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つれづれグサッ  作者: 犬物語
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心は劣等感を補償する

どうしても、人間は他者と比べて劣等感を覚えてしまうもの。どうせ覚える劣等感なら、それを利用してさらにジャンプできるような方向性にもっていきたいですよね?

 人間の心とはいったいなんなのでしょう? これまで科学の探求によって明らかにされた世界でさえ、この心といった分野には手をこまねいています。それを専門とする『心理学』ですら、細かく限定した状況においては『これはこれだ』と言えるのみに過ぎず、包括的に人間の心を表現したり、またはつらい状況に陥っている人の心を救うには長い時間が必要となります。


 脳科学の研究が発展した現在でさえ、未だに人間の『意志』という機能はどこからくるのか? といった根本的な謎さえ曖昧なままなのです。


 そんな人間という生き物には、先程書いたとおり『意志』というものが存在します。または『自我』と表現したほうが良いでしょうか? 「我思う故に我あり」というデカルドの言葉は有名ですが、社会を生きる上でこの自我は、他のたくさんの自我とぶつかりあい、ある時は自らの我を押し通し、ある時は他の我や社会的要因によって自らの我を封印せざるを得ない時があります。自我というものは心の欲望でもあるので、それが成し遂げられなかった場合、人間は心理的なダメージを負います。今回はこの自我について、また人間が覚える『防衛機能』について、『心理学専門校ファイブアカデミー』著作『心理学 キーワード&キーパーソン事典』を参考にしつつ、個人的な考えを絡ませて書いていこうと思います。




 なにも、この自我の抑圧というのは言い争いや取っ組み合いのケンカなどといった場所に起こりうるものでもありません。たとえばバスケットボールやバレーボールなどのスポーツ。これらのスポーツには(いくらかの反論があるでしょうが)基本的に身長が高いほうが有利でしょう。平均身長が190センチ台の選手が顔を連ねるなか、ひとりだけ170センチ台の選手がいたとしても「あいつはリベロか? あるいはセッターか?」のような考えが脳裏をよぎるかもしれません。


 で、実際にその選手はリベロだったりするわけです。これは決して悪いとか、バカにしているというわけではありませし、相手方のベンチからリベロかなと推察していた選手も、決して悪意があったわけでもないでしょう。そして、当の170センチ台の選手も、バレーボールの世界で生き残るためにその道を選択したのかもしれませんし、たまたまそのポジションが好きでやってきたのかもしれません。


 個人心理学の開拓者である『アルフレッド・アドラー』は、人間は常に上を目指す心理がある生き物だとしています。この"上"というのは、自らの能力をより高めたいという欲求であり、これを『優越性の追求』と呼んだりします。で、これが自分自身を縛る鎖にもなりえてしまって、自分がどのくらい優越性があるか、つまりどのくらい成長しているのか? を判断する大きな基準として、人間はどうしても『他者と比較』してしまうのです。


 ほんのささいな例で例えると『身長』とか『50メートル走のタイム』とか、おとなになり社会人になると『会社内部での成績』だったり『周囲からの評判』だったり……とにかく、比べられるものであればなんでも比べてしまいます。これは人間がある種宿命としてもっている心理でもあるのです。そして、そういった比較をして自らが劣っていると感じてしまう『劣等感』にぶち当たった時、人間はどのような心理になってしまうのでしょうか?




 劣等感とは、周囲と比べて、まるで自らが劣っているように感じる心を指します。これを乱暴な言い方にすると『アナタが勝手にそう感じているだけ』であり、実際アナタが必ずしも劣っているわけではないのですが、まあそれは後に置いておきましょう。例えば190センチ台がわんさかいる中で170センチ台の選手がいる。その選手は心のどこかで「あと10センチあれば……」なんて考えないこともないかもしれません。その時重要な考えになるのが『権力への意志』という言葉です。


 これは自らの劣等感をなんらかの形で『補償』することにより優越性を獲得しようとするものです。いくつかの種類があり、たとえば「たしかに身長は低い。けど素早い身のこなしだったらだれにも負けない!」と、ステップやポジショニングの練習を一生懸命やるとか、とにかくその劣等感を逆にエネルギーに変化させモチベーションとする方法です。これを『昇華』と呼ぶのですが、アドラーはこのようにして自らの成長を促すのが最良だとしていますね。本来、世の中には『劣等』な人間は存在しません。それぞれが、平坦な世界でそれぞれの道を進んでいるだけで、そこに『上下』なんてものは無いのです。それぞれがそれぞれの分野を勝手に進んでいる。アナタもその場所から勝手に進めば良いのです。そこに『上下左右』なんてありません。そこにあるのは単なる『座標の移動』というだけで、いちいち周囲と比較するだけムダなのです(とはいえ、どうしても比較してしまうのが人間の心理なのですが)。


