路地裏の少女剣士
「じゃあ、色々ありがとな、アンリちゃん。落ち着いたら遊びに来るよ。ギルド長にもよろしくな」
「あの……おかしなこと、考えてませんよね?」
ギルドを出よう挨拶をすると、見送りに出てきたアンリが尋ねてくる。沢山の人と接してきたお陰か妙に察しがいいようで。
「ははは、ないない。大丈夫だよ、俺にそんな根性なんてないって」
手を横に振って笑いで誤魔化す。アンリはいぶかしげな視線で俺を見入る。
「まあ、生きていてさえいれば、それでいいんですけど。バカなことして死なないでね」
「ああ、死なないさ。君を口説きに来ないといけねぇしな」
「そう、期待しないで待ってます」
アンリは身を正して体を屈め、「ラスティン様。長い間のお勤め、お疲れさまでした。当国に命を捧げて頂いたことに感謝の意を」
と、深くお辞儀をして俺に今日いちの笑顔を見せた。
俺はいつものように「おう、またな」と挨拶を返して、感触を噛みしめるように静かに扉を開ける。
戦中の空気ってのは、いつでもどこでも血の匂いが混じっている。外ではいつの間にやら霧のような雨が舞っていて、その匂いをより強めていた。
「おぉ、さむっ」思わず口してしまう。
極寒。というほどではないが、さっきと比べて温度の低下が著しい。顔に張り付く細々とした雨が、更に体温を奪おうとするのも厄介だ。
少し歩いた先の路地裏に、一部地面が乾いている場所を見つけた。俺はそこに身を置いて、雨が止むのを——または弱まるのを待つことにした。
ぱたん、ぱたん、と一定の間隔をもって落ちる水音が睡魔を誘う。気を抜いたら立ったままでも寝てしまいそう。俺は肩を摩りながら灰色の空を仰いでいた。
「ちょっと……触んないでよっ! 変態っ!」
背後から物騒なひと声。
一体なんだと肩越しに見やると、ローブを着た象牙色の長い髪——ひとりの女性が三人の男に囲まれている。今日はどうやら事件に巻き込まれやすい一日の模様。
俺は溜め息を漏らして歩みを進め、彼女の肩を叩いて悪漢三人組を順に睨み付ける。
「なあ、あんたら。男なら、もっとやり方ってものを考えたらどうだ。そんなんじゃ、ついてくる子もついてこないぜ? なんなら俺が教えてやろうか?」
できれば俺にも教えて欲しいくらい。三人は『あぁん?』と息ぴったしに声を揃えて俺を睨む。
「なんだぁてめえ? 俺らが何をどうしようが関係ねえだろ?」と、つり目が俺の襟を掴んで舐めるように俺を見回す。
その後ろにはボウズと金髪。
「んーでも。こうやって見ちゃったわけで。すまんな。見過ごす訳にはいかないんだよ」
俺は頭を掻きながら横目でローブの女性を見る。彼女は悪漢三兄弟に誰でもわかる嫌悪の視線を送っていた。
「ん?」この子どっかで見たことある気が。
「おい、にいちゃん、調子にのんなよ? 俺の女を横取りする気かぁ?」
とボウズ。
「はあ!? 誰があんたの女よ! 馬鹿じゃないの!」
ローブの女性が狼のように吠える。あまり逆上させないでほしいんだが。
「あの、ここはいいから後ろに下がって」
「え、あ。はいっ!」
また違った声色で、元気に素直に返事をして俺の後ろに隠れる。
——なんだかやる気が湧いてきたぞ。
「君たち。あまりことを荒げたくないんでね。私は《ユニオールの翼》直属の兵士。できれば何も言わずに立ち去って貰いたいのだが」
俺は騎士の立ち振る舞いで、悪漢三人組を恫喝する。彼らは驚きと焦りを見せていたが、金髪が俺の姿をまじまじと眺めて、失笑した。
「ぷははは! なぁにが《ユニオールの翼》だ、脅かしやがって! 記章がどこにもねえじゃねえか」
ああ、そういえば返しちゃったんだっけ。
どうしようか。余計な騒ぎだけは避けておきたいけど。
