中身はオッサン
毎週水曜日と土曜日にアップします。
作者的には自分で書いていて泣いてしまうような物語だと思っています。
文字総数334000文字で完結迄書き終わっているので、良ければご一読ください。
先程の鏡を見ろのセリフは同じだが、俺は自分で鏡をもって見た。が、島田は持てなかった・・・大まかには同じだが、些細な事は違う・・・。
様々な事が頭にまとめられていく。
となると・・・大まかな出来事は事象が確定しているって事になる。が、それ以外は、変化したと・・・否・・・当然か。」
同じ出来事でも人が違えば結果は変わる。
至極当然だと考え直す。
アレが、幼児であったら死んでいただろう。
そうなると、あの場で交通事故が起きたのは、運命って事だ。
絶対的な法則のようなもの。
では、誰の運命だったのか・・・答えは、トラックの運転手・・・。
傍から見ていたからこそ確信が持てた。
運転手は、横断歩道の信号が点滅したのを見て間違いなく加速したのだ。
その加速が無ければ、交通事故は起きなかったはずなのだ。
何故なら事故の衝突速度は時速60㎞だと俺は聞いていた。
そして、事故が起きた場所は、信号のある交差点から30m地点。
本来ならブレーキを踏んで減速していなければならなかったはずなのだ。
だから、衝突時にブレーキ痕が短かったそうだ。
退院後、リハビリに苦しむ俺に回りの奴らは、2人乗りをしたお前等が悪いと言っていた。
確かに良くない事だ。が、事故を起こしたのが俺達のせいだと言われるのは納得がいかない。
今回の事故で、もう一つ分かった事がある。
実は、信号が変わろうとしていた交差点を自転車に乗った学生が見切り発車で通過していたのだ。
島田が乗っていなかったとしたらタイミング的に見てそいつらが、巻き込まれていた可能性が高い。
何が言いたいかと言うとこの事故は、起こるべくして起こったという事。
そう考えると俺が考えていた事は、間違いじゃなかった事になる・・・
やはり俺の人生が大きく変わったのは、人為的によるものって事だ!
当時、俺がボクシングを諦める事になった原因を“運命”と言った奴がいた。
「そういう運命だったんだよ」その言葉を50歳目前まで認める事はなかった。
この事故以来、俺はずっと、この出来事を引きずって来た。
買い物に行かなければ・・・
待ち合わせの時間を少しでもずらしておけば・・・
前日に学校を休んでいたら・・・
友達がワザワザ迎えに来なければ・・・
自転車で2ケツしなければ・・・
事故の瞬間に俺だけでも躱しておけば・・・
この時、俺は千葉に買い物に行く理由が無かったのだ。
ただ、部活の仲間達にうんざりし、偶には友達達と遊びに行きたい・・・そう考えただけだった。
待ち合わせの時間も学区のギリギリの場所だった俺の家からは遠かった為、もう少し遅くして欲しいと思っていた。
だが、それを言うと次に言われるセリフが分かっていたから言い出せなかった。
日中のバスの時刻表は20分に1本程度。嫌がられる事が、容易に想像が付いた。
そして、一人でバス停に向かえば良いのにわざわざ善行が迎えに来た。
全ては、俺の心の弱さが招いた結果だ。
だからこそ、自分で自分を許せなかった。
だが・・・未来は変わった。
海岸通りにある緊急病院までは、自転車で30分程。
受付で確認すると予想通りここに運び込まれていた。
少し違うのは、島田が未だ集中治療室に入っていた事だ。
俺の時は次の日から喋る事位出来たのだが、病室の前であった島田の母親が言うには、2ヶ月の入院になるとの話だった。
俺の時も相当な重症だと言われたが、島田はシャレにならない状態だった。
眼鏡をかけていた島田は片目が見えなくなる可能性があるそうだ。
俺の場合は両腕の単純骨折と右肩の脱臼だったが、島田は右手、右足が複雑骨折、左手足が単純骨折であった。さらに基本的には問題ないと言われた内臓損傷だが、島田の場合は手術が必要なレベルであったらしい。
肩を項垂れ気丈に振舞う島田の母親の姿に何とも言えない気分になった。
実際、俺のせいではないのだが、胸が少し痛んだ。
翌日、学校に向かったが、何とも気恥ずかしい。
外見は中学生だが、中身はオッサンだ。
当時は、難しいと思っていた勉強など欠伸が出る程、簡単なものだった。
初恋の鈴木志津音が距離は遠いが同じクラスにいる。
そう思うと目で追ってしまう。
『俺ヤバい奴だな・・・この年でチラ見って・・・ハズ・・・』
そう意識してからは、まともに顔が見れなくなってしまった。
かと言っても何と声を掛けて良いものか・・・
教室で気軽に声を掛けても彼女に迷惑がかかるかも知れない。
精神年齢がオッサンである龍徳とすれば声を掛けるなど造作もないが、相手は中学生だ。
放課後に声を掛けようにも彼女は部活がある。
「まだ時間はある・・・焦らずタイミングを計るか・・・。それに今はやらないといけない事が山ほどあるしな・・・」
春休み目前であった為、学校の授業も半日。
俺は、喜び勇んでボクシングジムに向かったのだった。
余談だが、流石にこの数日だけは深夜の外出を控えていた。
記憶を頼りに夜中に外に出ると新聞屋のおっちゃんが、大変だったと嘆いていた。
そりゃぁ~そうだろう。
俺の記憶が美化されているかとも思っていたが、1時間で600件の新聞配達など尋常な量ではない。