 逆に、その劣等感に飲み込まれ心の奥深くに根付いてしまう場合があります。そういった場合『劣等コンプレックス』呼ばれる状態になりやすく、たとえば「俺は背が低いからプロにはなれない」といった考えに支配されてしまったり、あるいは自らの自我を守るために様々な『防衛機能』を利用してしまうかもしれません。


 先程も書いた通り、劣等感はバネにできます。劣等感はただの『感』であり、実際に劣っているわけではないからです。しかし、身長の見かけ上の上下により、本来その人がもっている素晴らしい能力を伸ばすチャンスを失い、さらに自らの可能性を押し止めることがあります。170センチ台の選手を例にすれば、たとえば背が低くとも第一線で活躍している選手は多いですし、ポジショニングや素早さを必要とするリベロには最適の体格とも言えます。ジャンプ力やわざと相手のブロックに当ててワンタッチを狙う技術だってありますし、可能性という範囲で見れば、その選手が歩むべき道はたくさんあるはずです。


 ――と、身近にいるだれかがアドバイスしても受け止めるのが難しい。それが劣等コンプレックスというもの。




 人間は『防衛機能』をうまく利用して、このような不安や葛藤を乗り越えようとします。先程紹介した『昇華』もその一例です。昇華はうまく自らの葛藤を処理した例として『成功(適応)的防衛』とも呼ばれます。しかし、劣等感に苛まれた場合、たいていはそのほかの防衛機能を利用することになるでしょう。


 たとえば『抑圧』。受け入れがたい感情などを意識から追い払うことで己を保つ方法です。とはいえ、バレーボール選手の例で言うならば毎日抑圧した「他の人より身長が小さい」という想いの原因が目の前にあるのですから、頻繁に意識表層に現れ、そのたびに抑圧しの繰り返しとなるので相当なストレスがかかると思います。


 『合理化』もこの例に使えるでしょう。ざっくばらんな表現をすれば、自分のこころに「〇〇だから仕方ない」と理由をつけてムリヤリなっとくさせることです。しかし、合理化と名前はついているものの、これは『すっぱい葡萄』の逸話にあるようなまったく理にかなっていない理屈を並べることもしばしばあります。「俺のスパイクは高度〇〇○センチ。皆はそれ以上に高くジャンプできるから、ぜんぶ止められるので2度と打たない」と決めつけてあきらめてしまう。ある意味で正当化してしまう考え方です。当然よろしいものではありませんね。




 ほかにもありますがひとまずこのあたりで。このような心の防衛問題に対し、アドラーは『権力への意志』という言葉を用い『補償』という新しい概念を提唱しました。この考えを自らの成長に活かすとすればこのように説明できます。


 人間は誰しも劣等感をもってしまうものだから、その劣等感は他のものによって補おう。例えば劣等と思われる部位(身長の低さ)を他のものによって補ったり(素早いフィールディング)、鍛錬(ジャンプ力強化の練習)によって克服したり……補償には、劣等と思われるものが『実は価値あるもの』だったりすることもあるのだ、という考え方も存在する。バスケットボールなどでは、その小ささ故に他の選手に触れられること無く懐に潜り込める場合だってあるだろう。


 ようは『短所を補うための工夫』こそが補償の正体だ。そしてこれは、その人の未来へ進むための考え方でもある。子どもの場合、体格の成長スピードが異なっているために小学生のうちはなかなか力が足らない場合もある。野球なんかでも、バットの芯でミートしたのに外野まで届かないという子どもだっているくらいだ。しかし、体格は年月を経るごとに伸びていく。その時点で「ぼくにはパワーがない」と諦めてしまったら、その時点でキミが本来もっているポテンシャルを伸ばすことができなくなってしまう。そうではなく、たとえば内野の間を抜くバッティングや、飛距離はでなくとも初速を重視した鋭いスイングを心がけるなどまだまだ可能性は残されている。そこで練習をやめてしまったら、成長して筋肉がついた時期に、その筋肉を生かしたバッティングさえできなくなってしまうのだ。


 非常にもったいないと思いませんか?


 確かに、同じ人間でも客観的な『差』というのはあります。しかし、それは決して『優劣』の問題ではありません。いま自分が持っているその身体、能力で、スポーツのみならずその世界で活躍するにはどうするべきか? どの部分が足らないと感じているか? その部分を補償するにはどうすればよいか? ――アナタは決して劣っている人間ではありません。自分というポテンシャルを最大限に発揮できるような『補償』を日頃から考えてみましょう。




 今回は、ある程度自分が少年野球を教えていた時代の経験則を交えて紹介しました。心理学は人の心の学問ですから、人間の生活に深く密着したものでもあります。みなさんがこれらの知識と出会い、新しい可能性を開くことができたのなら幸いです。心理学をうまく利用して、アナタ自身が最も輝けるような人生を送っていきましょう。

アナタが得意と思っているものでも、これを活かせばまだ伸ばせる可能性が潜んでいるかもしれませんよ?

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