「なにブツブツ言ってんだよ、興が削がれたお礼はしてもらうぜぇ——っ!」
つり目が小型のナイフを取り出して俺に斬りつけてきた。
「まったく……」仕方がない。
俺の襟を掴んでいたつり目の手を掴み持ち上げて身を屈める。頭上で空を切った腕を捕まえてねじ上げてやった。つり目はくるっと半回転、ミキッといい音が体越しに響く。
「んぎゃ!」とつり目が悲鳴をあげて、肩を押えながら崩れ落ちた。
「よそ見してんじゃあねえぞ? 相手はひとりじゃねえからなぁ!」
と小物っぷりを大いに発揮して、誰かが後ろから腕を回して、首を締め付けてきた。俺はその手を掴み、ねじるように力を入れると、相手の指があさっての方向へ曲がる。そのまま背負うように投げ飛ばした。
「危ないっ!」と、女性の声。
振り返ると、残りのボウズが剣を握って向かってきていた。
やれやれ、動きが遅い——「お?」
気付けば、象牙色の髪が目の前で舞い上がっていた。
レイピアの剣先がボウズの喉元に突き付けられている。
「やるじゃん」
「どういたしましてっ」
彼女は背中越しに俺を見て片目を瞑る。
悪漢三人組は小物らしく「覚えてろよっ」と言い放ち、各々の方向へ逃げていった。彼らを見送った彼女はレイピアを納めてふぅと息をつく。
「いつもならこんなこと、滅多にないんだけどな」
「いつもこんなことが起こってたら、嫌ですね」
こちらに向き直り肩をすくめて舌を出す。
特徴的なこの碧眼——俺はこの子を知っている。
以前どっかの戦場で会った、とか?
「君、もしかしてどこかの兵団に属してる? 腕も立つようだし」
「いえ、してませんよ。私は人探しでここに来たんです」
乱れたローブを整えながら彼女は応える。
「そうか。それで、その人は見つかったのかい」
「この街にいると聞いたのですが。どうやら宛てが外れたみたい」
と切なそうに笑う。思い人、あるいは恋人だろうか。手助けしたいのはやまやまなんだが。
「すまんな、力になれそうもない」
「そんなつもりじゃ……あまり気にしないでください。それで、あの……助けて頂いて本当にありがとうございますっ」
彼女は深々と頭を下げる。
「いいって。俺が勝手にやったことだから。頭を上げてくれ」
彼女の肩を持って頭を上げさせる。となれば近くで顔を見合わせてしまうのは当然で。
「あっ」と彼女は小さく声を上げて頬を染める。
「ああ、失礼」と俺は距離をとる。「えーと、きみ、名前は?」
名前を聞けば、この子が誰なのか思い出せるかもしれない。
「はい。私、リリアナと申しますが」
「ん?」リリアナ? リリアナ——まさか。
この国に来た前よりもまた前、子供の頃の話だ。
俺の家の近所に住んでいたとある少女。その記憶の中の姿と、目の前にいる彼女が綺麗に重なった。この髪の色と目の色とこの顔。間違いない、俺の幼なじみのリリアナだ。
「リリアナちゃん!? まじかよ! なんだよ、あっちもこっちもこんなに大きくなっちゃって!」
俺は彼女の肩を叩いて偶然の再会を喜んだ。リリアナはきょとんとして首を傾げた。
「いやあ、久しいなぁ」
「え? え? あの」
彼女は何度か瞳を弾いて、そっと口を開いた。
「どっかで会ったことありましたっけ……」
なんて薄情な! 年の差があるとはいえ、あんなに遊んだ仲だろ。まあ……誰だか知らんが尋ね人もいるようだし、知らないところでは既に大人になってしまったのかも知れないけど。
「忘れるこたないだろ? 俺だよ、ラスティンだよ。覚えてるよな?」
「えっ? ラスティン? あ、えーと。え? ん?」
リリアナは額に手をあてがい、何かを考える素振り。
「……なんで、私の探している人の名を知ってるの?」と呟くと、険しい表情を作って俺を睨み付ける。
あれ? なんか思わぬ誤解をされてる?
