【Case3】3.挑発、あるいは地雷 (3)
「……例の口座のデータは、速やかに変更いたしました。真山化学のラボの状況につきましては、現在、鋭意調査中です」
部下が額の汗をハンカチで拭う。
よりによって真山グループの企業で開発していた化学物質を用いて、金のバラの偽物を作り、すり替えた本物のバラは即座に闇オークションで売却。その代金をあえて真山家の隠し口座に入金させた上、もともと口座にあった莫大な預金には一切手をつけず、代金の分だけ自分の懐に入れるという、なんとも人を喰ったブルーのやり方。
「……怪盗ブルー、か」
真山の低い声に、部下の肩がびくりと揺れた。
長い指を銀縁眼鏡のブリッジに掛け、目を閉じて軽く手を振ってみせた真山に、一礼した部下がそそくさと部屋を出る。
厚いドアが、静かに閉まった。
他に誰もいなくなった部屋の中で、
「……もう少し、手ごたえがあるかと思ったが」
机の上で指を組んだ真山が、目を閉じたまま小さくつぶやく。
所詮あれも、少しばかり頭がいいだけの子ども……いや、若造か。
「じき、二十歳だったな。怪盗ブルー――翠は」
ゆっくりと、真山が目を開いた。
眼鏡の奥の切れ長の目に、獲物をいたぶる肉食獣のような色が浮かぶ。
(こうもやすやすと、仕掛けた罠にかかってくれるとは)
かつてスイスで幼い翠の誘拐に失敗してからも、真山は自分たち夫婦の息子である彼の情報を追い続けていた。真山第一美術館での怪盗ブルーの最初の事件以来、ブルーの情報をひそかに収集してきた真山は、今や、その正体が翠だと確信している。
――真山は自分が、いわゆる天才ではないにせよ、合理的な思考と行動のできる人間だと自負している。
今日までの様々な場面において、真山家にとって最適な解を導き出すにあたり、「感情」などという陳腐で根拠のないものには決して溺れず、一度たりとも判断の合理性を損なったことがないというその一点で。
これまでのブルー――翠のやり口は、まったくもって気に食わないものの。
長男の慧が既に亡く、諸事情により自分が妻以外の女性との間に子どもをもうけることも困難な現在、彼――翠は間違いなく、もっとも「正統な」真山の血を継ぐ者だ。
現時点で自分の後継者に、翠以上にふさわしい者は存在しない。
――ならば、手に入れるまでのこと。
「……造作もなかったな」
真山の薄い唇に、酷薄な笑みが浮かんだ。




