天気の神さま
わたしたちの背よりずっと高いところ、あの白い雲のもっとうえには、天気の神さまがいます。
天気の神さまはずっとむかしから、この地球のあらゆる天気をつかさどっている、とてもえらい神さまなのです。
しかし、そんな天気の神さまにはひとつ、わるいくせがありました。
「おい、こぞう」
「はい、なんでしょうか。神さま」
神さまに呼びつけられて、天使のこぞうは神さまの部屋にとんでいきます。
「わしは今日から、遊びにいく。おまえは、ここで番をしておれ」
そう言って、神さまは椅子から立ちあがりました。天気の神さまは、ひどく気分屋なのでした。
「なんですって。いけません、神さま」
こぞうは神さまのまえでおおきく手をひろげ、神さまを止めます。
「神さまがいなくなったらだれが天気をきめるのですか」
「わしはいい加減この仕事にあきた。すこし世界を旅することにする」
神さまはこぞうのわきをするりとくぐりぬけました。神さまは天気の神さまですから、風のように動くことができました。
「いけません。神さまがいなくなったら、世界の天気がめちゃめちゃになってしまいます。神さま、どうかもどってきてください」
こぞうがうるさくわめくので、神さまはしかめっつらになって言いました。
「じゃあ、いまからおまえがわしのかわりに世界の天気をあやつれ」
「ぼくがですか。むちゃいわないでください。どうやれというのですか」
こぞうは悲鳴のような声をあげましたが、神さまはかまわずに説明します。
「さっきまでわしがいたあの机があるじゃろ。あれで天候を動かせる」
部屋のまんなかにある回転椅子つきのおおきな机を指さして、神さまは言いました。
「そんないきなり、むりです」
「なあに、すぐに帰るさ。ちょっと天界を旅行してくるだけだ」
泣き顔になるこぞうを尻目に、神さまはにっこりと笑ってドアを開け、雲と風につつまれて消えてしまいました。
「ああ、えらいことになった」
こぞうは神さまの部屋でしばらくおろおろとしていました。いっそのこと逃げだしてしまいたいくらいでした。
部屋のまんなかに横たわる広くて丸い台のうえには、とてもおおきくて透きとおった水晶玉があります。それは地球儀のように地球をまるごと映しだした水晶玉でした。表面は青や緑などの色であざやかに彩られており、青は海を、緑は地面をあらわしています。そのまわりを白い雲がうすく覆っていました。雲はつねにかたちを変え、できたり消えたりしていました。
水晶玉に映る地球は、まるでひとつの生きもののようにうごきつづけていました。
こぞうはぐるぐると目まぐるしく変わる地球の天気の美しさにしばらく見とれていましたが、あるとき、ついに決心したようでした。
神さまの机は水晶玉が浮かんでいる台のすぐ目のまえにあります。こぞうはおそるおそる椅子に座って、机にむかいました。机にはボタンやレバー、ダイヤルなどが奥歯のようにぞろりと並んでいます。それぞれいまの気温や湿度、風むきなど、いろいろ名前がついていました。
「どうすればいいんだろう」
こぞうはまたうろたえました。こんなにたくさんある機器をどうあつかっていいかわからないのです。
そのとき、水晶玉に映った地球のようすがおかしくなっていることに気づきました。雲のうごきがひどくゆっくりになり、まるで止まっているようです。
そのとき小僧は、風が止まっているのだと気づきました。風が止まっているから雲がうごかず、止まっているようにみえるのです。
「ああ、このままではだめだ」
雲の流れが止まると、その地域だけ雨がふり、雲がない地域ではずっとよい天気がつづきます。しばらくのあいだはたいしたことはないように感じますが、これがずっとつづくと、やがて雨の地域では洪水を、晴れの地域では干ばつを引き起こしてしまいます。そうなると、多くの人々が苦しみます。
こぞうにもそれくらいのことはわかりました。いそいでボタンやレバーを見まわします。説明書はどこにもありませんが、ボタンやレバーには国や地域の名前が書いてありますから、神さまの見よう見まねでなんとなくうごかすことはできました。
