。
細身のスーツに伊達眼鏡、翠のくせっ毛みたいな緩いウェービーヘアのウィッグを付けた俺は、就活風の鞄を手に、いかにも待ち合わせですという顔でホテル・マヤマの回転ドアを通り抜けた。ごついコートを着込んだ背の高いドアマンたちは、ちょうど入ってきたタクシーに気を取られている。
そのまま、人を探すような顔で、俺はロビーに足を踏み入れた。
自慢のでかいシャンデリアの下、老舗ホテルは平日の午後も、着飾ったおばさまグループや旅行客、それに商談風の客で賑わっている。
(……おっとー)
腹の出たスーツのおっさんと一緒にエレベーターを降りてきた、きれいなお姉さん。タイトスカートから伸びる太ももをつい目で追うと、こっちを振り向いた色っぽい視線に絡めとられそうになり、俺は慌てて腕時計を見る振りで顔を伏せた。
俺の日常生活では、接点のない種類の女性。正直めちゃくちゃもったいないけど、顔を覚えられるわけにはいかない。
そのままなにげない感じで足を進め、壁際に活けられた大きなフラワーアレンジメントに近づいた。
(……みっけ)
すぐに、大ぶりの花に紛れてセットされたホテルの防犯カメラをみつける。翠に言われた通りだ。
そのレンズに、周囲に気づかれないよう、例のカードをそっと被せる。
直後に鞄からスマホを取り出すと、メッセージに気づいたような素振りで、俺は足早にロビーを後にした。