【Case2】2.盗まれたレシピ (4)
「ぃやったー!」
「……なんだよ、俺は認めてねーからな。怪盗とか」
喜ぶミーコの隣で、凶悪な顔つきになった俺の発言を無視して、
「ホテル・マヤマは知ってるよな?」
俺の正面の一人掛けソファに腰を下ろした翠が、包帯を巻いた手でパンフレットを示しながら、涼しい顔でたずねた。
「あたりまえだろ」
日本有数の財閥系企業グループ・真山グループの有する、老舗高級ホテル。
最近は新しくできた他のホテルに押されて印象が薄かったけど、去年、中に入ってるフレンチレストランがあの「ムシュランガイド」で星を取ってニュースになった。
さらに、学生にも手の届く価格のプランを始めたことで、今、東京で一番予約の取れないホテルと呼ばれているのは、おしゃれホテルになんか縁のない俺でも知っている。
「それなら話は早い」
翠がパチンと左手の指を鳴らした。
「その一つ星メインダイニング、『ラ・ナチュール』のレシピをいただく」
「――はあ?」
話が、見えないんですけど。
てか、その「パチン」もやめて。脱力するから。
「やることは至ってシンプルなんだ。このカードを、ホテルの入り口そばに置いてくるだけでいい。今回は予告状もなしだ」
どこから取り出したのか、翠が指に挟んだ紙切れを、マジシャンのような手つきでひらっとかざす。
――「『ラ・ナチュール』の看板料理、“ザ・マヤマ”のレシピをいただきました。 ――怪盗ブルー」
渡された、バラの模様が型押しされた手のひらサイズの白いカードには、そんなふざけた文言が、ネットで見た前回の「予告状」とそっくりのデザインで書かれていた。
「何言ってんの? おまえ」
隣に座ったミーコにカードを放り投げると、俺は再びソファに寝転がる。
つきあってられっか。何言ってんだこいつ。
「……そう思うのも、無理はないよね」
翠が、よくできた顔ににこりと笑みを浮かべた。
「出番だな、怪盗ブルー」
数日後の昼下がり。
白とグレーの曇り空の下、待ち合わせ場所に停められた車に向かって歩きながら、翠が機嫌よく俺に声を掛けた。
「いやいやいや、認めてないから。単なる便利屋ですんで、俺は」
翠の顔を見ずにそう返すと、俺は助手席のドアを開ける。
なんやかんやで、結局こいつにうまく丸め込まれた感じだけど、あくまでこれはバイトだから。便利屋の。
「あ、こんにちは」
運転席から、人の良さそうな笑顔でこちらを見上げる柊二。今日は「一椀」の定休日だ。
「ちーす」
俺は助手席に座りながら、柊二に軽く頭を下げる。
「休みなのにごめんな。面倒なこと頼んで」
「全然っすよ。俺運転好きなんで、めっちゃ嬉しいっす」
知ってる。だから頼んだの、俺たち。
平日だけど、大学は後期の授業が終わって、早くも春休みに入っている。培地の世話とか実験記録がどうとかでちょいちょい学校に行く必要があるらしい理系と違い、法学部の翠と社会学部の俺はきっちり休みだ。文系最高。
店長のを借りたという、柊二の乗るぴっかぴかに磨かれた車を見て、俺は内心ほっとしていた。
よかった、見てすぐわかる改造とかしてなくて。車種も、ちょい古そうだけど、走り屋さん御用達みたいなやつじゃなくてマジよかった。
まあ、あたりまえか。店長の車なんだもんな。こいつのじゃなくて。
シートベルトを締める俺の傍らで、
「よろしくね、柊二君。ほんとなら俺の仕事だったんだけど」
開いた窓の外から、翠が包帯の巻かれた右手を挙げる。
「了解っす。気にしないでくださいよ、ほんと好きなんで運転」
柊二が笑って頭を下げた。
「行ってきます」
そう言ってエンジンをかけ、窓を閉めてハンドルを握り直した瞬間。
柊二の目つきは、激変した。
(……はうっ!)
そこから先は、ある意味、期待通りではあった。
「……!」
信号が青に変わった直後のロケットスタートに、俺は何度目かの悲鳴を我慢して、思いきりシートに足を突っ張る。
速い速い速い速い速い!
景気よく後ろに飛び去っていく、窓の外の景色。
「あはは! 東京やっぱ道狭いな! あんま出せないっすねースピード!」
「……そーね……」
いや、出てるから十分。スピード。
そんな突っ込みなんて到底入れる気にならない、ぎらついた目の柊二。
さらに怖いのが、そんだけ飛ばしてんのに、信号とか右折左折での減速は超なめらかなとこ。
神速なのよ、ギアチェンジが。てか、ギアって。
「あ、珍しいっすか? マニュアル車」
俺の視線に気づいて柊二が言う。
「……あ、いや」
気分を害したかと焦る、すっかりチキン化した俺に、
「伯父さ、じゃなかった店長も、車好きだったみたいで昔。オートマとか、走ってる気しねーわって」
爽やかに柊二が笑いかける。
「あー、そっか。だよなー。はは……」