【Case1】3.逃亡は計画的に (5)
「ねえこーちん、ほんとに外、出ちゃっていいの? 翠君は?」
「いいから黙ってろ」
「てかその頭さー」
「黙ってろって」
何度も声をあげるミーコをスーツケースで押し出すようにして、マンションのエントランスを出る。
ミーコが心配するのも無理はない。これまで禁じられていた外出を突然敢行、しかも翠の不在時に、っていうのは、どう考えたって不自然だ。
人通りのまばらな平日の昼下がり。目の前の道路の少し先、電柱の影でスマホに耳を押し当てていた柄の悪い男が、こちらを注視するのを感じた。
どうやら、仙道組の見張りらしい。このマンションも、突き止められていたのか。
ミーコはまだ、男に気づいていない。
俺の髪色を確認するようなそいつの視線を感じながら、昨夜コインパーキングに止めておいたレンタカーにミーコとスーツケースを詰め込む。
「え? ドライブ?」
ミーコが嬉しそうな声になった。
「……ちゃんとつかまってろよ」
助手席のシートベルトを確認しながら、俺はエンジンを掛ける。
「やったー。ドライブ大好き!」
膝の上のリュックを抱きしめて、ミーコが歓声をあげた。
離れた場所に見慣れない車が現れたのを確かめて、俺はアクセルを踏み込んだ。
羽田空港が国際線化されてからだいぶたつが、ある程度以上の年齢層にとっては、海外といえばやはり成田というイメージなのだろう。
数十分後、追手の車をなんとか撒いた俺たちは、その成田空港より少し東京寄りの、某駅改札前に立っていた。
車内で金髪のウィッグとサングラスを外し、服も変えた俺は、同じく服を着替えて長い髪をキャップにまとめたミーコに、さっきから同じ質問をされている。
「ねー、翠君は?」
「……」
「あたしやだよ、翠君と別れるなんて。怪盗ブルーはどうすんの?」
どうもこうもねーよ。
俺は目をそらして、いらいらと髪をかきまわす。
怪盗とか、のんきなこと言ってる場合じゃねーんだよ。今日、こっから先に、おまえの一生がかかってんだ。
「……いいから、行くぞ」
翠なら、俺らが身のまわりの物を持って姿を消した時点で、何が起こったか気づくはずだ。そんなことより、今はとにかく急がないと。
スーツケースを押すのと逆の手でミーコの肩を抱えて、俺は無理やり歩き出そうとする。
なにか言いかけて俺の顔を見上げたミーコが、不意に、でかい目を俺の背後に向けた。
「……翠君」
つられて振り向いた視線の先、信じられないものを目にして、俺は息をのんだ。
(――嘘だろ)
行き交う人の姿もほとんどない、平日昼下がりの小さな駅。ありふれた駅前ロータリーを背に、違和感満載でたたずむ白シャツに黒のパンツ姿の王子様。
そこには、この時間大学で講義を受けているはずの翠が、端正な顔にいつもの笑みをたたえて立っていた。
近づいてきた翠が、手にした黒いリュックを俺に投げてよこす。
慌てて受け止めた俺に、
「百万ほど入ってる」
いつもよりさらに腹の中の読めない顔で言うと、
「そのでかいのと、車のキーをよこせ」
翠は視線で、俺の手元のスーツケースを示した。
「翠、おまえ……」
なんで。
無言でやつの顔をみつめる俺に、
「どうせ捨てるつもりだったんだろう? 使ってやるよ、俺が」
淡々と翠が告げる。
「マンションは、処分するよう手配した。俺はしばらく、あっちで親孝行でもするさ」
シアトルを拠点にしているという、翠の親父さん。
「――翠」
もう、言葉がみつからなかった。
バレてた、俺の計画。ミーコの親父率いる「仙道組」から、ミーコが保護者抜きで暮らせる年齢になるまで、隠れて暮らすための逃亡プラン。
あたりまえだ。俺が実行担当、そして翠は、その頭脳担当なんだから。
けど、自分の逃亡先まで準備してたなんて。
しかも、このリュックの感触。さっき言われた「百万」――これは、俺とミーコが今もっとも必要なもの。現金だ。
こいつに黙って、なにもかも勝手に決めた俺に、こんな。
「アディオス、相棒」
スーツケースとレンタカーのキーを手に、片手を挙げて立ち去る細身の後ろ姿を、俺は無言で見送るしかなかった。