【Case3】3.挑発、あるいは地雷 (1)
「めちゃめちゃうまかったじゃん。マジック」
その日の夜、夕飯後に「人をダメにするソファ」の隅でスポーツ雑誌を眺めていた俺は、向かいの一人掛けソファでタブレットを見ている翠に声を掛けた。
「……瀬場さんに仕込まれたんだ、子どものころ」
タブレットから顔を上げて、翠が微笑む。
「意外かもしれないが、彼はああいうことが得意で」
「仕込まれたって、カードマジックを? 独特だなー、新堂家の教育方針」
目をまるくした俺に、
「そういうわけじゃ」
小さくかぶりを振って、翠が笑った。
「前に、俺が誘拐未遂にあった話はしただろう? 六歳のころのことなんだが。そのあとしばらく、追手を撒くためチューリッヒからロンドンに住居を移したりと、いろいろと落ち着かない時期が続いてね。遊び相手のいない俺が退屈そうにしていたのを、瀬場さんが見かねたんだろう」
懐かしそうに話す翠に、
「いや、暇つぶしってレベルじゃねーのよ。あれは」
「そーそ。お金とれるよ翠君」
俺と、いつものように俺の隣で腹ばいになってごろごろしているミーコが突っ込む。
「ありがとう」
翠が、俺らに目を細めた。
「……で、なんで急に再開したわけ? ブルー」
続けた俺に、
「ほんとそれ!」
ミーコが勢いよくソファに手をついて、がばっと起き上がった。
「……」
ソファの揺れに耐えながら、俺は横目でガサツ系JKを眺めてためいきをつく。
おいー、腹見えちゃってんぞ。ロンTとスウェットの隙間から。
昼間にちらっと出てたおまえのお嬢成分は、どこに消えたのよ?
「……」
翠が無言で、手にしたタブレットの画面をミーコと俺に差し出した。
この前読んでいた経済誌のページだ。ゴージャスな自宅のバラ園の前で微笑む、真山晴臣の写真。
「真山家にバラは、ふさわしくないと思って」
真顔で意味不明な説明をした翠に、
「そういえば、バラの壁紙だもんね。翠君のスマホ」
ミーコが、こちらもまた意味不明の返しをする。
え、待って? バラがどうしたって?
俺は眉根を寄せて、ふたりの顔を交互に見た。
話についていけてないのって、俺だけ?
「ブルーのカードにも、模様入れてるし。バラ好きなんでしょ? 翠君」
「……とても」
ミーコにうなずいた翠が、端正な顔を曇らせて俺らを見る。
「すまない。ふたりを巻き込むのはもう、やめるつもりだったんだけど」
意外な言葉に、
「……なに言ってんだよ」
俺はソファの前のローテーブル越しに、翠の肩を叩いた。
「とっととやることやって、終わらせよーぜ。おまえが日本に来た目的なんだろ? 打倒真山」
「そうそう」
ミーコもうなずく。
「……そうだな」
つぶやくようにそう言って、膝に両肘をついたまま目を閉じた翠が、ゆっくりと長い睫毛を上げた。
「目的というより、ミッションと呼ぶべきなのかもしれないな。より正確には。……俺が、俺でいる意味がないように感じてしまうんだ。この計画を、成し遂げなければ」
思いつめたように吐き出されたその言葉は、「中二病全開かよ」って余裕で笑い飛ばせるような内容のはずなのに、そうはできないひどく重い響きをまとっていて。
「……おまえ。そんな」
咄嗟にどう返せばいいのかわからず、俺は口ごもる。
その隣で、
「えー? 翠君が翠君で? なにそれ?」
ソファの上に正座したミーコが、世にものんきな声をあげた。
「もー。翠君の言うことは、いつも難しいなー」
屈託のない声に、
「……そうか。ごめんね」
翠がほっとしたように笑う。
「ねー翠君。そんなことより、本物の金のバラは?」
急にミーコが、でかい猫目をらんらんとさせた。




