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つれづれグサッ  作者: 犬物語
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認知療法

心というのはわりと『自分勝手に考えてしまうもの』です。今回は心の問題『うつ』やそれの解決策などについて書いていこうと思います。

 自責の念。ざっくばらんに言い放ってしまえばこれこそが人間が『うつ』に至る全ての入り口だと言うことができます。冷たい表現を使うとすれば『ただ自分でそう思っているだけ』と言うこともできますが、人間の心というのは得てしてそう自分を追い込んでしまうものです。その人の考えを責めることはできませんし、それを責めるということは人間の心の機能を否定することにも繋がりかねませんからね。とはいえそのまま放っておくわけにもいかず、なんとか救い出す方法はないかなと様々な心理学者たちが模索していました。その過程で『臨床心理学』という分野が生まれ、人の精神、心をうまい方向に導いていける手法が数多く生み出されていったのです。


 今回紹介するのは、そんな臨床心理の手法として有名な『認知療法』です。そのなかでも特に紹介すべきふたりの偉人もともに書いていきましょう。




 さて、みなさんは『ジークムント・フロイト』という方をご存知ですか? まあ心理学やら精神医学的なあれこれをほんの少しでも調べた方ならすでに知っていらっしゃるかも知れません。彼は精神科医としては特に有名であり、精神分析家として大活躍し、世界の心理学の3大巨匠! みたいな表現をされることもあるでしょう。彼の提唱した診断や手法などは現在でもよく使われていたりするほどに強い影響力をもっていました。


 ただ、そういった理論は時代を経ていくごとにどんどん新しく塗り替わっていくもの。彼の理論に対して疑問を投げかける人も少しずつ出始めてきました。


 まずは『アルバート・エリス』という人物。彼はフロイトの扱う精神分析があまりにも長ったらしく、そしてぜんぜん患者の治療に繋がっていないということを常々疑問に思い続けていたようです。例えばフロイトに対してある女性の患者さんが訪れたとして、フロイトは彼女の夢を診断したとしましょう。


「そういえば、雨が降っていないにも関わらず『傘』を持っていたわ……」


「ああ、『傘』ね。『傘』は『男性器』を象徴するものなのだよ。つまりああたは欲求不満なのだね」


「は?」


 ――ってなるでしょう? フザけてません。フロイトの夢判断によればだいたいこんな感じに導かれます。他にも『壺』は『女性器』を象徴したり、とりあえずフロイトの理論では人間の意識の奥にしまい込まれた無意識が夢に表面化して出てくるんだという理論を持っていました。これが正しかったとして、じゃあ、欲求不満だとわかった、だからなんだ? という話にもなってきますでしょ?


 そんなの精神分析したカウンセラーの独断と偏見でしかないやん! というのがアルバート・エリスの主張です。それと同じ主張を『アーロン・ベック』も行いました。彼らはそれぞれ『患者を早急に、しかも確実に救済する方法』を模索していきました。


 簡単な略歴から。アルバート・エリスはアメリカの臨床心理学者です。ニューヨーク州立大学を卒業しある研究所で精神分析を学び、精神分析家として仕事をしていました。そのなかで上記のツッコミをしたくなるような経験をしまくったのでしょう。そして彼が編み出したのは『論理療法』という心理療法です。これを一言で説明するならば、つまるところ『お前のその後ろ向きな考え方に科学的根拠はあるのか?』を追求する手法です。つまり「何をしてもうまくいかない。ううだ死のう」という人に対し「じゃあお前が何をしてもうまくいかない人間だってことを科学的に証明してみろよ。できないだろ? お前は自分の心を根拠なく責めてるだけだよ。そんなのいろんな考え方があるだろ? そんな落ち込んで悩むのはやめろよ」と、まあこのような療法です。本来はもっとゆっくり丁寧に導いていくようなやりかたですのでご安心ください。こういった手法を彼は『論理療法』としてまとめました。代表的な具体的手法は『ABC理論』などがあります。


