【Case3】3.挑発、あるいは地雷 (5)
「ねえあなた。いったいあの子は、いつまで外で遊んでいるつもりなのかしら?」
また気分が変わったらしく、陽子が真山の背後でくすくすと笑いだした。
「そりゃあ、お友達と遊ぶのは楽しいでしょうけど。ずっとそうしているわけにはいかないわ。あの子には、この真山の家を引き継ぐっていう大事な使命があるんですもの」
やれやれというように頭を振って、陽子が苦笑する。
「いつになったら、このうちに帰ってくるつもりなのかしら。ほんとに困ったものだわ、慧ったら」
「……陽子」
思わず、真山は妻を振り返った。
あいかわらず彼女の頭の中では、十五年前に亡くなった長男が生きているらしい。
それどころか――。
「ねえあなた。ご覧になって?」
得意げに、妻が数枚の紙を真山に差し出した。
「……これは」
見覚えのあるその内容に目をみはった真山に、
「わが子ながら、ハンサムに育ったものよね」
陽子が誇らしげに笑いかける。
それは、ホテル・マヤマや真山百貨店の監視カメラのデータから作成された、怪盗ブルーの画像だった。
ホテル・マヤマでロビーの監視カメラに近づいたときに撮影された、スーツ姿のブルーの、首から下の画像。
そして、真山百貨店の八階展示ブースで壁掛けテレビの画面に映った、仮面をつけてトランプマジックをするブルー――翠の顔。
「……さっきから、いったい何を」
プリントアウトされた荒い画像を握り締め、真山は陽子の細い肩に手を掛け声を荒げた。
「こんなものを、どこから」
ついさっき目にした通り、妻の精神状態は短い時間の中でも目まぐるしく変化する。これまでにも陽子は、ときたま訪れる正常な精神状態のときには、周囲が驚くようなことをしてのけることがあった。
だがそれが、真山が秘密裏に集めていた、ブルー――翠の情報にアクセスできるほどだったとは。
「なぜ、こんなものを」
険しい表情で詰問された陽子が、
「……ふっ。あはははは!」
いきなり身をのけぞらせると、肩を震わせ大声で笑い出した。
われに返った真山が、妻の身体から手を離す。
「奥様、これ以上は、もう」
泣き出しそうな顔で、メイドが陽子をなだめる。
そのとき、慌ただしい足音と共に、
「奥様!」
息を切らせて、大柄なナースが駆けつけた。
けたたましく笑い続ける陽子の身体を、メイドとナースが二人がかりで押さえつける。
「さあ、お部屋へ戻りましょう。奥様」
「お休みの時間ですよ」
幼い子どもに言って聞かせるようなふたりの声を背に、真山は足早にその場から立ち去った。その後ろに、無言で秘書が続く。
「……ふふ……はあ」
数分後、陽子はようやく笑うのをやめた。
見る間に全身から力が抜け、
「奥様!」
メイドとナースの前で、華奢な身体が冷たい床の上に崩れ落ちる。
倒れた拍子に、白いガウンのポケットから、古びた小さな紙片のようなものが音もなくすべり落ちた。
それに気づかないまま、
「奥様!」
「しっかりなさってください、奥様!」
そばに膝をついたメイドたちが、女主人に必死で声を掛ける。
意識を失った陽子と彼女を取り囲むメイドたちの傍らに、ひっそりと取り残された縁のすり切れた小さな紙片。
それは、庭のバラ園のそばで写されたものとみられる、古い写真だった。
ふっくらした白い頬と、賢そうな秀でた額。まるで吸い込まれそうな、真っ黒で澄んだ大きな瞳。
古い写真の中で、愛らしい少年――陽子の亡くなった長男・慧が、カメラに向かって微笑んでいる。
その顔は、翠のスマートフォンの待ち受け画面や新堂のデスクの額縁の、碧と共に写った幼い翠の写真と、驚くほどよく似ていた。