風が吹き、みるみるうちに雲はうごきだしました。
「やった」
こぞうは喜びましたが、このように世界の雲の流れや気圧、気温や湿度などをいっぺんにあやつるのはとても気をつかいました。レバーをすこしでもうごかしすぎたりすると、あっちの国では夏なのに寒い、こっちの地域では雨期なのにまったく雨がふらないなどが起こり、すこしでも油断すると大災害につながってしまうのです。
最初のうちはがんばっていたこぞうも、かなり疲れてきました。神さまはいつもこんなたいへんな仕事をこなしていたのかと考えると、尊敬するとともに自分にはとてもむりな作業だとみとめました。
ついこのあいだ、神さまが居眠りをして、天気がたいへんなことになってしまったことがありました。そのときはどこかの国で大勢のひとが命を落としました。世界ではそれを『飢饉』と呼んでいるようでした。
こぞうが寝ずに天気番をやっていると、あるとき天界に一通の手紙が届きました。
開けてみると、それは人間からの手紙でした。
『こんにちは神さま。いつもよいお天気をありがとうございます。しかし最近、天気がよすぎてダムに水がちっとも溜まりません。すこし雨をふらせてください。どうかよろしくおねがいします』
こぞうはびっくりしました。いままで人間から手紙など来たこともなかったからです。人間の知能が進歩して、天界とやりとりすることができるようになったのでした。
「人間なんてこの間まで石を打ってたじゃないか。ずいぶん進歩したなあ」
水晶玉をまわしてその国をみると、なるほどたしかに雲がまったくかかっていません。これでは水不足になるのも当然でした。
こぞうはレバーとダイヤルをうまく操作し雲をうごかして、その国に雨をふらせてやりました。
やっとひと安心したこぞうは、すこし眠くなってしばらくうとうとしました。すると、また人間から手紙が届きました。さっきの国とはまたべつの国からでした。
『こんにちは神さま。いつもごくろうさまです。最近、ひどく風がつよい日がつづいています。このままではわが国の作物はその実を落としたり、根こそぎになったりして、国民が飢え苦しみます。ああ、どうかお慈悲を』
その手紙を読んだこぞうはしっかりと目をひらき、気圧をいじってその国に吹く風を弱めてやりました。
「これでだいじょうぶだ」
こぞうは汗をぬぐいました。
しかしまたすこしすると、手紙が届きました。
『ごきげんよう神さま。いつもごくろうなことだが、わが国が敵国に侵攻するために、このような連日の雨では少々ぐあいがわるい。わが国に栄光ある勝利をもたらすために、ひとつ、たのみますよ』
「ええ」
こぞうはおもいきり顔をしかめました。しかしこの国は本来あまり雨がふらない地域にあるので、最近雨をふらせすぎていたと思い、すこしだけ雨を弱めました。
ずっとぶっつづけで働いてきたこぞうは、頭がぼんやりし、肩や腕が重たいのを感じました。はやく神さまが戻ってこないかなと、いままで以上に思うようになりました。
人間からの手紙は増えるいっぽうでした。すこしぼんやりしているあいだに、郵便受けに手紙が入っているのです。配達係の天使はひとりからふたりに増え、そのふたりは入れちがいでひっきりなしに束になった手紙を持ってやってくるようになりました。
こぞうは手紙に目を通すのでせいいっぱいでした。人間界はのきなみ進歩しているようで、いままで見なかった文字でつづられた手紙も届くようになりました。
「こんなにいっぱい、とてもむりだ。どの国のねがいもいっしょに聞いてやることなんかできない」
こぞうは涙声でわめきました。なかには、こんな手紙もありました。
『今日の天気予報で、明日は晴れだと言ってしまった。これで明日が雨だと気象台の面目まるつぶれだ。明日はぜったいに晴れにしろ。いいな』
「天気予報だって」
その言葉にこぞうは仰天しました。
「なんだそれは。どうして人間がかってに天気を予報なんかするんだ。天気をあやつっているのはこっちなんだぞ。ちぇっ」
