【Treasure2】 3.(3)
「……何の話? これ」
ソファの上でジーンズの膝を抱えたミーコが、画面を眺めながら、誰にともなくつぶやいた。ボーダーの長袖Tシャツからのぞいた指先には、爪が白くなるほど力が込められている。
昨夜はろくに眠れなかったらしく、大きな目の下には、くっきりしたクマができていた。
「……」
三人掛けソファに隣り合って座る翠が、画面に目をやったまま、無言で唇の前に人差し指を立てる。
仕方なく口を閉じたミーコに、
「恒星君のことだよ」
斜め向かいの席から新堂が、画面を見ながら低い声で告げた。
「……!」
振り向いたミーコの猫目が、大きく見開かれる。
まもなく、真山の出演した経済コーナーは終わった。
リモコンでテレビを消した翠に、
「……やはり、おまえと恒星君を交換したいということだな。翠」
落ち着いた口調で、新堂が声を掛けた。
「交換? こーちんと翠君を?」
ポニーテールを揺らして、ミーコが新堂を見上げる。
「さっきのあれは、真山から我々へのメッセージだ」
新堂がうなずいて言った。
「翠は幼いころから、真山晴臣に狙われてきた。自身の後継者にと。
生まれながらにして一人では到底使いきれない富と権力を有する真山にとって、この世でもっとも価値あるものは、血。つまり真山家の、それもなるべく長男に近い遺伝子だ。
……そして、自らの利を得るために相手の弱点を探るのは、彼らの常套手段」
新堂がさらりと続ける。
「恒星君を人質に翠を手に入れたあと、薬物を用いて翠を洗脳した上で、真山グループの次期総裁として関係者にお披露目。おそらく、向こうの頭にあるのはそのような筋書きだろう」
「なにそれ!」
弾かれたようにミーコが叫ぶ。
「ひどすぎる! 翠君のこと何だと思ってんの?」
それに構わず、
「……俺も、そう思います」
翠が新堂にうなずいた。
「翠君!」
叫んだミーコには目も向けず、翠は背中を丸めて両の膝に肘をつき、組んだ手で口元を覆う。
そのまま、眉をひそめて長い睫毛を伏せた翠に、心配そうに瀬場が目をやった。
「……そういうわけだ。各自、情報を集めて、一時間後にまた集まろう」
無表情に言った新堂は、
「……翠。無理はしなくていい。しばらく休みなさい」
翠に向かってそう告げると、瀬場を連れて席を立った。
「――すまない、ミーコちゃん」
昨夜と同様、ふたりきりになったリビングで、翠が顔を伏せたままつぶやくように言った。
「何もかも、俺のせいなんだ」
「……どういうこと?」
端正な横顔に向かって首を傾げたミーコに、左隣に座った翠がゆっくりと顔を上げる。
「……あの真山百貨店の金のバラは、俺をおびき出すための罠だった。ブルーにあのバラを狙わせることで、真山は、俺たちの情報を引き出そうと。……その可能性に気づいていながら、俺は抗えなかったんだ。母さんが好きだったバラを、真山に汚されるようで……耐えられなくて」
形のいい眉が、苦しげに寄せられた。
「事件の捜査を縮小するよう、真山が百貨店を通じて警察に働きかけたのも、やつが手がかりをひとりじめするためだ。ブルーを――俺を警察に渡さず、自分のものにしようと」
「ちょ、翠君? 大丈夫?」
話を遮るように、ミーコが翠の肩に左手をかけた。
貧血だろうか。顔を上げた翠の唇には、まるで血の気がない。
翠が、弱々しく笑った。
「……昔から、誘拐の話になるといつもこうなんだ。父さんたちもそれを知っているから、さっきはあんな風に」
翠が母親と共に真山に捕らわれたのは、三歳になる直前。そのときのことは、幼すぎてほとんど覚えていない。
だがその後、逃れた先のスイスでも、翠は真山家の手の者に誘拐されかけた。六歳のときのこの事件については、記憶は相当残っている。
「情けないな。ごめんね、ミーコちゃん」
苦笑して、そっと離れようとした翠の身体に、
「情けなくないよ」
ミーコがぎゅっと両腕をまわした。
「そんな目に遭ったら、あたりまえだよ。思い出して、しんどくなるの」
ソファの上に膝をついて、ミーコが翠の肩を抱きしめる。ボーダーシャツから伸びた小さな手が、よしよしと翠の髪を撫でた。
「……ありがとう」
冬の弱い日差しが差し込む朝のリビングで、静かに目を閉じた翠は、そのまましばらくミーコの肩に頭を預けていた。




