【Treasure4】 2.(2)
身をよじるような動きに合わせて、赤い敷物の上でガウンの裾が不規則な弧を描いた。
ほっそりした手の中で激しく揺れる、キャンドルスタンドの炎。
「嫌よ、嫌よ、嫌よ」
「馬鹿、よせ!」
振り回される炎に、たまらず真山と部下が駆け寄って止めようとしたものの、
「嫌あああああ!」
わずかに早く、絶叫した陽子の手からキャンドルスタンドが滑り落ちた。
大きな蝋燭を包んだガラスが、音を立てて砕け散る。カーペットに移った炎が、瞬く間に燃え広がった。
勢いを増した炎が、陽子の白いガウンの裾を舐める。
「キャアアア!」
甲高い悲鳴をあげて倒れた陽子に、真山が咄嗟に脱いだ上着をかぶせ、ガウンの火をなんとか消し止めた。
部下たちが近くの部屋から持ち出した消火器で廊下の消火を試みるが、
「無理です!」
「なんだこの火は?! 回るのが速すぎる!」
早々に根を上げる。
窓のカーテンに燃え移った火から、黒い煙が上がり始めた。
だが、廊下の天井に設置された火災報知機は、どういうわけか反応しない。
一方、廊下の奥では、真山たちから逃れ上の階に続く階段を登りかけていた翠が、背後の惨状に気づいて立ちすくんでいた。
手すりに手を掛け振り向いた翠の視線の先、先程までいた図書室前の廊下には、黒い煙が充満している。煙と炎に包まれて、真山たちの姿は既に隠れかけていた。
不思議と、火はそれ以上広がらず、被害は真山たちの周囲にとどまっている。
「……」
眉根を寄せて目を細めた翠が、ハンカチで鼻と口を覆うと、登ったばかりの階段を駆け下りた。
そのまま、消火活動に加わろうと廊下を進みかけた翠の目の前に、
「――え?」
その進路を塞ぐかのように、煙の中から突然、小さな男の子の姿が現れた。
住み込みの使用人の子どもだろうか。それにしては、当主の真山をはじめ大人たちがすぐそばで騒いでいるというのに、そちらを気にする様子もなければ、どうやら大人たちの方でも彼の存在に気づいていないらしいのが、なんとも奇妙だ。
それに、いくら幼い子どもとはいえ、炎や煙をまるで気にする様子がないのもおかしい。
そもそも、こんな夜中に、広い屋敷の中でも普段は使われていない場所を、小さな子がひとりで歩いているというのが不自然だ。
小さな身体にぴたりと合った、質のよさそうなコートに身を包み、翠に向かって歩みを進める少年。
白い頬にうっすら笑みを浮かべ、すべるような足取りでまっすぐ近づいてくるその姿に、
「――君は」
気づいて、翠がつぶやく。
ほっそりした身体と大きな瞳。子どものころの自分とそっくりな、この男の子は。
「……ごめんね」
夢の中で何度も聞いた幼い声で、男の子が翠の顔を見上げた。
だが、いつもの夢とは違い、翠は現実と同じ十九歳の姿のままだ。
なにより、これは夢ではない。
「……」
状況が理解できないまま、幼い彼と視線を合わせようと、無意識に身をかがめた翠に、
「ずっと、大変だったね」
少年がコートのポケットからハンカチを取り出すと、背伸びして、翠の額の汗をそっと押さえた。
『――真山、慧?』
肌触りのいい真っ白なハンカチの下で、声を出さずに翠の唇が動く。
間近で見ても少年の顔は、以前新堂に見せられた生前の真山慧の写真とまるで同じだ。
気づいていないだけで、自分はやはり、夢の中にいるのだろうか?
幼くして亡くなったという兄。
その彼がなぜ、今ここに。
混乱する翠を前に、
「ごめんね」
もう一度言って、寂しそうに微笑むと、男の子は小さな手を伸ばして翠の髪を撫でた。
「もう、大丈夫。ママは、僕が連れて行くから」
(……あ)
翠が、なにかを思い出したように目を見開く。
「おうちへお帰り、翠」
柔らかな声でそう告げると、少年は翠に背を向け、もと来た道を戻り始めた。
「……」
なにも言えず見送る翠の目の前で、彼――慧の小さな後ろ姿は、遠ざかるにつれ、徐々に周囲の風景と同化するように透明になっていく。
「あ……」
目をみはった翠に、少年が一度だけ振り返って、にっこり笑った。
やがて、廊下に広がる煙の前で、小さな姿はかき消すように見えなくなった。




