【Case2】3.たまには「日常の謎」スタイルで (1)
「いらっしゃい。お待ちしてましたよ」
翠が起業したばかりの、便利屋「ブルーオーシャン」。その最初のお客様である沢田さんは、穏やかな笑顔が印象的な七十代の女性だった。
都内で最も大使館の多い区の、広い日本家屋にひとり暮らし。ということは相当な資産家のはずだが、身なりや物腰からは、微塵もそんなことを感じさせない。品よくこぎれいではあるが、決して相手を緊張させない気さくな方だ。
「立派な」という形容詞がふさわしい、大きな松の枝がかかった門をくぐり、翠と恒星は仕事道具を手に庭先にまわる。
今が盛りのツツジの大きな植え込みから漂う、濃い春の香り。広い日本庭園には、たくさんの植物が植えられていた。
「きれいな色の制服ねえ」
ふたりの着ている真新しい便利屋のユニフォームに、庭に面した縁側で沢田さんが目を細めた。今日初めて袖を通した、「ブルーオーシャン」のロゴの入った揃いの水色のつなぎだ。
今日はこのお宅で、庭の掃除や電球の取り換えなど、細々とした用事を請け負っている。
「おふたりとも、よかったらこれ、どうぞ」
依頼内容の説明を終えた沢田さんが、突然、レモンイエローのカーディガンのポケットからアメを取り出した。
「ありがとうございます。あーこれ、懐かしい」
恒星が笑顔で受け取る。
「ふふ、そう? はい、あなたも」
小さな子にするようにお菓子を渡されて、内心驚いた翠だが、
「……ありがとうございます」
恒星を見習って、もらったアメをつなぎのポケットにしまった。
日本の習慣なのだろうか。脈絡なく、他人にアメを与えるというのは。
日本語や生活上の習慣について、帰国前に父と瀬場さんからいろいろと学んだはずだが、実際に生活を始めると、まだまだ知らないことは多いと痛感する。
ふと、翠と恒星の顔を見上げて、沢田さんがにっこりした。
「それにしても、なんだかよく似てらっしゃるわねえ、おふたり」
「……え? いや、そんなこと」
ちりひとつない縁側で、翠と並んでかしこまって正座していた恒星が、慌てたように顔の前で手を振る。
「そうお? 最近、若い人の顔の見分けがつかなくなってきたせいかしら」
沢田さんが、ふくよかな手を顔にあてた。紫がかったグレーに染められたふわふわの髪を揺らして、ちょっと首を傾げる。
「でもほんと、さっき門の前に立ってらしたときなんか、双子みたいだったわ。おふたり」
きょとんとする恒星の隣で、
(……やっぱり)
翠は、ひそかにほくそえんでいた。
頭の先からつま先まで、全身瓜二つのプロポーションの、恒星と自分。細かな顔の造作を抜きにすれば、やはり自分たちは他人に、よく似た印象を与えるらしい。
この特徴は、将来的には別の目的――真山側の目を欺くのにも使えるだろう。
「いえ。俺はこんな、王子様みたいな顔してませんから。頭は青いし」
焦った顔で沢田さんに両手を振って、翠の顔と自分の頭を示す恒星に、
「あら、そんなー」
沢田さんがころころと笑う。
「きれいな色ね、その髪」
「そうすか? ありがとうございます。ちょっと派手ですけど」
「あらー、そんなことないわよ。私のまわりなんかすごいんだから。みんな、黄色だの紫だの。年取ると、鮮やかな色の方が顔色がよく見えるからって」
「そうなんですね。うちの母親にも言っときます」
人づきあいの得意な恒星は、早くも沢田さんの心を開いたようだ。
(……わかってないな)
沢田さんと目の高さを合わせて楽しげに話す恒星を、無言で翠は眺めた。
自らの顔を「治安が悪い」という彼は(「治安が悪い」とは、不良っぽいという意味の若者言葉らしい)、自分が女性から好まれることに気づいていない。ずっとラグビー部の仲間に囲まれてきた彼に、女性からのアプローチを受ける隙がなかったせいもあるのだろうが。
ポイントはおそらく、彼がひそかに自信を持っているらしい筋肉質の身体、ではなく、奥二重の目元だ。
派手な髪色やファッションのせいで、第一印象では怖いイメージを持たれることもある恒星だが、下向きの睫毛に縁取られ目尻の下がった切れ長の目は、笑うと急にかわいらしくなって見る者にギャップを感じさせる。大きな黒目が、時折さらりと流れるような動きを見せるのもセクシーだ。
加えて、少し甘くて低い声と、気さくな態度。
そのとき、
「ねえ、おばあちゃん!」
軽い足音がしたかと思うと、縁側に腰を降ろした三人の前に、家の中から小さな男の子が走り出てきた。
沢田さんのそばに来ようとした男の子が、知らない男子学生たちの姿に、縁側につながる廊下で立ちすくむ。
「和ちゃん、お客様にご挨拶して?」
柔らかい笑顔になった沢田さんが、男の子に声を掛けた。
「……こんにちは」
翠たちの顔は見ずにぺこりとお辞儀をすると、男の子は逃げるように玄関の方へ駆けていく。
「かわいいですね。お孫さんですか?」
たずねた恒星に、
「姪の子なの」
沢田さんが目を細めた。
「うちは子どもができなかったから、姪が小さいころから、娘みたいにしてきたんだけど。だからまああの子も、孫みたいなものね。今日は姪たちが夫婦して用事だからって、和人を一日預かってて」
「そうなんですか」
恒星がうなずく。