「あなた、何者? 彼の知り合い? いや、それもなさそうね。彼は私にとってとても大切な人なの。事と次第によっては例え恩人でも——」
間合いを取るとローブを翻して、レイピアに手をかける。
ローブのスリットから桃色の太ももが露わとなり、自分の知っていた少女との違いにドキリとする。
いやいやいやいや、それどころじゃねぇ。
「何言ってんだよ。俺の顔忘れたのかよっ!?」
「だからあなたの事なんて知らないわ? ……彼はね、もっとこうぼさっとしてて、目が死んでいて、髪もボサボサで、まるでやる気を感じさせない、そんな人。あなたみたいに、超イケメンとは格が違うのよっ!」
酷い評価だなおい。
複雑な心情の葛藤に溺れそうになったが、ふとあることに気がついた。そう、俺は《最強イケメン化》を解くのを忘れていた。
なぜアンリは教えてくれなかったのだろう。彼女の悪戯な笑顔が脳裏をよぎった。
「なるほど、そういうことか。ちょっと待ってね」
そう言って両手で自分の顔を覆うと「イケメン解除っ」と叫ぶ。
やっぱりかけ声は要らないんじゃないか? と思いはじめている。俺は改めて彼女と向き合って顔を見せた。
「あ……」リリアナは目を瞠る。
彼女の大きな瞳に涙が溜まってゆく。一粒でも零れてしまえば、流れを止めることはもう出来ないだろう。
「ラス……ティン? ラスティン……っ! あぁ、もう、ばかぁ! 勝手にいなくなってさぁ……なんでぇ、なんで何も言ってくれなかったのよぉ!」
胸元に感じる彼女の重み。舞い上がった髪からは昔とは違う、甘い柑橘のような香りした。俺はやさしく彼女を撫でながら応える。
「ああ。なんか、悪かったな。どうしても剣士になりたくってさ」
黙って行きたかったわけじゃない。勝手な話かもしれないが俺が辛かっただけなんだ。リリアナと会ってしまえば、決意が崩れてしまうと思ったから。
「なにが悪かったよぅ……知ってたけどさぁ、なにも勝手にいなくなることないじゃん……」
顔をこすりつけて、ぐしぐしと鼻を啜りながら俺の顔を見上げる。
「なんつか——綺麗になったな」
「うるさいっ」
「俺はおじさんになっちまったけどな」
「うるさいっうるさいっ」
「んーまあ、アレだ。会いたかったよ、リリアナ」
「……私も、会いたかったよ」
そういって目を閉じ、「ん〜っ」と唇を突き出してくる。
いや、ちょっと待て、「それは違うだろ」
俺にとってリリアナは妹のような存在のつもりだった。彼女だって昔はそうだったはずだ。
しかし、成長と共に思いが変わっていくのは当たり前のこと、なのかも知れない。
現に俺だって今の彼女に対しての気持ちは以前とは違う。
でも、すぐにそれを受け入れることは難しい。そう思う。
俺は彼女の肩を両手で押さえて、彼女の過ちを阻止する。
リリアナは俺の両手を掴んで、負けじと応戦をはじめる。
「ちょっとなんでよっ! 今のはぜ——ったいするとこでしょっ!? ここでしないなら世界中の恋人たちがキスできないわ! 世界の恋する乙女に謝りなさいよ!」
「どこをどうすりゃそんな結論になるんだよ……そもそも俺たちそんな関係じゃないだろ? 俺はそんな軽い子に育てた覚えはないぞ!」
「別に育てられたつもりなんてないしっ! それなら今からそういう関係になればいいじゃない! だから、しーなーさーいーよっ!」
「おい! 落ち着け! どうしちまったんだよ!」
思っていたよりリリアナの押しが強い。かといって本気を出すのもなんだか気が引ける。じりじりにじり寄ってくる、ぷるっと潤った小さな唇。
——こいつは……。
欲望に負けそうになったその瞬間——彼女の顔が視界から消える。
「んぶゅ」と足下から可愛らしい声が聞こえたので視線を下げてみる。彼女のファーストキス(?)の相手に選ばれたのはどうやら……。
「おい、大丈夫かー……」
お尻を突き出してのびている少女の安否を伺った。
俺は災難(?)ばかり起こる今日という日に呆れ、「嗚呼、我らが思し召す神セレイスティア……加護もクソもあったもんじゃねえな、おい」と神を名指しで呪っておいた。