【Treasure1】 3.(4)
「……そんな」
俺の言ったことを否定するように、けれど明白な「嘘」になるほどには言葉を重ねず、なんともお上品に苦笑した翠に、俺はさらにイラッとする。
「なんで? 自分でわかったから、言うのやめたんだろ? 嘘だって」
「……」
困った顔で、翠が黙り込む。
ふざけんな。バレバレじゃねーかよ。
目の前の長い睫毛に縁取られた瞳に、俺は容赦なく視線をぶつけた。
「別に、寂しいなら正直に言えばよくない? 寂しいって」
それでも黙って目をそらす翠に、
「……」
激烈に頭に血が上ってくるのを感じる。
ついさっき、誰もいないキッチンでひっそり再確認した、俺にしては殊勝な考え。複雑な過去を持つこいつの「鎧」、その内側に、あんまり踏み込み過ぎないようにしなきゃな、ってやつ。
……残念ながらあれは、一時の気の迷いだったらしい。
とん、とカウンターにグラスを置くと、
「ちゃんと口に出せよ。そんくらい」
俺は一歩、翠に近づいた。
「……言わなきゃ、誰も気づいてなんかくれねーんだよ」
いつも感じよく、微笑んで。
でもそれじゃ、誰にも気づけねーじゃん。おまえのSOS。
「言えよ。変えたかったら、状況」
俺は眉根を寄せて翠を見据える。
「……」
いつになくぐいぐい抉ってくる俺に、目を伏せた翠の表情がかすかに変わった。
一見、ただの無表情のようでいて、相手を拒絶するかたくなさを秘めた顔。多分、ずっとこいつと一緒にいる俺じゃなきゃ気づけなかった、わずかな変化。
……悪くないな、これ。
「なんだよ。拗ねてんのかよ?」
俺は、もう一歩踏み込んでみる。
翠との距離はもう、腕一本分もない。
「……拗ねてなんか、いない」
目を伏せたまま、渋々、って感じで翠がこたえた。
「じゃあ、言えよ!」
イラついて、でかい目をにらみつけて思わず腹から声を出した俺に、
「嫌だ!」
弾けるように翠が叫んだ。
初めて見る顔。初めて聞く声。
予想外の反応に、俺は目をまるくする。
「……なんでだよ? 言わなきゃなにも」
トーンダウンした俺を遮るように、
「変わったりしない! どうにもならない!」
翠が、激しく首を振った。
白い頬に、真っ黒な髪がかかる。
「……どうにもならないんだ。言ったって」
うなだれた翠に、
「……何がだよ?」
俺は、首を傾げてたたみかけた。
「……なんで、どうにもなんねーの?」
「……」
「教えろよ」
俯いていた翠が、パジャマの衿元を握って、ゆっくり顔を上げる。
「……『寂しい』なんて」
笑みを浮かべた口元に反して、苦しげにひそめられた眉。
「俺が『寂しい』なんて、ただの甘えだ」
――「甘え」?
「は? 何言ってんのおまえ」
わけがわからず、俺は翠の顔をのぞき込む。
華奢な翠のあごに、力が入るのがわかった。
「……どうにもならない。変える余地なんてない。ひとりでいるのはあたりまえのことなんだ、俺にとって」
俺を見上げて瞬きもせずひといきに言った翠の目から、光が消えた。
「……全部、俺が生まれてきたせいだから」
力ない声で、翠がつけ加える。
――あいかわらず、言ってることの意味はわからないけど、
「おまえ……?」
白い顔に浮かぶ絶望の色に、俺は絶句する。
翠が、俺の目を見返した。
「母さんが、真山に殺されたのも。父や瀬場さんが、今みたいに海外を転々とするしかないのも」
長い睫毛が、かすかに震える。
「俺のせいなんだ。俺が生まれて、生きようとしたから。全部、それが原因。……だから仕方ないんだ。変えられない」
「……そんな」
ようやく俺にも、こいつの言いたいことがわかった。
母親の不在――成海碧が、若くして命を落としたのも。父親がずっと外国で、無茶苦茶ハードな働き方をしてきたのも。
どちらも、理由は自分が真山に狙われているから。つまり、自分がこの世にいるせい。
だから自分は、生きている限り、ひとりきりなのも寂しいのもあたりまえ。それを変えることなんて、できない。
そう言い切った翠。
(……そんなわけない。何もかも、おまえが生まれたせいだなんて。そんな)
もちろん俺は、そう言ってやりたかった。
けど。
(――言えねーわ)
こいつは、悪くなんかない。父親や瀬場さんのことも、母親のことだって、こいつに責任なんて。
でも。
なにも言えなくなった俺の前で、翠がふと微笑んだ。




