【Treasure1】 2.(5)
先月起こった、銀座の真山百貨店での、怪盗ブルーによる金のバラ盗難事件。
これまでもさんざん世間を騒がしてきた怪盗ブルーに、白昼堂々、真山百貨店創立百周年記念に作られた純金のバラの像を盗まれたとあって、事件の直後はマスコミやネットも大騒ぎだった。
だが、捜査にこれといった進捗のないまま、一月ほどたった今では、事件は取りざたされることもなくなっている。
そういや、珍しくあのときは現場にいなかったんだよな、このおっさん。
俺がそう思った瞬間、
「いやー。実は当時、私の刑事の勘が、あの金のバラの展示にブルーが興味を示すだろうと告げておりまして。あの日も、真山百貨店付近をパトロールするつもりにしておったんですが」
悔しそうな声で、警部が奥さんに言った。
「午前中、愛犬を動物病院に連れていくよう、妻に頼まれておりまして。百貨店にはそのあと向かうつもりが、まさか開店早々ブルーが現れるとは」
(……あっぶね)
奥のテーブルで、俺ら三人は黙って顔を見合わせる。
えーっと、これって、“早起きは三文の徳”的な?
まあとにかく、よかったー。警部の来る前に、仕事終わらせといて。
あの日、現場のデパートで、変装したミーコと俺は客に紛れて、別の場所でマジックショーをしている翠とスマホで連絡を取っていた。
いくら変装していたとはいえ、顔見知りのしかも捜査のプロに出くわしたら、さすがに気づかれたかもしれない。
グッジョブ、警部の奥さんと愛犬。
「それは仕方ないわよ。田崎さんのせいじゃないわ。第一、予告状もなかったっていうじゃない? あのときは」
慰めるように奥さんが言う。
「ですが、この田崎直次、たとえ愛犬のためとはいえ、長年培ってきた刑事の勘を活かせなかったことは、残念至極。それに今回、案外手がかりがありませんで」
田崎警部が、白髪混じりだが年の割にはみっしりと剛毛の生えた頭に手をやった。
「しかも百貨店側から、老舗の看板が大事とかであまり大ごとにはしたくないと、再三申し出がありまして。捜査は縮小しておるんですよ。おかげで私も、先日でお役御免です」
『えー?』
俺の隣でミーコが、声を出さずに口を開けた。
あの田崎さんが、ブルーの事件から外されてんのか。それって実質、捜査は打ち切りってことじゃねーの?
意外な展開に、俺も驚く。
けどむしろ、翠の顔出し動画とか、他の事件に比べて物証多めだと思うんだけど、あのケース。まあ、顔出しっつっても、変態チックな仮面つきだったけど。
もしかして、また情報統制されてんのか? 真山グループに。
向かいの席では、テーブルに肘をついた翠が、白い手を組んで難しい顔をしている。
そういえば、最近、こいつが考え込んでる姿を目にすることが増えたような気がする。さっきの“翠君カジュアルダウン計画”をミーコが企画したのだって、もともとは、塞ぎ気味なこいつの気分がアガるようにっていうのもあったと思うんだけど。……結果はともかく。
「お待たせしました。A定一つとB定二つです」
そこへ、柊二が料理を運んできた。
左右の手と腕に載せて二枚ずつ、うまいこと計四枚お盆を運んできた柊二が、俺らのテーブルに三枚置くと、残りの一枚をカウンターの田崎警部のところへ持っていく。
「お待たせしました。A定食です」
おお、田崎さんとお揃か。
A定のお盆を引き寄せながら、俺は思う。
この店のメニューは、日替わりでAとBの二種類だけ。和食のA定食と、洋食か中華のB定食だ。ちなみに今日のメニューは、A定がサバの味噌煮で、B定が回鍋肉。え、味噌縛り?
手頃な値段で野菜多めの食事がとれるここ「一椀」は、ラグビー部時代の名残で栄養オタクの俺と、肉食の翠とミーコの、双方の好みを満たすありがたい店なのだ。
おかげで俺らは、田崎警部に遭遇する危険があるにもかかわらず、この店に週一ペースで通ってしまっている。まあ、猫のフーちゃんに会えるっていうのもあるけど。
それとあとは……。
俺は、すっぴんのくせに目力の強い、どこか張り詰めた印象を受ける、あの白い顔を思い出した。
すらっとしてて年上で、親に反対されても検事になりたいってくらい意志が強いのに、笑うと急にあどけない顔になっちゃうあの人。
この店の近くにキャンパスのあるF大の大学院で司法試験を目指してる、田崎警部のひとり娘の椿さんだ。
この秋、椿さんの彼氏が、勤務先で産業スパイの片棒を担がされそうになっていたところを、翠の計画で俺らが未然に防いだっていう経緯もある。まあ、肝心の彼氏や椿さんは、俺らがサポートしたことはもちろん、警部の敵である怪盗ブルーに助けられたなんて、全然気づいていないけど。
(――元気かな)
正義感が強くて、まっすぐな人だから。試験勉強で無理しすぎてないか、ちょっと心配ではある。
この店には、例の彼氏と一緒によく来るって聞いたけど、俺らとは曜日や時間帯が違うせいか、その後は顔を合わせていない。
まあいっか。彼氏と一緒にいるとこなんて、正直見たくないしな。
俺は軽く首を振ると、サバの味噌煮に箸をつけた。
(まだまだだなー、俺)
好きな人の幸せを心から願える、器のでかい男への道は遠い。
「ごちそうさま。お勘定!」
カウンター席から、「刑事は早メシ」が持論の田崎警部が、早くも食事を終えた声が聞こえてきた。




