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9 解答

 剣崎毅という男を、一般の人が評価するとしたら、それは電波、としか言えないかもしれない。俺も客観的に見るとそう思う。だけど、それにはやむにやまれない事情があるのだ。俺はそれに直に関わっているからこそ、何も言えないし、千夏も言えない。俺たち四人は、共通の幼馴染で、小さい頃からずっと一緒だったから。誰もが変わってしまって、大人になってしまった今でも、繋がりがあって、話が出来ることは、恵まれているのだから。

 世間から電波と言われている毅は、それでも俺より恋愛経験は豊富だと思う。何せ、あいつはいつだって恋に生きている。その趣味嗜好はねじ曲がっていても、いつだって隣にいる子を愛し続けていた。

 だから、だろうか。俺は、恋愛の大先輩である毅の言葉に、真剣に頭を悩ませていた。

 ――お前がその子を好きだからだよ。勿論、恋愛の意味でな。

 毅は今頃、千夏と思い出話に花を咲かせて、少しでも機嫌を良くしよう、俺たちの家を元の状態に戻すために頑張ろう、と必死になってくれていることだろう。だから俺も、言われたことを必死に考えた。空になったカップティーのような頭で延々と。

 奈緒が好き。……この俺が?

「は、はは。まさか」

 しかし、それを鼻で笑い飛ばせない自分が居る。奈緒と居ると楽しいなんて思ってしまう。あんなの、久しぶりだ。あんなことをしてしまって、だけど後悔もしていない。外に出れば、きっと奈緒に会えると、今でも思う。そして、それを待ちわびている自分が居る。だからこそ、千夏には機嫌を直してもらいたい、というのもある。じゃなきゃ外に出れないから。

 なんの解決もできないけど、延々と考えるのだけは得意だ。俺は思考の海に大航海をしょうと天井を仰ぐ。

 例えば。そう、例えばの話だ。

 千夏と仕事でするデートを、奈緒としてみたら。

 映画を見に行ったり、水族館で泳ぐ魚を見てはしゃいでみたり。手を繋いで、あんな突然のようなものではなくて、ちゃんと、思いあったキスを、してみたり?

「……っ」

 声にならない何かが漏れる。何だろう。ただ、それだけのことを想像しただけだというのに。少しだけ、胸が苦しい。

 俯いて、胸を手でこすりつけていると、背後で扉の開く音がして、咄嗟に振り返った。毅と千夏は部屋で談笑中。ならば、入ってくるのはこの屋敷の使用人に限られている。

 するとそこには、クーラーがガンガンに効いているとはいえ、相変わらずぴっちりと燕尾服を着こなした暑苦しい執事が、ティーポットを手に立っていた。

「澪様、紅茶のお代わりはいかがですか」

「……なんだ。今日はやけに俺を気にするじゃないか」

「まさか。千夏様の大切な人を気遣うのは、当然の事でございます。毅様達にもお出ししてきた帰り、というのもありますが」

「そうか」

 相変わらず千夏はミルクティーを要求して、優雅に、田舎者の人間の癖にカップを手にすすっているのだろう。考えただけで反吐が出る。だいだい、この執事が持ってきたものだって、どうせレモンティーだ。俺をレモン漬けにしてどうしたいんだ。

「でも要らない。お前が飲めばいい」

「そう言わずに。少しだけ、澪様とお話ししたいのです。この老爺に、大切なお時間を頂けませんか」

「…………改まって、なんだ」

 腹の下は何を考えているか分からないこの男に、何の話をしろというのだろう。それでも俺は、やっぱり今の自分の感情に答えが得られず、もやもやとしていることから、いつもは素っ気なく追い払うはずのこの一介の執事に、座れと視線で促した。執事は一礼して、向かい側のソファに行儀よく腰を下ろす。ひとまず奈緒の事は忘れられそうだ。毅の言葉も。

「何の話がしたいんだ。俺は、話すのは得意じゃない」

「もちろん、知っていますとも。……幼い頃より、ずっと見ておりますから」

「なら、俺でも続く話をしろよ」

「そのつもりです。ええ、色々とお聞きしたいことがありまして。千夏様はしばらくお部屋から出てこないでしょうし、今のうちに。その、ですね」

「歯切れが悪いな。なんだ」

「毅様のお言葉は、本当ですか」

「毅?」

「ええ。失礼ながら、先ほどのお話を聞いてしまいました。申し訳ございません。しかし、澪様の心の真偽をお確かめしたく」

 俺は執事の顔をまじまじと見る。いつの間にか増えたしわに、白髪の混ざったオールバックの髪。俺がまだ、心から笑っていられた頃と比べて、随分老け込んだその顔は、暗い深海の色だった。