一丁前に悪態をつきましたが、そこはまじめで気のやさしいこぞう、できるだけみんなのねがいを聞いてやろうと思い、眠い目をこすりながら、こまかく注意をはらってうまいぐあいに天気を調整してやりました。最初はぎこちなかった天気の操作も、いまではなれたものでした。
しかしそうしているあいだにも、人間からの手紙は届きます。こぞうは必死になってそれを読み、なるべく人間のみんなが幸せになれるような天気はないものか考えていました。
でもそれはとてもむりだということに気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。なぜなら、人間のすむ世界と天界では時間の流れがちがうからです。人間界は天界の何倍、何十倍もの早さで時間が進むので、天界で窓の外をながめ、ほんのすこしぼんやりしているあいだに地上の一日が終わってしまうということもよくあります。
そのようなスピードでうごく人間の感覚にあわせ、何十もの国ぐにの要求をいっぺんに反映することなど、神さまではないただの天使のこぞうにできるわけもありませんでした。
疲れきったこぞうのもとへ手紙はぞくぞくと運ばれつづけ、山をつくっていきます。神さまの部屋は人間からの手紙でいっぱいになりました。
『ことしのクリスマスは雪をふらせろ。国がたまたま赤道ちかくにあるからといって雪が見られないのは不公平だ』
『どうしてうちの国にだけ台風をよこすんだ。大嫌いなとなりの国にやってくれ』
『なんだって雹なんかふらせやがる。あんなもの百害あって一利なしだ』
『おたくの雷にうたれて国民が死んだ。どうしてくれる』
『暑すぎる、いつもはこんなんじゃなかったぞ』
『最近寒いぞ。どうしたんだちくしょう』
『竜巻で壊滅的な被害だ。弁償しろ』
『高潮で犬が流された』
『風で桜が散った』
『地震が』
『妻が』
『金』
ついにこぞうは手紙をほうり投げてわめきちらしました。
「いいかげんにしてくれ。どいつもこいつもなんてわがままなんだ」
手紙の山になかば埋もれるようにして、こぞうはぼうぜんと水晶玉を見上げました。鮮やかな色を浮かべる水晶玉は知らん顔でぷかぷか雲を浮かべています。
しかしそれでも仕事をやめるわけにはいきません。ここで逃げだしたら、また何千、何万人もの人が犠牲になります。
こぞうはたまたま手元にあった一通の手紙をあけ、ぼんやりとながめました。そこには、『ことしは冷夏が予想されていますが、冷夏は農業が被害をうけます。どうか暑い夏を期待しております』というようなことが書かれていました。
どうせみんなの意見を同時に聞くことなんてできないのだから、こぞうはせめてこの国の言うことは聞いてやろうと思い、手紙の山からゆっくりと起きあがり、よろめきながら歩き、机にその身をあずけ、ふるえる手でダイヤルをまわしました。
「やっぱり。なんだか、効きが悪いぞ。故障かな」
ここのところ最近、レバーやダイヤルなどの効きが悪くなってきていました。思ったように気温が下がらなかったり、雲の調節が難しかったりなどがひんぱんに起きるようになりました。これは、こぞうが神さまのかわりに天気をあやつりはじめたときにはありませんでした。
「神さまに怒られるのは、いやだなあ。うう」
北半球の八月は、夏の盛りです。一年でもっとも暑いころあいなので、小僧はすこし景気よくレバーを前に押し出しました。これで今年は冷夏どころか例年以上に暑くなるはずです。
レバーを動かしてからすぐに、手紙が届きました。
「へへ、お礼の手紙かな」
わくわくして開けたこぞうの目には、思いがけない文章がとびこんできました。
『どうしてこんなに暑いのですか。日中最高気温は四十度を超えて、まるで蒸し風呂状態です。夜もなかなか温度が下がらず、熱中症で国民に多くの患者や犠牲者が出ています。そしてここ数日雨もふっていません。もうわが国のダムはカラカラで、水不足が心配されます。至急、気温の低下と、降水量の増加をおねがいしたい』
こぞうはうなだれました。
「だって冷夏を避けたいと言ったのはそっちじゃないか」ふるえる指で手紙を叩き、ためいきをつきました。
