竜騎士様のもとへお宅拝見に行ったら、理想のお家がありました①
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怒涛の展開で婚約者が美麗なヘナチョコ侯爵令息から、勇敢で逞しい騎士様に代わって七日後、リリー・アルシェは将来の夫が現在住んでいる家を訪ねるため、馬車に乗って街の中を進んでいた。
かぽかぽと牧歌的な響きを奏でる蹄の音に耳を澄ませながら、いったいあの方はどんな家に住んでいるのかしら、と想像を巡らせる。
つい最近、王都に引っ越して来たばかりだから殺風景だし、三年前に主が亡くなってから放置されていたジュラール子爵のご友人宅をそのまま買い取ったので、小ぢんまりしていて大した家ではない、とザックは語っていた。
デッケン伯のお屋敷に比べれば、あばら家みたいなものです、なんて卑下していたけれど、どんなに貧相な家であろうと我が家よりは暮らしやすいに違いない。
生まれ育った故郷の城はともかく、王都に建てた別邸のほうは父が金にあかせて好き放題に増築・改装を繰り返すものだから、間取りも部屋数もメチャクチャで、方向音痴の気があるリリーは今でも時々……いや頻繁に迷う。
客間だけでも五部屋はあるし、趣味のために使っている小部屋なんて、一体いくつあることか。
どうせ全部、似たような武器だの鎧だのを収納するだけで、今やあの館全体が大きな玩具箱になっているような始末。ほんとに無駄遣いもいいところだわ……
「大丈夫ですか?お嬢様」
向かい合わせに座っていたリリー付きの小間使い、忠実で誠実なジェンナが、心配そうに声をかけてきた。
はっと我に返ったリリーは、自分が額に縦筋を作り、憤怒の表情になっていたことに気づく。
「な、何でもないわ」
慌てて微笑み、取り繕おうとするリリーだが、ジェンナを安心させることはできなかった。
「ずいぶん険しいお顔なさってましたけど、ご気分でも?」
「い、いいえ、平気よ。初めてザック様のご自宅へお邪魔するんだもの、向こうの家の方達に気に入ってもらえるかしらって、ちょっと緊張してるだけ」
「そうですか?それなら良かった。心配することなんて一つもありませんよ、いつも通りにしていれば、絶対に嫌われることはありません。
お嬢様は器量も気立ても良くて、私達領民にとっては自慢のお姫様ですもの」
「……ありがとう、ジェンナ」
お姫様なんて呼ばれるのはくすぐったいけれど、ジェンナの優しい笑顔を見ていると安心できる。
若い頃は女性ながら兵役に就き、戦場への輸送部隊や通信兵などをしていたという彼女は、元々は母の護衛兼小間使いで、二年前に母が亡くなってからはリリーの面倒を見てくれている。
元女兵士というだけあって骨太で筋肉質な体をしており、顔のほうも顎が角ばっていてお世辞にも美人とはいえない女性だが、軍医をしていた夫との間に三人の子を育てる母親だけあって、とても愛情深く世話焼きで心優しい。
第二の母とまではいかなくとも年の離れた姉とか親しい叔母とか、それくらい近しい距離感の、リリーにとってはただの小間使い以上に大切な存在だ。
同じようにリリーのことを大事に思ってくれているジェンナは、濃い眉の下にある黒い瞳でリリーを見つめながら、ふっと笑みを消した。
「……もしや侯爵家の方々のことが気になってらっしゃいますか?