「全部聞いていたのか」

「はい。奈緒様、というのですね。だから、あの日千夏様のご機嫌はいつも以上に悪かった」

「恨むか、俺の事を。真偽はともかく、外で知り合いを作って、家の状況を滅茶苦茶にして」

 本当なら、俺も友人との会話を盗み聞きした執事に怒鳴りつけたっていいのだろう。でも、俺にはそんな感情はわかなかった。変わらない空っぽの心だからか、それとも俺と似たような状況にある執事に同情しているのか。

「まさか。この状況に苦労こそすれ、澪様を恨むなど。……今の貴方を見ていると、どうしても、そう思えません。……むしろ」

「むしろ?」

「いえ。……この先の言葉は、私の口からは言えません。しかし、澪様の御心はいずこへ。奈緒様という女性を、好いていらっしゃるのですか?」

「……分からないんだ」

 結局、この話に戻るのか。奈緒の事は、しばらく忘れられそうだと思っていたのに。ならば、それを利用して自分の気持ちに整理をつけてやろうではないか。それが、一番の解決策だ。

「お前は、恋をしたことあるか?」

「それはもう。私も若かりし頃は、様々な女性に心を持っていかれたものです」

「なら、俺が本当に恋をしているのか、分かるか?」

 執事は自分で用意したティーカップに口をつけると、渋い顔をした。そして首を振る。ああ、これは執事としての役目をこなす時の仕草だ。仕方ないから、といつも動く彼の癖は、この屋敷の使用人としては不適切に感情を表す。千夏の前では一切ないけれど、俺の前だとこういうことが時々ある。つまるところ、執事も俺に少なからず同情しているのは明白だった。感情を表に出しつつも、行動は忠実に。いつもの事だった。

「私の立場上、あまりそういったことは言えません。……しかし、自分の心に正直になれば、自ずと答えは見えてくるものです」

「そうか。じゃあ、お前の答えにはノーとでも言っておこう。俺はあいつが気になるけど、今のところはっきりとした答えは出せない。……それに、俺だって何度も千夏を怒らせるのは、あまりしたくない」

 心が空っぽと言われた俺に、自分の心を見つめて正直になるというのは困難な事だ。だったら、この感情を無視して、いつも通り、千夏のご機嫌取りをする仕事に努めた方がずっと楽だ。死ぬまで、ずっと。

「左様ですか。澪様がそれで良いとおっしゃるのなら」

「お前だって、その方がいいだろう。身の安全は保障される」

 でなければ、屋敷の使用人にだってとばっちりは来るだろう。執事は曖昧に笑って誤魔化し、再度紅茶をすすると、ティーカップを置いた。真っ白な陶器に青い鳥が羽ばたくイラストが入った、可愛らしいデザインは、老爺には不釣り合いだった。

「毅様は、相変わらずのご様子ですね」

「まあな。元気で、無茶苦茶で、いつだって美咲の事を考えてる。俺よりずっと人生を謳歌してるよ」

「……美咲様も、お元気でしょうか」

「きっとな」

 俺は窓の外を見て、雪がちらつく景色にいつか見た美咲の最後の顔を思い出す。もう、あれから随分と時間が経った。美咲が死んで、何年だ?俺たちは、いつの間にこんなに大人になって、それぞれが曲がってしまったのだろう。

「たまには、千夏様と一緒に墓前に手を合わせてみてはいかがですか」

「……そうだな。美咲の話なら、千夏も喜ぶだろう」

 美咲は生前、千夏の一番の親友だった。美咲も毅と同様、恋に恋して生きる根っからの恋愛体質で、ある意味では毅と似た者同士で。千夏はそれに影響を受けているのかもしれない。

俺たちは、何だかんだと四人でつるんだものだ。喜怒哀楽、全てを共有して、毎日を過ごして、離れがたい関係を築いた。

「恋心について分からないと仰るなら、毅様と美咲様にお聞きになればよいのでは?あのお二人は、経験豊富でいらっしゃいます」

「まあ、そう思うよな」

 俺は再度、窓の外の景色を眺めた。今でもどこかで、奈緒は無邪気に外をぶらぶらと歩きまわっているのだろうか。それとも、ついこないだの俺たちのせいで、未だに落ち込んでいるのだろうか。少しだけ、そうだといいなと思って俺は首を振る。やめよう。もう、どうでもいいじゃないか。俺には、関係のない話だ。

