【Treasure4】 2.(1)
廊下の奥の暗がりからにじみ出るように、華奢な白い姿が現れた。
「慧ちゃん?」
どこか調子の外れた、ふわふわとした声。
焦点の合わない大きな目と、ふっくらした半開きの唇に、乱れた長い髪。
白いガウンをはおり、火のついたキャンドルスタンドを手にした真山陽子が、ふらつく足取りで翠に向かって歩いてくる。
緊迫した場面で突然現れた妻の姿に、
「……陽子」
困惑と苛立ちの入り混じった声で、真山がつぶやいた。
屋敷の奥の豪奢な自室で、二十四時間ナースやメイドに見守られているはずの妻が、よりによって今、なぜここに。
部下たちが、翠から目を離さないまま、無言で真山の両脇を固める。
「慧ちゃん」
ふらふらと翠に近づいた陽子が、
「慧ちゃんの大好きな、クリスマスのキャンドルよ。今年も教会で、一緒にお歌を歌いましょうね」
両手で構えた銃が目に入らないかのように、嬉しそうに翠の顔をのぞき込むと、古風なデザインのキャンドルスタンドを掲げて讃美歌を口ずさみ始めた。
傍らの陽子には目もくれず、真山に向かって銃を構える翠の頬を、ろうそくの揺れる炎が照らす。
「そいつから離れるんだ、陽子」
真山の鋭い声に、おっとりと陽子が振り返った。
「あら。あなたはいつもお忙しくて、ご存じないでしょうけど。去年はこの子、教会のキャロリングにも参加したのよ? とてもいい声をしてるって、シスターたちが褒めてくださって」
「黙れ。慧はもう」
苛立った真山が、際限なく続きそうな妻のおしゃべりをさえぎる。
それにくすくす笑った陽子が
「おかしなパパね、慧ちゃん」
ふらつきながら、さらに翠に近づいた。
薄暗い廊下に浮かび上がる、翠によく似た華やかな美貌。大きな黒い瞳が、うっとりと細められる。
「わが子ながら、本当にハンサムに育ったものね、慧ちゃん」
自分より高い位置にある頬に伸ばしかけた陽子の手が、翠の声で動きを止めた。
「俺は、慧じゃない」
陽子の顔も見ないまま、翠が無表情に告げる。
「……嫌だわ、慧ちゃんたら。おかしな子」
翠の頬に触れようとした手を降ろした陽子が、長い髪を揺らして、おかしそうに笑いだした。
「お友達と遊びまわってばかりで、ちっともうちに帰ってこないで」
白いガウンの腹を抱えてヒステリックに笑うその目には、翠の手の中の銃も、真山の両脇でこちらを向いて身構える屈強な部下たちも、映ってはいないらしい。
「ねえ慧ちゃん。ずっと会いたかったのよ? ママは」
息を切らしながら、陽子が言った。
笑いすぎて涙を浮かべた大きな目が、翠を見上げる。還暦を過ぎてもなお瑞々しい、翠によく似た白い顔。
構えた銃の先を見据えたまま、翠の目がかすかに細められた。
「――俺の母親は、あなたじゃない。成海碧だ」
その瞬間、陽子の目つきが変わった。
「……嫌よ」
地を這うような声と共に伸ばされた手から、翠が素早く身をかわす。
食い入るように自分を見つめる陽子をその場に残し、翠が身を翻して廊下の奥へと駆け出した。
「待て!」
追おうとした真山と部下の前で、
「……嫌よ。そんなの嫌」
長い髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、廊下の真ん中で陽子が大きく首を振る。




