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【Case3】3.挑発、あるいは地雷 (4)

 冬の初めの美しい星空の下、男性秘書の運転する車が海沿いの道を走る。

 後部座席で、真山は切れ長の目を軽く閉じていた。


 都内にある個人事務所から車で一時間あまりの、海と山に挟まれた、隣県の閑静な高級住宅街。広大な真山家当主の屋敷は、古くから権力者たちの別荘地として栄えてきたこの地の一角を占めている。


 やがて、大きな門の前で車を止めると、


「……鈴木すずきです。晴臣様が戻られました」


 運転席の秘書がスマートフォンで警備に連絡した。


「お帰りなさいませ」


 門の脇のインターフォンから声がして、重たげな鉄の門がゆっくりと開く。

 中に進んだ真山の車に、門の内側の詰所から、警備のスタッフたちが頭を下げた。


 そのまま、砂利道の上り坂を車は進んでいく。


 しばらくして砂利道が途切れると、車は母屋の前の、表門よりは幾分小さな木製の門を通過した。

 詰所の警備員たちから、事前に連絡が入っていたのだろう。既に開いていた門の脇で、警備スタッフたちがうやうやしく頭を下げる。


 母屋の前の車寄せを通り、車は自宅用の車庫に入った。


 車を降りた真山と秘書が玄関へ向かう。

 住み込みの秘書が玄関のセキュリティシステムに対応すると、重厚なドアがようやく開いた。


 ちょっとしたパーティーなら十分開けそうな、磨き抜かれた広い板張りの玄関ホールに、真山と秘書は足を踏み入れる。

 久しぶりに自宅に戻った真山の前に、


「お帰りなさい、あなた」


 そのとき、思いがけず妻の陽子が姿を現した。

 つややかな長い髪と、翠によく似た華やかな顔立ちを前に、


「……陽子。なぜ」


 真山が立ち尽くす。


 明治時代に建てられた、アールヌーヴォー風の豪奢な建物。その奥に設けられた自室で、二十四時間ナースと部屋付きのメイドに見守られているはずの陽子。

 そんな妻が、しかもこんな夜中にたったひとりで玄関先にまで出迎えに来たことに、普段は表情の乏しい真山もさすがに驚きを隠せない。


「何をおっしゃるの?」


 細い首に筋を浮かせて真山を見上げた陽子が、甲高い笑い声をたてた。


「お仕事から戻った夫を出迎えるなんて、あたりまえのことじゃない。妻として」


 広い玄関ホールには巨大なシューズクロークが設置されているものの、西洋かぶれだったというこの家を建てた曽祖父の趣味により、屋敷は靴を履いた生活を想定した造りになっている。


 都内の事務所を出たときのままの、高価なスーツとビジネスシューズを身につけた真山たちと、ふたりの進路をふさぐように立っている白いガウン姿の陽子。ほっそりしたその足元は、冷え込む十一月の真夜中だというのに、素足に贅沢な刺繍が施された室内履きを履いただけだ。


 ホールの高い天井から吊り下げられた、凝ったデザインの優美な照明ランプ。その温かい色の光の下で、寝間着の上にガウンをはおり上機嫌に話す妻は、とても還暦を過ぎたとは思えない瑞々しい容貌を保っている。


 だが、青白い顔に浮かぶ表情とふらつく足取りは、精神の不安定さを物語っていた。


「……」


 言葉を失う真山らのもとへ、


「奥様!」


 そのとき、妻付きのメイドが血相を変えて駆け寄ってきた。


「申し訳ございません、旦那様。ここ数日落ち着いていらっしゃったものですから、つい」


 陽子の腕に手を掛けたまま、真山に向かって必死に頭を下げるメイドに、


「くれぐれも、目を離すなと言ったはずだ」


 吐き捨てるように言うと、真山はふたりに背を向ける。秘書が、黙ってあとに続いた。


 そのまま自分の部屋へ向かおうとした真山に、


「ねえあなた」


 メイドの手を払いのけた陽子が、背後から上機嫌に声を掛けた。


「あの子なんでしょう? あのバラ」


「……何の話だ」


 妻から顔を背けたまま、仕方なく真山が答える。


「だから、バラよ。……ふふ、あなただってご存じのはずよ? あの子が今日、デパートでいたずらした、バラ」


 理解不能な内容を機嫌よく話していた陽子の顔が、不意に歪んだ。


「バラよ。そう、バラ……あの女が育てていた、バラ。いまいましい、恩知らずのあの女が!」


 妻に背を向けたまま、真山の表情が凍りつく。


 陽子と真山が、亡くなった長男の心臓移植のために、代理母出産をさせた「あの女」――成海碧。


 碧の生まれた家は代々、一族の本家である陽子の実家で、庭の手入れを任されていたという。そのせいか彼女も植物の世話がうまく、とりわけバラを好んでいたらしい。


 幼い翠と碧が暮らしていたあの家の、小さな庭にも咲き乱れていたというバラ。

 ここ真山家の庭にも、国内外から人気種を集めた名高いバラ園があるが、碧の育てていたバラはそれとは違い、どこででも見かけるような安価で素朴なものばかりだったと聞いた。当時の部下――相田あいだから。


 久しぶりに思い出した名前に、真山が無意識に歯を食いしばった。


 相田あいだ充好(みつよし)。真山家の顧問弁護士として、自分の腹心として、碧との連絡係をさせていた男。


 何を血迷ったか、親子ほども年の離れた碧に入れ込み、やつに目を掛けていたこの自分を裏切って翠を連れ国外へ逃亡した、生涯許すことのない名前。――逃亡時に他人の戸籍を買い、今の名は確か、新堂というらしいが。



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