 しかし俺の決意なんて、案外もろく、例えるなら豆腐のようだった。形はしっかりしているのに、手を差し出せばずぶりと誰かにかき乱されてしまうような、そんなもの。その手はきっと、奈緒だったんだろう。

 俺は結局、千夏を裏切る形になってしまった。


 毅は随分と千夏のご機嫌を取り、ともすれば彼氏面でのうのうとしている俺よりもよっぽど大活躍して、この屋敷を綺麗にしていってくれた。あの後、千夏の休憩時間を一秒たりとも無駄にはせずに、毅は彼女と何やら話をして、最終的には笑顔で俺に謝らせたくらいだ。何をしたんだ。

「澪、本当にごめんなさいね。でも、分かって。私は貴方の事が好きで好きで仕方ないの。愛ゆえなの。貴方が異性の誰かと話をするなんて、考えるだけで腸が煮えくり返って、刺してしまいそう」

「いや、俺も悪かった。千夏を不安にさせてしまって、本当にごめん」

「ふふ、これでお互い仲直りね。喧嘩するほど仲がいいなんて言うし、良い思い出になるわ」

 喧嘩というより、一方的に怒鳴られて、怯えさせられて、俺の心身に影響を及ぼしただけに思えるけど。しかし、それも言わず、俺は笑顔で黙ってうなずいていた。千夏は毅と話をして、仕事が終わってもずっと機嫌が良かった。いつもは夜と言えば、疲れた彼女を労わるのが俺の仕事だったのに、今日はむしろどうすればいいのか分からないくらいだ。怯えて縮こまっているよりかはマシだし、全くもって構わないけど。

 そんなこんなで、俺たちは三日ぶりに夕食を共にしていた。今日のメニューはトマトスープにチキンのグリル、シーザーサラダといった、どこぞのホテルでも目指しているかのようなメニューだ。田舎町でのさばる企業が、やけに見栄を張っているようにしか見えない。キラキラと磨きあげられたこのテーブルも、妙に弾力のあるクッションも、昔はこんなのではなかった。全て、東雲の仕業だ。

「毅との話は、そんなに楽しかったのか?」

「ええ。とっても。美咲も交えて、久々に心置きなくお話が出来たわ。可笑しいのよ、毅ってばまた変なことを言いだすの。会社の幽霊話とか、今起きている夏雪現象の考察とか」

「へえ」

「あら、もしかして嫉妬?私が毅と話しているの、気に入らなかった?」

 唐突に、俺は千夏の顔を見た。ようやく落ち着いた化粧映えのするその顔は、にんまりとずっと笑顔だ。ここ最近では般若のような仮面を張り付けていただけに、久しぶりだ。しかし、得体の知れなさはどちらも劣らない。俺は久々の彼氏としての仕事の振る舞い方を一瞬で導き出し、こくりと頷いた。目の前に広げられた皿を執事達が上機嫌で下げていく。終わったはずの夕食だが、この後デザートをご用意しますか?と使用人の一人が訪ねている。いつもはこんなことがないのに、やはり皆、訪れた平和に安堵しているのだろう。

「少し。彼氏なんだ、俺も嫉妬くらいする」

 千夏の様子を伺って用意してくれ、と返すと、本当は微塵も思っていないことをするりと言ってのけた。千夏は頬を染めて満足そうに首を振った。愛されているという自覚が、こんなことで得られるのなら、相当おつむの弱い人間だ。

「嬉しい。ふふ、今度は四人でお話ししましょうね。たまにはダブルデートもよさそう」

「ああ。もちろん。……俺と、千夏と、毅と。……美咲も」

「そう。……そうよ。だから」

 千夏は一度立ち上がると、俺の隣までやって来て、耳元で囁く。

「あの女とは、会わないでね」

 テーブルに並べられたフォークがきらりと光って、俺は無意識に肯いていた。千夏は、機嫌を取り戻したものの、奈緒と会うことをよしとしたわけではない。理想の高い女王様は、自らの半身が別の何かに侵食されるのを嫌がった。ただ、それだけだ。分かっている。分かっているはずなのに、それでも俺は、少しだけ、なぜ、と思ってしまっていた。


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