お嬢様の新しい門出に、ケチをつけてくるんじゃないかって」
「え……いえ、そんなこと……」
気にしてはいない、と、すぐには返せなかった。
やはり少し、心の片隅では、元婚約者とその家族のことが気懸かりになってはいたからだ。
父に止められたのでリリーは直接顔を合わせてはいないが、ガーデンパーティーでの一件があった日の夜、侯爵本人がレナードを連れて我が家を訪ねて来た。
侯爵も、そして自分がしでかしたことの愚かさをやっと理解したらしいレナードも、顔を真っ青にして、土下座せん勢いで謝ってきたらしい。
愚息がご令嬢にとんでもない真似をして、本当に申し訳ない。
こうなってはもうレナードとの結婚が無くなるのは仕方ないが、良かったら次男か三男との縁談を改めて組まないか。
二人とも四男ほどではないが容姿の美しさは保証するし、リリー嬢と年も近いから、と。
侯爵は改めて申し入れをしてきたとか。
この呆れた提案を、父はもちろん鼻で笑って受け入れはしなかった。
『金では買えない、真実の愛とやらを大事にするお家柄と聞き及んでおります。
そんなご立派な志をお持ちの御令息がたと縁組など、我が家のような成金には恐れ多くて。金輪際お受け致しかねますなあ』
と嫌味たっぷりに返した後、
『一度は娘の夫にと決めた方だし、理由はどうあれうちのような田舎貴族と縁を組んでくれようとした気持ちは嬉しかった。
我がデッケンの家に上流貴族の血が入るという、夢を見させてくれた礼として、充分な額を支払わせてもらうつもりだ。
だからもう二度と、顔を見せないでくれ。
今、娘は新しい幸せを掴みかけているところなんだ。そっとしておいてやってくれ』
そう叫ぶように言って、父子を追い返したそうだ。
後日、侯爵家の会計係を勤めている文官と会い、侯爵家の借金を肩代わりした上、当面の生活に必要な費用としてそれなりの金を渡すので、こちらへは今後二度と接触しないという条件で話がつき、リリーとレナードの婚約は正式に解消された。
要は手切れ金をくれてやるので、リリーにはもう近寄るなと、いかにも父らしいやり方でこのイザコザに終止符を打ったのだ。
『借金って言ってもよ、大した額じゃなかったぜ』
会計係と契約を取りつけ、侯爵家との婚約も正式に取り消しとなった日の夜、疲れ切った様子で晩酌しながら父はポツリとそんなことを洩らした。
『今の侯爵家には、あの程度の金も用立てられないのかと思ったら、何だかもう怒る気力も失くなっちまってな……
あの侯爵様とは三十年くらい前、王都へ酒と果物の売り込みに来た時に知り合ったんだが、あの頃は賢明で慈悲深く、ご立派な方だった。
それがどうしてあんな風に……わからねえもんだな、人生なんて』
しみじみと語る父は、珍しくとても落ち込み悲しい目をしていて、リリーも胸が痛んだ。
確かにレナードはともかく、義父になる予定だった侯爵本人は気品に溢れた親切な方で、尊敬に値する男性だったからぜひ立ち直ってほしいところだが、これ以上はデッケン家がしてあげられることはないし、義理も無い。
という訳でリリーもスパッと切り替えて、次の道へ進むのみだ。
「……私も聖女ってわけじゃないから、レナード様を許したわけじゃないけど、もういいわ。
考えてみたらあの人のおかげで、ザック様と出逢えたんだもの!」
そう、あの日あの時レナードが芝居がかった婚約破棄をしてくれなければ、ザックが助けてくれることもなかったのだから、ポイ捨てしてくれていっそ感謝したいくらい、というのがリリーの本音だ。
知り合ってまだ十日も経っていないザックとリリーだが、二人の仲はすこぶる順調といっていい。
父から結婚の許しをもらってからザックとは二回、屋敷の外で会っているが、二回ともとても有意義な時間になった。
一回目は近くの公園を散歩し、二回目は外国から来た商人がたくさん露店を出す市へ行って買い物を楽しんだのだが、短い時間の中でもザックの良いところはたくさん見つけることができた。
硬派で頼り甲斐のあるリリーの騎士様は、有能な指揮官らしく面倒見が良い一方で、意外にも照れ屋らしい。
公園では小太りで気の弱そうな子を大勢で取り囲んで『コブタ、コブタ、ぶーぶー鳴いてみろ~~』と囃したてていた意地悪な子供達を本気で叱りつけて反省させ、市を歩いていた時にはリリーが気に入った猫の模様の砂糖壺を買ってくれた際、二人を夫婦だと誤解した女性店主から『良いご主人だねえ、奥さん幸せだ』と声をかけられて赤くなっていたりした。
そんなザックの新しい一面を知る度、リリーはどうしようもなく心惹かれていくのを感じる。
この淡い気持ちを恋といっていいのか、まだよくわからないのだけれど、この人となら家族として穏やかで温かい日々を過ごせるのではないかという、漠然とした予感があった。
だから今日の訪問は、とても楽しみにしているのだ。
“人間の本質はすべて生活している環境に表れるから、結婚する前に必ず相手の家を見ておけ”というのは父が祖父からもらったという格言だが、たぶん的を射ていると思う。
ザックの住まいはデッケン邸みたいな派手で大きな館ではないだろうけど、本当に倒壊寸前のあばら家だったらどうしよう。
それならそれで彼らしい気もするけど、あまり危ない所には住んでほしくないな。
寝ている間に天井が落ちてきた、なんてことになったら大変だもの……