ご令嬢へ電撃求婚した竜騎士、ご父君へ挨拶にいく②
ちょっと待ってほしいとザックが頼むより早く、隣に来た令嬢からさあこちらへと促され、断ることはできなくなった。
仕方なくリリー・アルシェと共に歩き出すザックだが、改めて近くに来た令嬢を目にして、何と美しい女性なのだろうと驚く。
ゆるく束ねて左側の肩に垂らした、まっすぐで艶やかな栗毛。
温かな光を放つ、程良い大きさの茶色い瞳と、高くはないがまっすぐで高貴な鼻筋、そして桜の花のような薄い唇が、絶妙なバランスで小さな顔に収まっている。
体つきも白鳥のごとくほっそりした首筋に、手足はすんなりと伸びていて、完璧に均整が取れており、爽やかな水色のドレスがシミ一つない乳白色の肌に映え、よく似合っている。
目を引く派手さはないが、穏やかで理知的な美しさを持つ女性だ。
たしなみ程度に薄く化粧はしているようだが、さっきのガーデンパーティーに集まっていた白塗りの女達に比べれば、ごく自然で好ましい。
こんなにも綺麗なご令嬢の隣にいるのが自分のような男でいいはずはないのだが、リリー・アルシェ嬢は構わず進み、門の前に来ると足を止めた。
「私よ、開けてちょうだい」
その一言で、重々しく頑丈な鉄製の門はあっさりと開いた。
一目で地方の出身とわかる素朴な顔をした二人の門番が出てきて、令嬢が通りやすいよう門を押さえる。
「お帰りなせえ、お嬢様……ありゃ?こりゃあ、誰だね?」
「侯爵令息はどうしただぁ?キンキラの髪の」
ザックを見て不思議がる門番達に、令嬢は肩を竦めてみせた。
「さあ?今頃はお美しい男爵令嬢様とパーティーを楽しんでいるか、それともお父上から大目玉を食らっているか……どちらにしろ私にはもう、関係ないわ。
この方はね、ザック様とおっしゃるの。
栄誉ある竜騎士様で、令息の代わりに私と結婚してくださるのよ」
「はえー」
「ほえー」
ご令嬢が口にした爆弾発言に、さして驚いた様子もなく、門番達はザックを見上げながら歯を剥きだしてニカッと笑った。
「そりゃ良かったねえ、おめでとさん」
「あの細っこい令息よりか、ずーーっとイイ男だぁ。殿様も喜ぶでよ」
……あれ?門前払い、されないな?
予想外の歓迎に目を白黒させているザックの戸惑いに気づきはせず、リリー・アルシェは門番達と話を続ける。
「そういえば、お父様はどこかしら。この時間なら、お屋敷でお茶でも飲んでいるかしらね」
「うんにゃあ、さっき庭いじりするって外に出てただよ。ほれ西側の、ライラック植えてあるとこ。
春までにキレイに剪定するだぁて、おっしゃってただ」
「またなの!?もう!!下手なんだから庭師に任せておきなさいって言ってるのに……まあいいわ、行ってみる。ザック様、こちらへどうぞ」
……これは、何だか妙なことになってきたぞ……
さっきからどうして、誰も俺に対して疑ったり憤ったりしないのだろう。
こんな無骨で額に傷のある大きな男、見苦しいと思わないのだろうか。
怪しい奴め、ご令嬢に近づくな!!と槍を向けられても仕方ないような風貌をしているというのに、何も言われないどころか門番達は温かい目でこちらを見送ってくれている。
「呆れていらっしゃいます?ザック様」
ふいに口を開いたリリー嬢から問いかけられたが、質問の意味がよくわからず、ザックはすぐには答えられない。
「呆れる?どうしてです?」
「その……私、使用人と距離が近いでしょう?
そういうの、貴族の態度としては普通じゃないらしいんです。
でも、うちの父は祖父が事業に成功するまではとても貧しくて、領主として慕ってくれる心ある領民達に色々と助けられながら何とか暮らしていた有り様で、亡くなった母のほうも一応、貴族の血筋ではあったんですけれど、令嬢というよりは豪農の娘と言ったほうがいいような家柄で。
だから両親とも、財産が出来てから擦り寄って来た同じ貴族より身分のない人達に親近感を抱いて、大事にするのが当たり前というのを我が家の方針にしているんです。
私もその辺はよく教え込まれて育てられたものですから、王都の偉い方々みたいに、庶民の出身だからといって、下働きの人達をモノみたいに扱うことなんて出来なくて―――……さっきのレナード様も、私が使用人達と親しくしているとすごく嫌がったんです。
だからザック様は……どうかなって……」
不安そうにしているリリー・アルシェ嬢だが、彼女の話を聞いてザックが疑問に思ったことはただ一つ。
……あの侯爵令息は、いったいぜんたいこの人の、何が気に入らなかったんだ?
