【Treasure1】 3.(5)
「しかも俺は、よりによって、日本に戻ることを選んだんだ。真山の『ホーム』であるこの国に。……だったらなおさら、ひとりでいるしかないだろう? 『寂しい』なんて言うのは、甘えだ」
翠が軽く首を振る。
「幸い、今は恒星たちがいてくれるおかげで、ひとりぼっちってわけじゃない。それに」
不意に、真っ黒な瞳が揺れた。
「今さら、『寂しい』だなんて。……認めてしまったらもう、それっきり、立ち上がれなくなりそうで」
柔らかそうな唇の端が、きれいに左右対称に引き上げられる。
「そんなの、見たくないだろう? 誰も」
まるで、この話はもうおしまいとでもいうように、完璧な微笑を浮かべる翠。
(……でもさ)
俺はそっと目を伏せる。
こういうとき。
(――気づいちゃうのよね、俺)
たとえば、パジャマの上に着た、高そうなカシミアのカーディガンの袖の先。関節が浮き出るくらい固く握りしめられてる、その手とか。
「……ほんと、おまえってさー……」
俺はためいきをつくと、わしわしと髪をかき回した。
あーあ。明日の朝、寝癖すげーだろな、これ。
「あのさ。なんか、見苦しいとこ見られたくありませんみたいな空気、出してるけど」
俺は、ちろりと横目で翠を見る。
「結構さー、見てきちゃってんのよ、ミーコと俺。おまえのかっこ悪いとこなんて。今までにもう」
「……」
翠が怪訝な顔になった。
(なんだよ、自覚ねーのかよ)
俺はもう一度、小さくためいきをつく。
(俺らはもう、見ちゃってんだって。いろいろ)
たとえば、ミーコと俺に置いてかれたのに拗ねて、百万円も使って、地味な嫌がらせしてきたおまえとか。
猫の習性に疎すぎて、触り方がわかんねーどころか、正月早々無意味に手首ねん挫してたおまえとか。
「だいたいさ。寂しいとか、あたりまえじゃん? その状況」
俺は続ける。
「親父さんが忙しい以前に、友達だってろくに作れなかったんだろ? おまえ。ずっと、真山から逃げ回ってて。……無駄に、かっこつけてんじゃねーよ」
「――!」
翠の白い頬に、血が上った。
お。いい感じで怒ってんなー、こいつ。
「いいから、出せよ。思ってること」
挑発するように俺は言う。
「言ったって、どうにもならなくても。かっこ悪くても。それでも出せ」
「……」
強情に口をつぐむ翠に、俺は言葉を重ねる。
「むなしくても、出せ。諦めんな。自分の中にあるもん、『甘え』とかジャッジして、勝手に切り捨てんな」
「……」
翠の目に、戸惑うような色が浮かんだ。
「たとえ、自分が気に入らない気持ちでもさ。どうしたって、あるもんはあるんだよ、おまえの中に。そっからしか始まんない。……それを、『ない』って気づかないふりしても、どこにも行けねーから」
俺は、目の前の大きな瞳をのぞき込む。
「だいたいよー、なに焦ってんの? おまえ。へこんで立てなくなったら、休めばよくない?」
「!」
黒目がちな翠の瞳が、見たこともないくらいまるくなった。
はは、かわええ。
俺は右手を伸ばすと、緩いくせっ毛の頭を、やや強引に引き寄せる。
「それでも立てなきゃ、肩くらい貸してやるし」
「……」
無理やり俺の右肩に顔を押しつける体勢にされた翠が、無言で固まったのがわかった。
(あーこれ、びっくりしたリスみたくなっちゃってんだろうなー)
翠の後頭部に手をかけたまま、今までに何度も見てきた硬直してるきれいな顔を思い浮かべて、俺は声を出さずに苦笑する。
「……そういうもんじゃねーの? 仲間って」
ぽんぽんと背中を叩いてダメ押しすると、
「……そうか」
胸元で、小さな声がした。
ゆっくりと力が抜けていく、細身の背中。
翠の額が、俺の肩に埋められる。
「……そういうものなのか」
俺の腕の中で、翠が深く息を吐いた。




