【Treasure7】 3.(1)
厚手の白い封筒の表に書かれているのは、「翠へ」という二文字だけ。
だがその文字だけで、翠は手紙の差出人を察したらしかった。
「セバさんから。おまえが二十歳になったら渡すよう、新堂さんに言われてたって」
俺の言葉に、
「……ああ」
大きな目を宛名から離さないまま、翠がこたえる。
倒れる直前に書かれたという、弱々しい親父さんの字。
いくらセバさんから預かってきたとはいえ、さすがにこの手紙は、翠がひとりで読むべきものだろう。
そう思った俺は、ひとまずその場を離れようとした。
一歩下がって静かに身を翻し、歩き出そうとしたところで、
(……ん?)
腰のあたりに違和感を感じて、俺は足を止める。
俺の今期のヘビロテ、まあまあ高かったベージュのピーコート。
振り返った俺の目が、そのコートの裾を小さくつまんでこっちを見上げる、うるうるの目とぶつかった。
「……」
俺に無言で見返された翠が、ふと視線を下げると、
「……あ」
驚いた顔で、コートにかけていた手を離す。
(――無意識かよ)
俺はこっそりためいきをついた。
だいたい、なんで上目づかいなのよ。同じ身長のくせに。
なんとも言えない気持ちになって、俺はくしゃくしゃと髪をかき回す。だいぶ根元が黒くなってきた、一瞬だけこいつと双子コーデ状態だった“ムーンライトシルバー”
「……あー、あのさ」
数秒間逡巡したのち、仕方なく俺は翠の顔をのぞき込んだ。
「俺も読んでいい? 一緒に」
途端に翠が、あからさまにほっとした顔になって、こくんとうなずく。
(――新堂さん。なんか、すいません)
胸の中で天国の親父さんにつぶやくと、俺は地下通路の壁に背中を預け、翠と並んで封筒を開いた。
「おまえがこれを手にしているということは、既に私はこの世にはいないはずだ。
そしておそらく、警察にはあの手記が届いていることだろう。
となると、まずはこの話から始めなければな。
すまなかった、翠。
真山晴臣に対するおまえの強い思いを知っていながら、これまでどうしても保身が勝り、私は真山家の不正を――自分も関与してきた悪事を、告発することができなかった。
だが、肉体が捜査の手の及ばない場所へと逃げ切った今。遅ればせながら、私は”真山”の罪を記した手記を公開することとする。
どんなに逃げても、自分のしたことからは――自分の魂からは、逃れられないものだな、翠」
正月明けに警視庁に届き、真山晴臣の逮捕につながったあの手記の話から、新堂さんの手紙は始まっていた。
「……」
読みながら、俺は軽く首をひねった。
ここには、自身のための「保身」だったって書かれてるけど。
もしもあの告発が、怪盗ブルーによって世間の、特に警察内部の関心が、真山グループの暗部に向けられるより前になされていたら。
たとえ新堂さんが警視庁に告発文を送ったとしても、警察上層部と真山側とのコネクションによって、そんなものはあっさりと握りつぶされていたことだろう。
そして、今回のようにその告発内容が週刊誌に暴露されても、ある程度の世間の関心は引けたとしても、最終的には事実無根とみなされていた可能性が高いと思う
あるいは、もしもあの手記を、ブルーが活動を始めてから俺が真山に誘拐されるまでの期間に発表していたら。つまり、親父さんが存命で、俺の拉致・監禁という真山にとって後ろめたい事情はなく、かつ、俺らがブルーとして警察に追われている状況で、あの手記を警察に送っていたら。
真山晴臣は即座に、手記の筆者である新堂さんやブルーの情報を、警察に流していたことだろう。いくら翠を警察の手に渡したくないといっても、自らの過去の殺人罪を問われるとなれば、話は別だろうから。
しかも、手記の筆者があの怪盗ブルーの一味、それも首謀者の父親となれば、その信ぴょう性などゼロに等しい。告発はもみ消され、新堂さんと俺らは警察に追われることになったはずだ。
新堂さんがそれまで、真山家の罪を告発しなかったのは、保身のためなんかじゃない。
あの手記は、ブルーによって警察内に真山家への疑惑の下地ができていたところで、誘拐という警察に訴えられたら言い逃れできない事情を真山晴臣が抱え、かつ、新堂さん――手記の筆者である真山の元秘書・相田充好が既に亡い、つまり彼とブルーとの関係を真山が証明できない状況だからこそ、効力があったんだ。
言い換えれば、あのタイミングでしか使えない「時限爆弾」だったんだと思う。




