竜騎士様のもとへお宅拝見に行ったら、理想のお家がありました②
今にも崩れそうな古い家や、二人で住むのも息苦しいくらい狭い平屋なんかをあれこれと想像していると、ジェンナがクスッと笑った。
「お嬢様、楽しそうですねえ」
「あら、わかる?」
「もちろん。でも良かった、前の御令息の時は、あちらのお家へ挨拶へ行くのすら、とても面倒くさがってましたもの」
「そうだったかしら?」
よく覚えていないが、言われてみれば婚約が継続していれば今月のうちくらいには侯爵家へ訪問し、あちらの家族と顔合わせする予定だったので、行きたくな~~いとか堅苦しいご挨拶の練習するのめんどくさ~~いとか、仲のいいメイドや小間使い達に愚痴っていた気がする。
結局、リリーとレナードというよりはデッケン伯家と侯爵家は相性が悪かったんだろう。
さてザックの家との相性はどうなるか……今のところザック本人とは順調だから良いと思いたいけど、こればっかりは実際に顔を合わせてみないとわからない。
ジェンナと話しているうちに目的地が近づいてきたらしく、馬車の速度が緩み始めた。
いよいよかと思うと急に緊張してきてそわそわしていると、蹄の音と一緒に車輪が止まり、御者のモームが声をかけてくる。
「着きましただよぉ」
襟に巻いたリボンが曲がっていないか指先でよく確かめてから、リリーが「よし、行くわ」と声に出すと、頷いたジェンナが逞しい腕で馬車の扉を開いた。
腰を上げ、狭い馬車から降りたリリーは、目の前に広がる光景に息を呑む。
場所は王都の外れ、大小さまざまな家が並ぶ静かな住宅地。
利便性は中心部に劣るが、緑が多く小鳥の囀る声も聞こえて、開放的な所だ。
そんな気持ちのいい土地の一画に、ザックの家はあった。
白く塗られた低い柵の向こう、よく手入れされた庭の上に、レンガ造りの家が建っている。
赤い三角形の屋根に、薄茶色の壁、二階建てで周りの家と比べると大きいほうだが、屋根に乗っている小さな風見鶏の他には余計な装飾もなく、嫌味な感じはしない。
ありふれた田舎の一軒家を、そのまま移築してきたような感じだ。
はっきり言って、ばっちり好み。
「素敵……」
ぽつりと呟いたその時、正面の扉が開き、中から三つの人影が出てきた。
使用人らしき、四十代半ばほどのエプロンを着けた痩せた女性、同じく耳当て付きの帽子を被った野良着姿の老人に、リリーの正式な許嫁にして家の主であるザック。
今日の装いは軍服ではなく簡素な普段着だが、恵まれた体格のおかげで貧相な感じはしない。
重厚で厳粛な軍服姿も良かったけれど、今日の服装も自然で柔和な感じがしてまた違う穏やかな魅力が引きたっている……というか、彼が何を着ていようが、リリーの目には好ましく映るのだ。
「リリー・アルシェ嬢。お待ちしていました」
温かに微笑むザックが、長い腕で柵の入り口を開けてくれる。
さっそく庭に入ったリリーは、まずペコリとお辞儀をした。
「お招きいただきありがとうございます、ザック様。とってもステキなお家ですね!」
「ん…そうですか?」
ザックはちらりと我が家を振り返り、複雑な表情になる。たぶんリリーが住んでいるデッケン伯邸と比べたらウサギ小屋みたいなものだとか思っているのだろうが、あんな大仰な館と比較したって仕方ない。
リリーにとっては忌々しい迷宮だし。
「もちろんですわ。屋根も壁も、とっても趣味がいいし、窓の意匠も可愛らしいです。
お庭だって日当たりが良くて、庭木の数もちょうどいい具合いですし……あら、あの花壇に植えてあるのは、ハーブかしら?」
南側の壁寄りにある大きめの花壇の中で生い茂り、愛らしい花をつけている植物たちが、観賞用ではなく香草の類であることはすぐにわかった。
世話が行き届いているようで、どの葉も花も陽光を受けて活き活きと輝いていた。
「セージに、ローズマリー、スイートバジルもあるわ。あの花壇は、あなたが?」
野良着の老人のほうへ目をやると、彼はこくりと頷いた。
