【Treasure4】 4.(3)
恒星の隣で眠りに落ちながら、翠は、真山邸の階段の前の暗い廊下で起きたことを思い返していた。
(――あのとき、思い出した)
あの男の子――慧の小さな手で、優しく髪を撫でられたとき。
翠の記憶の底から、忘れていた光景が浮かび上がってきた。
幼いころから何度も見てきた、真冬のバラ園から始まるあの夢。
記憶からはすっかり抜け落ちていたが、慧が現れるその導入部は、幼い自分の実体験にもとづいていたらしい。
真山晴臣に捕らえられ、母と引き離されてひとりで監禁されていた、三歳になる直前のあのころ。どうやら当時の自分が閉じ込められていたのは、先程までいた真山邸の、恒星のいたあの地下牢だったようだ。
それを恒星を連れ出したときにはまるで思い出さなかったのは、長い年月を経て内装が変わっていたせいか。あるいは、幼かった自分の目には、あの地下牢は違って見えたのか。
一方で、恒星と戻った図書室で窓から目にした冬のバラ園の風景には、既視感と呼ぶべきか、不思議な懐かしさを感じた。
(……身体が、覚えていたのかな)
後部座席でまどろみながら、翠はゆっくりとおぼろげな記憶をたどる。
母と引き離され、あの地下牢にひとりで閉じ込められて、数日たったある日。
おそらく、翠自身というよりは、移植を控えた大事な心臓のためだったのだろう。たまには日光にあたらなければ身体に悪いと、翠は見張りに連れられて、庭で日光浴をすることになった。
二月十三日。偶然にも、その日は翠の三歳の誕生日だった。
そして。
――偶然が、重なったのだろうか。
人目につかない庭の隅に放置され、膝を抱えてひとりで泣いていた翠の前に、屋敷の住人である年上の男の子――当時は五歳半だったはずの、慧が現れたのだった。
(――公園みたいに、広いお庭だ)
ここでじっとしているようにと言い残して、見張りの男が煙草を吸いに立ち去ると、幼い翠は地面に腰を降ろしたままあたりを見回した。
座っているのは、さっきまで閉じ込められていた建物の壁のそば。
頭上には、白っぽい真冬の空が広がっている。
頬に当たる、澄んだ冷たい空気。
日が当たっていたせいか、お尻の下の地面はうっすら温かい。
(あ。うちのと似てる)
少し離れた場所に植えられた植物のつるに、翠の目がとまった。
冬だから、お花は咲いてないけど。
あそこにいっぱいあるあの枝は、きっとバラの木だ。うちのお庭にあるのと同じ。
母さんの好きな。
(――母さんが、いない)
思い出すと、また泣きたくなった。
そういえば、いつもならそろそろ、母さんと一緒に「お池の公園」に行く時間だ。
朝ごはんを食べて、歯みがきをして、お掃除とお洗濯が終わったら出発。
車にひかれないように、歩くときはちゃんと手をつないで。
お池のまわりでお花を見て、お魚にパンの耳をやって。
(このお庭には、お池はないみたい)
翠はまた、あたりを見回す。
お魚はいない。
――母さんも。
我慢できなくなって、翠は膝の上に顔を伏せた。
泣いたらまた、怒られるかな。あの、知らない怖いおじさんたちに。
でも。
翠の小さな眉間に、しわが寄る。
母さんに、会いたい。なんで母さんがいないの?
聞きわけのいい翠に安心して、見張りが目を離した今。長い睫毛に縁取られた大きな目から、絶え間なく涙があふれだす。