当時の俺は知らなかったが、俺のお陰で、楽をして稼いでいた事で、欲をかいた新聞屋のおっちゃんは、エリアを増やして配達をすると安請け合いしていたらしく自分で配達したら6時間以上かかってしまったらしい。
まぁ俺の場合は配達するだけなので、他の作業は一切しなかったから楽ではあるのだが、
本来であれば広告チラシを新聞に挟んだり、雨ならビニールに梱包したり、と作業がある。
さらに俺が配達し易いように新聞を各階段の下におっちゃんが置いておいてくれていたので、俺は新聞をもって階段を駆け上がるだけで良かったのだ。
そう言えば、子供の頃の記憶では40~50代だと思っていたおっちゃんは、まだ30代前半だった。名前は大谷一さん。以前の記憶にはなかった。
当時の新聞配達はメチャクチャ儲かったと後々知る事になった訳だが、この当時は知る由もなかった俺は、毎月3万と言う金額が、凄まじい大金だと思っていたから文句もなかった。
だが、今となると納得がいかない。
何故なら、この当時の新聞はチラシの量が半端じゃないのだ。
新聞配達の値段は場所によって全然違う。
今言った様にチラシが多ければ多いほど一軒当たりの単価が上がって行く。
新聞屋によっても配達単価は違うのだろうが、この数日間で確認したら驚く事に大谷さんは新聞を1部配達するだけで50円以上も貰っている事を知った。。
要するに毎月26日稼働で夜間の配達だけで、月給80万円以上稼いでいるのだ。
この時代の月給と言えば32歳で25万円も貰っていれば稼いでいる方なのだ。
だから、俺は敢えてこう伝えた・・・。
「大谷さんもう新聞配達手伝えないかもしれない」と
それを聞いた大谷さんが真っ青になるのは当然だろう。
理由を聞かれたので、こう伝えた。
「親の会社が倒産して、引っ越す事になるかも・・・親が言うには、就職口の当てが2件あるそうなんだけど、給与が良いのは、ここから少し離れているんだって・・・俺もそうだけど姉貴も引っ越したくないから内職しているんだ・・・けど最低でも10万円足らないんだって・・・だから・・・ごめんなさい・・・もう手伝えそうもないや・・・」
それを聞いた大谷さんは、
「な・なるほどな…だったら・・・今まで頑張ってくれた分、次からは、10万・・・否、12万円俺が出してやるよ!な!それならどうにかなるんだろう?」
そんな大金を子供が親に渡せるはずもないのだが、大谷さんには、俺が配達を手伝っている事は親も知っていると嘘を伝えてある。
だからこその提案だったのだが、俺の出した答えは当然。
「有難う大谷さん♪ ついでと言っては何なんだけど・・・」
「なんだよ!水臭せ~な。俺達の付き合いも3年近くなるんだから俺が出来る事は何でもやってやるぞ!?」
「本当?」
「おう! 俺だって実際、龍徳のお陰で助かってるしな!この数日間で実感したぜ」
「だったら・・・今度、馬券を買ってくれないかな?」
「馬券!? 何でだ? まぁ~競馬は毎週やってるから構わねぇ~けどよ」
「ウチって借金が凄いんだよ・・・だから、俺が稼ぐにはギャンブルにかけるしかないんだけど・・・俺じゃ買えないからさぁ~」
「そんなに借金があるのか・・・よし! 任せろ! 後、会社から貰うチケットとかもやるから少しは楽しんで来いよ。・・・使わないなら売ってもかまわねぇ~しよ」
「おぉ~大谷さん太っ腹~! マジ感謝するよ♪」
「な~に♪ これ位、持ちつ持たれつだ!だから配達止めないでくれよな!」
「OK!!そこまでしてくれるんだったら引っ越さなくて大丈夫だし助かったよ!」
当然、嘘である。
正確には俺が、3歳の時に借金取りに追われ東京から夜逃げしたので、借金を踏み倒したのか、破産宣告を受けて借金が無くなったのかは記憶にない。
何にしてもこうして、俺は中学3年生にして毎月12万円もの大金を得る事に成功したのだった。
当時の日本は、規制が緩く少し前までは、ノンヘルで原付に乗れたほどだ。
電車の中でも喫煙できるし、科学が未発達の分、世間体は緩かったと思う。
実際、馬券程度なら変装していれば購入も可能。
だが、俺の身長は低かったので、念を入れて対策を取ったに過ぎない。
銀行の通帳も普通に子供でも作る事が出来るし、知識があれば今の時代より可能性は大きく、魅力がある時代なのだ。
それにしても、自分のことながら新聞配達をして驚いた。
凄まじい持久力に瞬発力。実際パワーも大人の俺よりもあった。
特にジャンプ力がヤバい。
歳を取って昔を思い出した時も凄かったと思ってはいたが、この時代の俺の身体は重力が無いように思えた。
別の日に試してみたら団地の2階程度なら正面階段を使わなくても外壁を登る事が簡単に出来た。
壁を蹴って駆け上がる事も出来た時には感動してしまった。
流石に日課であった筋トレとロードワークが終わった時には、凄まじい疲労感があったが、回復力も半端なかった。
この身体に戻ってボクシングジムに行った時には正に感動ものだった。
本来の時代には、無くなってしまっていたジムが昔の記憶のまま、残っている。
学校でも思ったが、中身が50歳近い俺から見ると同い年はガキに見え兄貴分としていた人達も好青年、オッサンだと思っていた人でさえ大半が年下。
演じ切る自信がない。
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