そういえば紹介がまだだったと気づいたザックが、二人について教えてくれる。
「こちらは庭師のジャン=ジャックと、メイドのサーリアです。
ジャンは住み込みだがサーリアは近くに家があって、そこから通って来てくれている。
他に、週末だけ来てもらう掃除婦がいるが、ほとんどのことはこの二人に任せています。
サーリアもジャンも器用で誠実で、よく働いてくれます」
ザックが褒めるからには、二人とも本当に信頼できる人達なんだろう。
自分のことを気に入ってくれればいいなと願いつつ、リリーはまずサーリアへ右手を差し出した。
「リリー・アルシェ・デッケンと申します、どうぞよろしく。お会いできて嬉しいわ」
貴族の令嬢から握手を求められたサーリアは、ちょっと驚いたようだが、おずおずと手を伸ばしてきてくれた。
握手に応えてくれたその手は、連日の水仕事で荒れているが、ザラついた皮膚は働き者の証拠だ。
今度ここに来る時は保湿効果のあるクリームを持ってきてプレゼントしましょう、なんて考えていると、サーリアが頭を下げた。
そのまま穿いているスカートに頭が埋まるんじゃないかというくらい深く背を曲げてお辞儀したものだから、さすがにリリーもびっくりする。
「ど、どうなさったの」
「……すみません、お嬢さん。そいつは口がきけねぇもんで……」
老人特有の掠れはあるが、よく通る声でジャン=ジャックが代わりに答えてくれた。
「メイドの前は戦地で看護婦をしてたんだが、目の前に砲弾が落ちてきて爆発してね。
そのサーリアは運良く岩陰に隠れていたから難を逃れたんだが、かなり酷い光景を見ちまって……
それ以来、声が出なくなったんだそうだ。
おまけに、メイドへ職を変えてからは口がきけないからって同僚や雇い主からさんざん虐められたもんだから、すっかり卑屈になっちまった。
慣れるまでは貴女にも、そうやって行き過ぎなくらい気を遣うだろうが、どうか鬱陶しがらずに許してやってくだせぇ」
「まあ……」
彼女が背負うものを思い、表情を曇らせるリリーだが、すぐに笑顔へ戻った。
生半可な同情や憐憫は、かえって相手を不快にさせるだけだと、両親から教えられている。
「許すも何も、私は怒ってなんかいないわ。よろしく、サーリア。
私、貴族の娘にしては家の事そこそこするほうだけど、まだまだ未熟者ですから。いろいろ教えてね。
ジャン=ジャック、あなたも」
サーリアとの握手を済ませ、次にジャン=ジャックへ右手を向けると、老人はしっかりと握り返してくれた。
こちらも働き者特有の、ごつごつした温かい手だ。
「こちらこそよろしく、お嬢さん。無教養なもんで、こんな喋り方で済まねえ。
本当は帽子を取らなきゃいけないんだろうが、俺もこう見えて若い頃は兵士をやってましてね。
その時にヘマをやって左耳と頭半分、大怪我しちまった。
その傷痕が二目と見られねえ有り様でよ、とても若い娘さんにはお見せできねえもんで、すんません」
そこまで広範囲な傷となると、きっと火傷だろう。
銃か砲弾、それとも熱した油を被ったか。
いずれにせよ想像を絶する痛みを味わい、生死の境をさ迷ったに違いない。
ひどい傷痕といえど命がけで戦ってくれた証を恥じることはないと思うが、本人が見せたくないのなら、その気持ちを尊重するべきだろう。リリーは笑みを浮かべたまま、口を開く。
「あなたの喋り方、お父様と似ていて、とても心地良いわ。出身はどこ?ジャン=ジャック」
そんなことを訊ねられるとは思っていなかったのだろう。老人はキョトンと目を丸くする。
「ポシェの村です。ひづめ山の麓の」
「あら、デッケンの領内ね!どうりで聞き覚えがあるはずだわ。
今度ぜひ、うちに遊びに来てちょうだい。
我が家で働いているのは地元から連れてきている人ばかりだから、みんなきっと喜ぶわ」
「いや、そんな、恐れ多い……」
数日前のザックがそうだったように、ジャン=ジャックはリリーの気さくな態度に、ずいぶん戸惑っている。
ここは雇い主として助けを出しておこうと、ザックが口を開いた。