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【Treasure4】 4.(4)

「……だあれ?」


 そのとき、少し離れた場所から声が聞こえて、翠は顔を上げた。


 ――その日の彼はおそらく、体調が落ち着いていたのだろう。天気も悪くなかったことから、珍しくひとりで敷地内を散歩でもしていたのだろうか。


 庭の奥のバラ園から翠をみつめる、暖かそうなコートに包まれたほっそりした姿。


 それは、自宅の庭で自分より小さな見知らぬ男の子――翠の姿を目にして、相手が自分のためにこの世に生を受けた実の弟とも知らず、屈託のない声を掛けたけいだった。


「どうしたの?」

「……泣いてるの?」


 泣きじゃくる翠にたずねた慧が、コートのポケットから出した真っ白なハンカチで、頬の涙をそっと拭いてくれる。


「母さんがいない。お誕生日なのに」


 泣きながらそう訴えた翠に、


「そうなの? それじゃあ」


 そう言うと、幼い慧はさらに小さな翠の頭を撫でて名前をたずね、誕生日の歌を歌ってくれたのだった。


「ハッピーバースデイ、ディア、すいくん」


 優しい声で。




 すっかり忘れていた思い出に、


(――ありがとう)


 恒星の隣の後部座席でうとうとしながら、翠は唇の端をかすかに引き上げた。


 思い返せば、恒星のいたあの地下牢に入っても、不思議と気分が悪くなることはなかった。いつもなら、誘拐絡みの話を耳にしただけで貧血を起こす自分が。


 もしかしたらあれは、自分では覚えていなかった慧の――「兄」の優しい記憶に、心を守られていたせいかもしれない。


 火の回りが異常に速かった、真山邸の火災。

 煙にまかれた廊下に突然現れ、自分を逃がしてくれた慧。


 先日の夢で、幼い声で何度も告げようとしてくれた、聞き取れなかった言葉――『ごめんね』


 まどろみのなかで、翠は確信する。


 あれらはきっと、もうこの世にはいない彼が、「弟」を救うために――。




 県境付近で、謎のスーパーカーから慣れ親しんだ便利屋のバンに車を乗り換え、一行は無事、都内のやや西寄りにある新堂家に到着した。


「ただいまー」


 意気揚々と家に入っていくミーコのあとに、杖をついた新堂とさりげなくそれを支える瀬場が、その後ろに翠と恒星が続く。

 車内での短い仮眠のあと、翠はすっかり元気を取り戻したようだった。


 監禁されていた真山家から脱出し、ようやく家に帰ってきたところだというのに、いつもの通り最後尾できっちりと玄関まわりの戸締りをした恒星が、靴を脱いでリビング・ダイニングに続く廊下に上がったところで、


「いつやったの? これ」


 前を歩く翠の銀色の髪を、なにげなくつまんだ。


 振り向いた翠が、


「今日の昼間に……ああ、そうだ」


 急に目をまるくしたかと思うと、廊下の真ん中で足を止める。


「しまった。美容室の人に、今日は髪を洗わないようにと言われたんだ」


 火事の煤で、汚れてしまったんだけどな。

 困った顔でつぶやいた翠に、恒星が吹きだす。


「別に、いーのよそんなん。気にしなくても」


「そうなのか?」


 不思議そうに翠がたずねる。


「いーのいーの。染めた当日はシャンプー禁止っていうのは、色落ちさせないのが目的なんだから。カラーリングの」


 おかしそうに言った恒星が、


「むしろ洗えば? 早く元に戻したいっしょ? 髪色」


 保護者のような目で翠を見返した。


 わざとというわけではなかったけれど。よりによって銀髪にしていた自分のせいで、ブルーの作戦のため翠に極端なカラーリングデビューをさせてしまったことに、恒星は軽い罪悪感のようなものを感じている。


 向かい合って立った翠が、視線を上に向けて軽く首を傾げた。


「……どうだろう」


「は?」


 戸惑った顔で、恒星が聞き返す。


 前髪をひと房つまんで眺めながら、


「たまには、こんな風なのも……おまえとお揃いも、悪くないかな、と」


 翠が、にこ、と邪気のない笑みを浮かべた。


「……あっそ」


 片手で口元を覆って、恒星が目をそらす。


 みるみるうちに赤くなった目元を、不思議そうに翠が眺めた。



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