【Treasure6】 2.(2)
「……ありがとう」
目を見開いた翠の声にかぶせるように、
「え、こんないっぱい?」
俺は驚いて声をあげる。
大学の学年末試験が近い。クリスマスに親父さんが亡くなったあと、年が明けてからもしばらく大学を休んでいた翠のため、俺は元ラグビー部で一番絡みのある蓮に、翠の取っている授業のノートを集められないかと頼んでいた。
休んだときのノートなんて、普通のやつなら友達に適当に頼むとこだけど、人気はあっても人に頼ることが極端に下手な翠に、そんなことができるとは到底思えない。ていうか、他人のノートをコピーさせてもらうって発想自体ないんじゃねーかな、こいつ。人にはしょっちゅう貸してるけど。
とはいえ、社会学部の俺は、法学部の翠とは取ってる授業がだいぶ違う。もちろん俺ができることならやるけど、あいにく法学部の友達で使えるやつがいねーんだわ。ひとり残らずアホで。
そもそも、なるべく楽な授業で最低限のコマ数で、っていう俺のまわりのやつらと、「興味があったから」とか言って、試験や出席の厳しい講義も臆さず取っちゃう翠とでは、授業が全然かぶんないし。
そんなわけで打つ手のなかった俺は、できればの話、ってくらいのノリで、蓮にノート集めを頼んでみたわけだけど。
文学部だがめっぽう顔の広いこいつは、あちこちの知り合いに声を掛けまくって、まさかの翠の全授業コンプを達成してくれたらしい。
「すごいな。全部揃ってる」
蓮に渡されたコピーに目を通していた翠が、小さくつぶやいた。
「蓮おまえ、どんだけかき集めたのよ。ノートと人脈」
感心する俺に、
「おー。やってやったぜー」
蓮が得意げに言う。
「サンキュー。おごるわ今度」
俺のセリフに、
「いや、それはもちろん俺が」
翠が、慌ててプリントから顔を上げた。
「……あ、俺と一緒でいいならの話だけど。佐野が」
不安げに、蓮に向かって余計な気遣いを始めた翠に、はいはいと俺は肩を叩く。いーんだってそんなの。気にしなくて。
蓮が軽く首を傾げると、
「そうはいっても、新堂的にはあんま役に立たないかもしんねーけどなー。そのノート」
翠に向かって苦笑した。
「漏れとかあったらごめんな? おまえみたくちゃんと授業受けてるやつばっかじゃねーからさー、それくれたやつら。けど、テストの過去問も付けといたから」
「マジか。神かよおまえ」
俺は横から、蓮の発言に食いつく。
「ちょ、蓮。俺のも集めて? 過去問とノート」
「ふざけんなよー。てか、どうせ試験楽勝な授業しか取ってねーんだろ? 恒星は」
「そうだけど、ほら、学食おごるし」
「いや、飲みだろそこは。それか、『藤の実』の“ふぶきロース”」
「え? とんかつ屋はキツくない?」
いつも通り、どうでもいいことをしゃべり始めた俺らの耳に、
「……そんなことない」
静かな声が届いた。
振り向いた俺の前で、
「役に立つに決まってるよ。本当にありがとう、佐野」
コピーの束を抱えた翠が、少し低い位置にある蓮の目をのぞき込む。
「俺は嬉しい」
そこで、翠の眉間の力が抜け、シマリスみたいなでかい目が、ふにゃっと溶けて。
ミステリアスでも王子様でもない、キラッキラのピュアな笑顔が炸裂した。
「……あ、いや」
至近距離で被弾して珍しく口ごもる蓮と、ニヤニヤしながらそれを見守る俺に、
「じゃあ俺、一限は三階だから。……佐野、お礼は何がいいか考えておいて」
はにかんだ笑みを浮かべてそう告げると、その場から颯爽と立ち去る翠。
「……おお」
片手をあげた蓮の頬がちょっと赤くなってるのをチェックした俺は、自分よりちょっと低い位置にあるもこもこのダウンの肩に手を回した。
「……やばいっしょ? あれ」
「……だなー」
なに今の? キュンとしたわ俺ー。
へらっと笑う蓮の肩を抱いて、うんうんと俺はうなずく。
そーなのよ。キュンとしちゃうのよ、不覚にも。
しばらく雑談したあと、俺も蓮と別れて、自分の授業のある二階の教室へ向かった。
(――ちょっとずつ)
歴史ある建物ならではの、冷え込む薄暗い階段。それを二段飛ばしで駆け上がりながら、俺は思った。
ちょっとずつ、こうやって増えてくといいよな。あいつのこと、わかるやつ。
いつもスマートで、近づきがたいイメージのある翠だけど。
あいつがむやみに気取ってるわけじゃないってことや、意外と天然なこと。そういうの知ってるやつが、俺やミーコ以外にも増えて。
プラス、時間と共に、親父さんのことや、あいつの過去の傷が治ってって。
そうやって、少しずつ翠が前に進んでいけるといいなと思う……これから。
俺はちょっと口角を上げると、肩に掛けたリュックを背負い直して、教室の扉を開けた。




