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【Case2】1.誠意は言葉より行動で示すタイプ (2)

「夕方、庭の草むしりしてたら急にキてさ」


 翠の父親の秘書である瀬場が、夏の間きれいにキープしてくれていた……という言葉では言い尽くせないほど、丹精込めて世話してくれた、南向きの広い庭を含む家のまわりの緑たち。


 ――『他の木からの、受粉が必要でございますよ、翠様』


 玄関脇のシンボルツリー、オリーブの木について、以前瀬場と話したときのことを翠は思い出す。


『よろしければ、手配いたしましょうか?』


 オリーブの実というのは、なかなかならないものなんだな、となにげなくつぶやいた翠に、瀬場は丁寧に説明してくれた。


『一度きりの受粉でなく、今後も毎年とのご希望でしたら、同じくらいの樹齢のものをもう一本植えるという手もございます』


『うーん、そこまでのことではないよ』


 翠は首をひねった。


『ちょっと、見てみたい気がしただけなんだ。オリーブの実がなっているところを、日本でも』


『さようでございますか。そういえば、以前、地中海沿岸に出掛けた折には、たくさんございましたね。オリーブの木が』


 穏やかにこたえた瀬場に、


『そうそう、懐かしいな。父さんの仕事で、スペインやイタリアを回ったときだね』


 翠は声を弾ませた。


『ここ日本でも、多少足をのばせばオリーブの実を見ることは容易かと。ただし』


 意味ありげに一呼吸置いて、


『食用にするには、少々手間がかかります』


 すました顔で言った瀬場に、


『覚えているとも』


 翠は笑った。


『通りすがりの農園で、オリーブ農家の方が摘ませてくれた実をそのまま口に入れようとしたら、父に慌てて止められたね』


『お小さいころの翠様は、本当に好奇心旺盛でいらして』


 楽しそうに、瀬場が目を細める。


 そんなふたりのそばで、


『……貴族なの? ねえ、やっぱ貴族なの?』


 うつろな目で、謎の言葉をつぶやいていた恒星。


 そのオリーブや庭にも、瀬場と新堂がシアトルに戻って以来、ろくに手入れをしていなかった。というより、たった今、恒星がその話を持ち出すまで、手入れの必要性を失念していたというのが正しい。


 恒星が、軽く前髪に指を通した。


「最近涼しくなってきたしさ。久しぶりに草むしりでもしとくか、って思ったんだけど」


 殊勝な考えでスコップ片手に草むしりを始めたら、いきなりくしゃみと鼻水が、という恒星の話に、翠は軽くうなずいた。


「それだな。スギ花粉にアレルギー反応を起こす人は、他のアレルギーも出やすいらしい。この時期なら、ブタクサとか」


「マジかー」


 恒星がしょんぼり眉を下げる。


「てか、ブタクサってどんなやつ? あそこに生えてんの?」


 首をひねって、翠の顔と今はカーテンのかかった庭のある掃き出し窓を交互に見る恒星に、


「俺も、見た目はあまりよく知らないが……そもそも、秋の花粉アレルギーの原因とされる植物は数種類あって、ブタクサとは限らないらしい」


 ポテトを口に運びながら、気の毒そうに翠が答えた


「幸い、どれもスギに比べれば背丈が低いから、花粉の飛ぶ距離は短いし、量も少ない。草むらなどに近づかなければ、春の花粉症に比べて症状は軽くすむようだよ」


 わかりやすく説明しながらも、恒星とミーコの目の前で、順調にポテトを減らしていく翠。


「……そんなうまい? それ」


 思わずたずねた恒星に、


「うん、おいしい」


 ポテトをつまむ手を止めず、翠は答える。


「でもさーおまえ、昔ロンドン住んでたんだろ? さんざん食ってきたんじゃねーの? 本場のフィッシュアンドチップス」


 恒星が首を傾げる。

 白身魚のフライとフライドポテトは、イギリスの名物料理だ。


 三歳で日本を離れた翠は、恒星の言う通り、ロンドンで暮らしていた時期もある。正確には、スイス・イギリス・アメリカで育ってきた、日・英・独の三か国語(とフランス語少々)が使えるトリリンガルだ。


「ああ。子どものころは、瀬場さんの作ったものしか食べていなかったから」


 思い出すように翠は言った。


「誘拐を避けるため、街中を出歩くことや、外食はめったになかったし。……それに、父が古風というか、少々神経質で。買い食いは不衛生だって」


 苦笑した翠が、


「フレンチフライは瀬場さんも作ってくれたけど、もっとじゃがいもの風味がして柔らかかった。こんなに歯ごたえのいい、まるでお菓子みたいなタイプは、日本に来て初めて食べたよ」


 頬を上気させ、うっとりした顔になる。


「あたしもポテトはカリカリ派ー」


 それに賛同したミーコが、


「でも翠君、それって冷凍のやつだから、」

「……黙ってろ」


 残念な情報を翠にお知らせしかけたのを、小声で恒星が止めた。


 それに気づかず、嬉しそうに目をきらきらさせながら、


「まだあるから、よかったらふたりも」


 満面の笑みでポテトのデリバリー容器を差し出す翠に、


「……いや。俺はもう、食ったから」


 口元を押さえて、恒星が目をそらす。


「あたしもお腹いっぱーい」


 ミーコも、笑って顔の前で手を振った。


「そうか」


 機嫌よくもぐもぐしている翠の脇で、恒星とミーコが顔を寄せてささやき合う。


「……久々にくらった? こーちん」

「慣れたつもりだったんだけど、たまにやられるとなー」

「わかるー」


 翠がたまに見せる、幼い子どものようなピュアな笑顔。眉間の力が抜け、目尻がこめかみからはみ出るんじゃないかというくらいふにゃりと溶けて、きれいな白い歯並びがのぞくそれは、ミステリアスだったり王子様だったりする普段の笑顔より、実ははるかに破壊力がある。


 しかし、安い冷凍ポテトが珍しくておいしいとは。さすがお坊ちゃま。


「翠君って、意外と子ども舌だよねー」


 テーブルに頬杖をついて、ミーコが言った。


「ポテトとか、オムライスとか。スナック菓子も大好きだし」


「果汁ゼロパーの棒アイスも、感動してたもんなー」


 ふたりに言われて、


「どれも、それまで食べたことのない味で。『当たり』の棒も、初めて見たんだ」


 ポテトのパックを抱えたまま、にこにこする翠。



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