 これは私が他のWeb小説投稿サイト『ノベルアップ+』に投稿されていると思いますので、簡略化してお送りいたしました。今回はこれらの考え方をさらに踏み込んで、本格的なうつ病患者のために活用しようとした『アーロン・ベック』さんについてご紹介しようと思います。




 アーロン・ベックはアメリカの医学者、精神科医で、1921年に誕生しました。現在でもご存命であり、ペンシルバニア大学にて教授職に就いているようです。なんともタフネスなおじさまだこと。


 ブラウン大学を卒業後イェール大学で医学博士の学位を取得。その後フィラでルヂア精神分析研究所にて訓練を受け、それからうつ病の研究を続ける日々だったようです。しかし、その研究が世に花開くまでは数十年単位の時を必要としてしまったのです。


 彼は既存の研究の成果をうまく活用し患者の治療に活かそうという、現代ではごくありふれた思想をもっていましたが、当時はそうもいきませんでした。その時代では『権威性』の影響が強く、理論を発表しても権威がある人に認められなければなかなか世間に認められないような風潮があったのです。アメリカの精神分析研究所は、彼がデータを活用して患者を治療しようとし、なおかつ新しいことを学ぼうとする姿勢に否定的だったようです。自分たちの考えを守り抜き、他者からの批判を個人攻撃をされたかのように撃退していくような時代です。


 時代のせいなのでしょうか? 今こうして書きこんでいても自らがつくったこの文章に疑問を禁じえませんねぇ。


 話がそれました。結局枯れは1961年ごとに精神分析とは完全に袂を分け、独自の研究を積み重ねていったようです。そのなかで彼は、患者の思想行動に後ろ向きで否定的なパターンがあることに気づきました。さきほど述べたような「〇〇だから俺は○○なんだ。うつだ死のう」みたいな考え方ですね。これは『認知の歪み』という状態で、彼はこういった状態に対する治療法――『うつ病の認知療法』を1963年に考案しました。彼の功績はこれだけではなく、患者のうつの度合いを客観的に判断できるように『評価尺度』という質問一覧をつくり、患者たちに適切な治療を施せるようにしたのです。


 うつ病の認知療法の紹介の前に、人間の『自責の念』について少しだけ書こうと思います。人は成長するにつれアイデンティティやスキーマ(自分が思う自分のアイデンティティに則った行動をしようとする心)が形成されていくのですが、これにより半ば自動的に思考が生み出されることがあるのです。


 私は野球がスキなので野球に例えちゃいますけど、たとえば自分をあるスポーツチームの『クールでたくましく、冷静に処理し大事な場面でエラーなどしない立派な』キャプテンだと思っている人がいる。あ、他人の評価は関係ありません。あくまで自分がどう思っているかが問題です。つまりこの人は自分はたくましく、試合中も動じずエラー無くきりぬけられる立派な人間だというアンデンティティをもっており、スキーマによってそれに則った行動を自然に選択するようになっています。そういったなかで、例えばサードを守備しており、9回裏4対4の同点。1アウトランナー3塁という状況。内野ゴロでランナーが突入してくるかもしれない状況です。サードを守備しているとしたら当然考えることがあるでしょう? 当然その『クールかつ逞しいかつエラーなどしない立派な』キャプテンは冷静な判断でランナーを警戒します。


 いざ打球が飛んできました! サードゴロに対してランナー突入! そこでアクシデントがおこります。なんとボールがショートバウンドのと微妙に変化が起きてしまい、キャプテンのグラブを弾いてしまったのです。


 この瞬間、この人のアイデンティティが揺らぎます。同時にスキーマで行動を決定されるのですが、『自分はエラーなどしない人間』だったという前提がもろくも崩れ去ったというショックが大きく動揺してしまいます。この場合、他人がこのキャプテンをどう評価していたかは関係ありません。キャプテンが自らを『重要な場面でも冷静に判断しエラーしない立派な』という認識でいたのですから。もしエラーをしたとしても、たとえばそれの重要度がさほどでなければ受け流すこともできるでしょう。しかしそれがサヨナラのランナーだったら? これが後に引けない夏の大会中だったら? そしてこれがもし、甲子園のかかった決勝戦で起きたことだったら? ――まあ、わたしは弱小校でしたが。