しかし犠牲者が出ている状態を見すごすわけにはいきません。こぞうはその国にめいっぱいの雲をよこしました。すこし多い気もしましたが、ダイヤルの効きは悪いうえに、もう小僧の手はふるえて、天気の微妙な調節は難しくなっていました。彼の目の下はおちくぼみ、黒いくまができていました。
すぐに、手紙が届きます。
『どうしてこんなに雨をふらせるのか。台風のせいで各地では洪水や土砂くずれがおきて、被害が出ている。雲のせいで日照時間が短く、作物が育たない。改善しろ』
「もういやだ」
目にたっぷりの涙をたたえたこぞうが手紙をやぶこうとしたとき、部屋のドアが開きました。
「いま、帰ったぞ」
そこには世界中の酒を飲み歩いて顔を真っ赤にした神さまが立っていました。
「なな、なんじゃこの部屋は」
神さまは部屋じゅうを埋めつくす手紙の山に目を白黒させました。
こぞうは神さまのもとへ駈けよると声をあげて泣きました。
「これはこぞう、いったいどうしたというんじゃ、ひっく」
こぞうは泣きながらいままであったことを話しました。
「なに、人間が」
「はい」
こぞうは目を赤く腫らし、目の下にまっ黒いくまをきざんでいるので、天使なのにまるで悪魔のようにみえました。
「最近になると、地球温暖化も改善しろと言うのです」
「チキュウオンダンカ。なんじゃそれは」
「ぼくにもよくわかりません。でもそのせいで、どうやら最近ひんぱんに災害がおきたりするようです」
「はあ。それにしても人間たちはずいぶんえらそうじゃないか」
「地球を自分の支配下にあると思っているのです。自然も、気候も、ぜんぶです」
「ふうん」
神さまが腕をすこしくるくるさせると、突然、部屋の中に突風が巻きおこりました。すさまじい風は部屋の手紙をすべて切りさき、窓の外からはるかかなたへ吹きとばしました。そうして神さまはきれいになった部屋を千鳥足でよたよた歩き、体全体でもたれかかるように椅子にすわりました。
さっきこぞうがうけとった二通の手紙は、風にとばされずにダイヤルのすき間にはさまっていました。神さまはそれをつまみ、ひろげました。
「なまいきじゃのう」
そうつぶやくと、神さまはその手紙も風の力をつかって空中で八つざきにしました。
「あのなあ、こぞう。そんなに根を詰めることはないんじゃよ。こんなのは、適当にやったらいいんじゃ」
お酒で赤ら顔の神さまは口をむにゃむにゃうごかして、机のうえでほおづえをつきました。そのとき、神さまのひじがレバーにあたってしまいました。すぐにうしろの水晶玉の雲のようすが変わります。酔っぱらった神さまはそれに気づいていませんでした。
「わしがまだ天使のこぞうをやってたときにも、先代の神さまにあてて人類が手紙を送ってきたんじゃよ。なに文明といったっけな。まあそれも滅んだじゃろ。原因はなんだっけな、ええと。忘れた」
神さまはだんだんろれつがまわらなくなってきました。郵便受けに新しい手紙が投函された音も聞こえていないようでした。
「そういえばあのときも、今日のわしみたいに先代が酔っぱらっていた日じゃったかのう。起きたらたくさん手紙がたまっていて、地球の時間がだいぶ進んでいて、手紙を送ってきた文明は滅んだらしくての」
神さまはこっくりこっくりと、船をこぎはじめました。
「だから平気じゃ。大したことはないんじゃ。べつに。人類なんてのは……しょせん……むにゃ……」
神さまは机につっぷして、完全に眠ってしまいました。
その手や頭などがいくつかのレバーやボタン、ダイヤルに触れて、それらをめちゃめちゃにうごかしました。水晶玉のようすは一変し、見たこともないような雲の流れになります。
こぞうはしばらくのあいだ、黙ってそのようすをながめていました。多くの青とすこしの緑で彩られた美しい星がじわりじわりとくすんでゆくのを、ぼんやりとながめていました。そして思いだしたようにおおきなあくびをすると、せわしなくはたらく郵便配達係を横目に、神さまのいびきのひびきわたる部屋をあとにしました。
赤黒い目をしたこぞうのほほには、かわいた涙が筋を描いていました。