【Case1】3.逃亡は計画的に (4)
「……ああ。嘘ついてる音はしない」
なんだかうまくかわされたようで、視線を下げた俺に、
「……捨て猫に、入れ込みすぎるなよ。恒星」
冷蔵庫から水を取り出しながら、翠が言った。
おまえも飲むかとボトルを持ち上げるきれいな顔に、俺はかぶりを振って言う。
「だってよ。まだ十六なのに、あいつ。あんな」
いつ終わるかわからない、俺たち以外誰とも会えない潜伏生活。もしかしたらこの先何年も、外出も友達との連絡もできないで。
訴えるように言った俺に、
「自分の能力を、見極めろ」
何の感情も込めずに告げる翠は、まったくもって正しい。
正しいけど。
「……無理かなー。逃げんの」
俺はためいきをついて天を仰いだ。
あいつの、ミーコの親父から逃げる。もっと遠くまで。
そしたらあいつも、友達とか学校とか、普通に。
「無理だろうな。弱小でも、相手は組織だ。ミーコちゃんが大人になるまで、何年も逃げて回れるのか? あの子を抱えて。その覚悟があるのか? おまえに」
きれいな顔で、容赦ない言葉を連ねる翠。
「……海外に、飛んだら?」
少し前から考えていたことを、俺は思い切って口に出した。
「……」
軽く目を見開いた翠が、視線を落とす。
緩く波打ったくせっ毛をかき上げながら、少し考えていた翠が、
「可能性は、あるな」
顔を上げた。
「あの組に、海外でことを起こすほどの力はない。諦めるだろうな。娘が日本にいないとなれば」
翠が、俺の目を見据える。
そのまま、俺たちはしばらく目を見合わせていた。
先に目をそらしたのは、俺だった。
「ねえこーちん。頼みがあるんだけど」
突然のミーコの「頼み」に、言われるまま、先月カラーリングしたばかりの髪を黒に戻したのが昨日のこと。
理由はないけど、なんとなくその金髪はまずい気がすんの。どうしても。
そんなミーコの言葉に、あいつの“勘”の恐ろしさをわかりすぎてる俺は、素直に従ったわけだけど。
(――やっぱすげーな。あいつの“勘”)
大学の教室で、元ラグビー部の佐野蓮太郎に呼び止められた俺は、早くも胸を撫でおろすはめになっていた。
「なーなー恒星」
百六十三センチ童顔、ついでに頭の中身も中学生並みって定評のある蓮が、ニヤニヤしながら顔を近づけてくる。ちなみに俺は、こいつは何も考えてないようでいて、結構考えてんじゃねーかと思ってるんだけど。
「おまえさー、最近、駅でナンパしたりした?」
昨日、例の駅ナカのそば屋の前で、ヤバそうなおっさんに、「ここで女子高生に声掛けてた金髪の男を知らないか」と話し掛けられたらしい。
「するかよ」
めんどくさそうにこたえながら、
(このことか)
俺は、ミーコの“勘”に感謝しつつも、冷たい汗が脇を伝うのを感じていた。
追手はもう、すぐそこまで来てる。
「だよなー。俺も知らねーって言っといたけど、俺のまわりで金髪っていったら恒星かなって」
蓮がへらへら笑う。
「でも、黒染めしたのなおまえ」
「いや、青染めなのよこれ、実は。美容師さんが、黒だとベタっとした感じになるよって」
「マジで? てか気ーつけてよおまえ。後でクんだからな頭皮」
そんなしょーもないやりとりをしながら、
(――やるしかない)
俺は、ひそかに決意を固めていた。