【Case1】3.逃亡は計画的に (1)
「おいしかったー。こーちん、お料理上手だね!」
数週間後。並んで夕飯の食器を洗いながら、ミーコが言った。
野良JKはその後、本名を父親の探索網にキャッチされないように、という翠の提案により、正式(?)にミーコと呼ばれることになった。「コードネームとでも思ってくれれば」とかなんとか、安定の中二病発言をかましていた翠は、今日は夕飯のあと便利屋の依頼人との打ち合わせに出掛けていったところだ。
「まあな。親父とふたり暮らしだったし」
俺はすすいだ皿をミーコに渡しながらこたえる。
料理は子どものころから生活の一部だったから、今さら苦にはならないが手間もかけない。
今日のメインは、鮭のムニエルに野菜と舞茸を炒めてソースみたくしたやつ。手っ取り早くビタミンCを摂るため、レモンも絞った。あとは冷凍しじみの味噌汁とか、肉屋のコロッケとか、簡単なもんだけ。
「翠に任すと、肉のおかずに肉、みたいなメシになんだよなー」
顔に似合わず肉食の翠のせいで、この家に来てからも料理は俺の担当だ。
中高でラグビーやってたせいで、正直俺は身体づくりが趣味っぽくなってるとこもある。筋肉にはたんぱく質、も大事だけど、それだけじゃだめだ。ビタミン鉄分カルシウム、その他諸々も、非常に重要。
「こーちんのお父さんって」
「ああ、死んだんだわ去年。事故で」
ミーコの問いに、案外普通に答えられて、そんな自分に俺は内心驚いた。
「そうなんだ。ごめんね?」
ミーコが焦った顔になる。
「平気。だいぶ落ち着いたし」
……軽く笑って、そんな風に言えたりして。
すげーな。“時間薬”って、ほんとに効くのな。
俺が高三だった去年の十二月、親父は交通事故で亡くなった。
四十代、っていうのは死ぬには若すぎるけど、よせって言ったのに徹夜明けに車運転してひとりでスノボ行って、疲れてんのに夜そのまま日帰りしようとして、って、それで道が悪くなってりゃまあ、事故りもするわなっていうね。まったく、最後まではた迷惑なおっさんだった。事故が対人じゃなかったのが、不幸中の幸い。
息子の俺がいうのもなんだけど、陽気で調子よくて人の話聞かない、ほんと、しょうがない人だった。「悔いのないよう生きろよー」が口癖で。
フリーで働いてたくせに、家事と束縛と金の計算が苦手な人で、そんなんだから嫁にも逃げられたんだろうけど。本人的には、悔いのない人生ではあっただろうな、間違いなく。
残されたスマホのデータには、スキー場で撮ったらしいかっわいいウサギの写真とかが残ってた。てか、ライター兼写真家って肩書だったのに、最後のカメラがスマホってウケる。
で、残されたひとり息子の俺は、これからどうするかってことになって。
付属の大学の推薦はもう取れてて、入学金その他初年度分の費用は払い込み済みだったけど。それ以外の見通しは、なにひとつ立てられなかった。
親父と住んでた古い賃貸マンションは、俺ひとりで暮らすには広すぎ、しかも、ボロくても家賃はバカにならず。
小樽で再婚相手と暮らしてる母親や、福岡に住んでる父方の叔母さんから、よかったら一緒に暮らそうとも言われたけど。このタイミングで、土地勘のない地方に引っ越すわけにもいかなかった。なにしろ、春から始まる大学もあれば、三年後には就活もある。
まあ、世の中的には、高校卒業してひとり暮らしを始める人なんていっぱいいるわけで。それが三カ月ほど前倒しになっただけ、って考えるべきだと、当時の俺は思ってた。
ワンルームに引っ越して、割のいいバイト探して、奨学金と母親からの援助を受けつつ、親父の保険金と合わせて生活費と学費をなんとかする。そのへんが、現実的な線だったんだろう。
……だろうけど、葬式とかの手続きしてるうちに、なんかもう、そういうの全部面倒くさくなって。
今思えば、気持ちが弱ってたんだと思う。単純に。
いくら「悔いのない人生」とかいっても、やっぱ、その日の朝まで元気だった親父が急に亡くなったのはこたえたし。
加えて、それまでの高校生活が不完全燃焼だったっていうのも、地味に効いてたのかもしれない。