外見の美しさにも加え、この優しさと慈悲深さ。まるで天使じゃないか。
「……俺の生まれたトルスという港町は、さびれた漁港しかない貧しい町でして。我が家もたいへんな貧乏でした」
俯いていた顔を上げ、こちらに目を向けたご令嬢は、不思議そうな表情をしている。
いったい何の話を始めたのかと訝しんでいるのだろうが、語らずにはいられない心境だった。
「多分その、貧しく卑しい生まれのせいでしょうね。いくら戦場に出て手柄を立てても、たまに国境の防衛線へ視察に来るお偉方からは随分と馬鹿にされたもんだ。
俺が近くに寄ると『腐った魚の臭いがする』とか言ってハンカチで鼻を押さえたり、配給食に魚が入っていると『貴殿の父上が釣り上げたのか?』と笑われたりね。
恐れ多くも竜騎士の称号をもらって戦場を離れ王都に来てからも、『潮風に慣れているでしょうから、王都の空気が合わないのではないかと、心配しております』なんて、からかわれたりもしました」
「まあ、そんな……」
悲しげに眉を下げる令嬢だが、心配には及ばない。
何故ならザックとて貴族などという連中は、形だけ武装したところでハエも殺せず、一人で舟に乗せれば為す術もなく沖へ流されていくだけの、くだらない贅沢で財産を食い潰すしか能のない無知で非力な金食い虫としか思っていなかったので、何を言われようとも気に留めたことはない。
ないのだけれどまぁ、これを言うのはやめておこう。
たおやかで美しいリリー嬢への侮辱になってしまうし、彼女に汚い言葉を聞かせたくない。
「どこへ行ってもそんな風だったから、貴族という身分の方々は皆、この社会がどんな仕組みで動いているのか、自分達が贅沢な暮らしをしていられるのは誰の働きがあってのおかげか、というようなごく簡単なことも知らず、考えようともしない。
そんな人達なのだと思っていました。
でも、貴女は違うようだ……ご両親もこの上なくご立派な志を持つ方々のようですし、こんな素晴らしい血筋の女性と出逢えたばかりか、求婚まで受け入れてもらえるとは、まだ夢でも見ているような気分です。
実は、先ほどのパーティーには、自分の意志ではなく大恩ある人から強く頼まれて参加した次第でして。
いざ来てみたらあまりにも場違いだったので、適当な口実を見つけて早く帰ろうなどと考えていたのですが……今は行ってみて良かったと、心から思っていますよ」
嘘偽りない自らの気持ちを伝えると、静かに聞いてくれていた令嬢は、いきなりかあっと赤くなり、慌てだした。
「ま、まあ、ど~しましょ……そんな、そんなこと言われては私……照れてしまいますわ」
上気した頬を押さえながら、わたわたと焦るリリー・アルシェ嬢は可憐としか評しようがなく、いつまでも見ていられる、が。
「じ、実は私、ちょっと疑っていたんです。
ザック様が求婚してくださったのって、大勢の前で侯爵令息から捨てられて恥をかかされた私を庇うために、唐突に求婚して失敗することで話題を逸らして、自ら泥を被ってくれようとしたんじゃないかなって。
でも、私が承諾しちゃったものだから、本当はご迷惑なんじゃないかなーって」
こ、これは鋭い。ほぼ正解だが認めるわけにはいかず、ザックは引き攣った笑いを浮かべて誤魔化す。
「い、いや。そんなことは……」
「本当ですか?良かった、私の思い過ごしで!!
父もきっと、喜んでくれます。何しろ騎士とか将軍とか、強い方の英雄譚が大好きで。
ザック様を見たら、結婚の許しどころかどうか私を嫁にもらってやってくれって、土下座して頼むかもしれませんわ」
はしゃいでいる令嬢に水を差したくはないが、果たしてそう上手くいくだろうか?
どう想定しても取り付く島もないくらい怒って追い出されそうなものだ。
あまり前向きに期待していないザックとは正反対に楽しそうなリリー嬢は、前方に人影を見つけ、花咲くようにパッと笑った。
「あ、居ましたわ。お父様!!」