 さて、これまでのこうだと思っていた自分が脆くも崩れ去りました。そうなったときの絶望感は計り知れません。そこで人は『なぜ?』と心に問いかけてしまいます。そして起こった出来事を強烈に参考にしてしまいます。あたかも自分のこれまで考えていた『偽りの自分』に対する答えのように……。


 いままではこう思っていた。けどウソだった。だって今こういう出来事が起きたじゃないか! 俺は〇〇な人間なんだ! ――ここから後ろ向きな思考が始まってしまうのですね。これは青春ドラマなどでもよくある手法です。人間の青春模様でもよくある出来事なので、周囲との関係や自分の新しいマインドセットなどでわりと解決できるのですが、そのショックが大きかったり周囲の助けがなかったり、あるいは本人が思い込みの激しい性格だったりするともう手がつけられないことになるパターンもあるようです。こうして、ただ理屈無くひたすら自分を責めるような思考回路が形成されるとなかなか抜け出せなくなります。こういった『認知の歪み』からうまいこと引っ張り出してやろうというのが『認知療法』なのですね。


 認知療法を一言で申し上げれば『事実をしっかりと捉える』ということです。患者さんたちは自らを後ろ向きに『自動的に思考』し、否定的な言葉を用いて自分の悩みを説明しようとする特徴があります。問題を自覚できていたとしてもなかなか解決に向けて行動できないという問題を抱えていると言えるでしょう。


 なので、ひとまずはそれらすべてに対し感情などを排除して、論理的に合理的な評価を下すよう求めることからはじめました。ただの客観的事実とデータだけを参照にすることで、いやでも患者の自動的思考を比較させることができます。「あれ? 俺ってもしかして必要以上に後ろ向きに考えてるんじゃ……」そう思わせることがまず第一歩といったところでしょうか?


 たしかに鬱に陥った原因はあります。ですが、肝心なのは『アナタの心』であり、患者自身がどう自覚するかによってそれだけでも治療に通じるのです。ですから彼の療法には物事を数値的に判断できる質問表などが多くありました。心がない、なんて言わないでください。その、あえて心の部分を抜き取り客観的事実をつきつけることこそが、実は意外と患者さんを救うことにも繋がるのですよ。だからこその『認知』療法ですね。


 ちなみに、彼の考えた評価尺度には『ベックうつ病尺度(BDI)、ベック絶望感尺度、ベック不安尺度』があります。なんか中二病心がくすぐられるようなネーミングですが本人たちにとっては必死な尺度調査なので静粛に願います。




 ちなみに、この治療法をやるうえカウンセラーの方々は『傾聴』という手法を用います。ようは相手の話をただ聞くというだけなのですが、これがメッチャ大事なことで、相手の話をひととおり聞くことによって(ん? この考え方ちょっと『歪み』があるなぁ)と患者の様子を観察しつつ認知の歪みを探していく作業になります。まあ患者の苦労話をさんざん聞かされる職業のせいで道連れのように精神疾患になる精神科医も多いらしいですが(おいおい)、このように話を聞いて、それから少しずつ認知を修正していく作業になります。以前購入した精神科医の『樺沢紫苑』先生によると、自らが(うつの)道連れにならないよう『暖簾に腕押しで聞く』というスタイルをとっていると書いてありました。ようは話は聞くけど同情したり、いわゆる『味方』になったりしない、というイメージですね。


 1990年代に入ってからはさらに進歩した『認知行動療法』というものがあります。ようは認知はおっけー、んじゃ次はよりよくなるようどう行動すればいいか考えよ? ということです。音楽を聴いているとリラックスできるのなら、例えば緊張する場面の直前にスキな音楽を聴いてみるとか、とにかく明るい気分になる行動をみつけてそれを実践しようとか……。


 心というのは大変デリケートなものです。最近はセルフで認知療法みたいなこともできる時代です。興味ある方は、ぜひ書店の心理学コーナーを漁ってみてはいかがでしょうか?

心理学はこれからも進化し続けるでしょう。もしかしたら、心の病気が薬ひとつで完治する時代が来るかも知れませんね。

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