【Treasure1】 3.(3)
なかでも、その手作りおやつは絶品で、秘書っていうより完璧執事みたいな彼のことを、ミーコと俺はひそかにセバ(スチャン)さんと呼んでいる。
特にミーコは、無口な彼にやたら懐いていて。この夏、ミーコにハグされたセバさんが珍しくおろおろしてた姿は、なかなか心温まる光景だった。
「ミーコちゃんには黙っていたけど。本当はあのふたりは、十月のミーコちゃんの誕生日前に、一度帰ってくる予定だったんだ。……仕事の都合でスケジュールが変わるのは、しょっちゅうで」
コンロの火を止めて、翠が苦笑した。
「珍しく今年は、年末年始を一緒に過ごせるそうだ。だが、それもまた仕事の進捗によっては変わるかもしれない。すまないな、落ち着かなくて」
「……いや、そんなの別にいいけど」
俺は、思わず目を見開く。
「それより、もしかしてずっとそんな感じなの? 親父さんって」
そういえば、去年の年末から今年の年始にかけても、新堂さんたちは海外だった。
当時の俺は、前のマンション……っていうか、ミーコの親父から逃れるための潜伏先から、ミーコや翠と一緒に今の家へ引っ越したりなんだりで慌ただしくて、あんまり気にしてなかったけど。
「そうだな。ものごころついて以来、ずっとこうだ」
不思議そうに俺を見返す翠。
「そっか。それは……寂しかったな」
俺は、軽く眉をひそめた。
人んちのことを、あんまりとやかく言うべきじゃないのかもしれないけど。つい、本音が出た。
翠と同様、俺も小さいころから母親はいなくて、ついでにうちには瀬場さん的な人もいなかったから、死んだ親父とふたり暮らしで。
ライター兼写真家だったうちの父は、翠の親父さんみたく海外飛び回るようなでかい仕事してたわけじゃない分、そこまでハードなスケジュールでもなかったと思う。
基本的には毎日家に帰ってきたし、たまに撮影で出張するときは、俺が小さいころは、保育園からの友達の家にあちこち泊めてもらってた。お返しに、父親がいるときは、いろんな友達がうちに泊まりに来たもんだ。親父の海外出張が俺の学校の休みと重なったときは、親父についてったこともあった。
思い返せば、寂しさを感じる暇がないくらい、にぎやかで慌ただしい毎日だった。「悔いのないよう生きろよー」が口癖の、父親のキャラクターのせいもあったけど。親父の調理スキルがひどすぎて、小学生のころから料理してたしな、俺。
他方、同じ父子家庭でも、翠の環境は俺とはだいぶ違っただろう。
極力他人と交わらない、外国での逃亡生活。……セバさんもいて三人暮らしとはいえ、すごくひっそりした毎日だったんじゃないだろうか。
しかも、仕事で親父さんが不在がちって。さすがに、翠が小さいうちは、セバさんが家にいてくれたんだろうけど。
それに。
俺は、なんとなくあたりを見回す。
キッチンのカウンターの向こうの、電気を落として静まりかえった広いリビング・ダイニング。
高校入学と同時に日本に帰ってきてからの翠は、実質ひとり暮らしらしい。
前の家も、マンションとはいえ、かなり余裕のある造りだった。帰国したてのころなんて、慣れない日本であの家でひとりで過ごすのは、結構寂しかったんじゃ――。
「そんなことは」
俺の言葉にこたえて言いかけた翠が、
「……」
そこで、不自然に言葉を切った。
その理由に気づいて、
「……気にすんなよ。別に、つきたきゃつけばいーじゃん。嘘」
俺は、大人げなくむっとする。
異常に“勘”のいいミーコや、“未来を見る目”を持った翠の親父さん。そんな彼らと同じ、特殊能力。
信じてもらうのは難しいと思うけど、俺には、他人の声の“響き”で嘘を聞き分けるという、特技っていうか力があって。
人の声にはそれぞれ、固有の“響き”がある。……って、俺は“響き”って捉えてるけど、ひょっとしたらそれは、いわゆるオーラみたいなもんかもしれない。
まあとにかく、俺には聞こえんだわ。その“響き”が。
で、その“響き”が、濁って聞こえんだよね。嘘ついてるときって。
そうは言っても、疲れてたりまわりがうるさかったりしたら聞こえなくなるくらいの、ゆるーい能力なんだけど、これ。
――『そんなことはない』『寂しくなんかない』
口に出しかけたそのセリフが、俺には嘘だとバレることを思い出して、話すのを途中でやめたんだ。こいつは。




