【Treasure5】 1.(2)
点滴の針の刺されていない右手を瀬場に両手で包み込まれ、新堂がうなずいて目を閉じた。
しわの目立つまぶたが、かすかに震える。
やがて、日に焼けた頬に一筋の涙が流れた。
「……新堂様!」
瀬場の声が切迫する。
そこへ、
「ただいまー。あーお腹いっぱい」
ドアが開き、機嫌のよさそうなミーコの声と共に、翠たち三人が病室に戻ってきた。
「翠様……」
振り向いた瀬場に、
「――父さん?」
翠が、顔色を変えて枕元に駆け寄る。
「父さん? 父さん、翠です。父さん?!」
翠に肩を揺さぶられても、新堂の目は閉じたままだ。
「……ナースコールは?」
翠の背後にいた恒星が、低い声で瀬場の顔を見た。
「先ほど。……ですが」
口ごもった瀬場に、
「……」
恒星とミーコが無言でうなずく。
患者本人が延命治療を望まない以上、この状況で病院側にできることは、ほとんどないだろう。
「父さん? 父さん?!」
幼いころから世話をしてきた瀬場でさえ聞いたことのない、吠えるような翠の声が響く病室に、廊下からナースたちの慌ただしい足音が近づいてきた。
新堂は、夢をみていた。
(……ここは)
柔らかい風が頬を撫でる。
雲ひとつない春の空の下、降りしきる薄桃色の花びら。
その向こうに立つ、あの人影は。
「――碧さん」
つぶやいた新堂に、風になびく長い髪を押さえて、成海碧がふっくらした頬に静かな笑みを浮かべた。
碧の着ている、緑地に小花柄のワンピース。
(……ああ。これは、あのときの)
気づいて、新堂は周囲を見回す。
こぢんまりした日本家屋と、門の前に立つ二本の木……確か、ハナモモという名前だったか。長い枝にみっしりとついた、桜によく似た八重咲きの花が満開を迎え、吹く風にはらはらと花びらを散らしている。それまで、花や木に目をとめることすらなかった新堂は、この家で植物に詳しい碧から、様々な草木の名を教わった。
目の前のこれは、新堂が真山の遣いで初めて彼女に会った、あの春の日の光景だ。
小さな家の裏手の庭には、来年、碧が植えたバラが、見事な花を咲かせることだろう。
家の中では、座布団ほどの大きさしかない赤ん坊用の布団の中で、生まれて間もない翠がすやすやと眠っているはずだ。
どこからか、鳥の鳴く声が聞こえてくる。
(……いつ来ても、気持ちのいい場所だ)
新堂は、深く息を吸った。




