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18 告白

 先ほど消えた奈緒は、一体どこに行ったのだろう。そもそも、彼女はどこに住んでいるのだろう。

 俺は奈緒を探すために町をさ迷うことになる。

 そこで気づくのは、やはり、奈緒のことを何一つ知らないという事実だ。奈緒という名前と、容姿と、あの自由奔放な性格以外は知らない。そしてそれは、とても悔しい事のように思えた。好きな人のことを知りたいと思うのは、至極当然なことだ。あなたの好きな人は、どんな人ですか?何をしていますか?そう聞かれたら、俺はなんと答えるのだ。詳細に答えられるのが、千夏のプロフィールだけなんて、悲しすぎる。

 結局、二時間ほど探しても奈緒は見つからず、俺はいつもの公園で途方に暮れることになった。いくら夜だからといえど、風のない空気は身体にまとわりついて離れず、背中に汗が伝う。

 千夏から与えられていた携帯は置いてきたし、毅と連絡を取る手段もない。けど、彼は必ず何かしらの方法を用いてコンタクトを取って来るだろう。それまでにこの町を奈緒と出たい。彼の話曰く、俺がこの町を出たことが分かったら、また連絡する、とのことだった。

 その前に肝心の奈緒と会えないのでは意味がない。

 それよりも、俺がこの町を一緒に出ようと言って、奈緒はついてきてくれるだろうか。どうしてそんなことを?と思うのが普通だ。俺だって知り合いだろうが何だろうが、突然新幹線のチケットを渡されてこの町を出よう、一緒に暮らそう、なんて言われたら戸惑うし、断る。つまるところ、これは駆け落ちなのだ。奈緒は俺の事を恋愛対象として見てはいないけれども、俺は奈緒と駆け落ちをして、これから先、平和に、幸せに暮らしたい。駆け落ちしたいと思える相手を見つけられることは、実はとても幸せな事なのではないかと考えてしまい、ため息を漏らす。あほか。俺の独りよがりな考えで、奈緒をこれから振り回すというのに、自分だけ幸せに浸るなんて。

「でも、奈緒なら簡単にいいよって言いそうなんだよなあ」

 なんたって、非常識の塊なのだ。自分の感情に素直で、楽しいこと最優先で、面白そうなことが目の前にあれば、猫のように飛びつく。たいして魅力もない俺を、面白いと言ってのける彼女が、駆け落ちを断るだろうか。

 太陽に照らされてすくすく育つ野菜のようなポジティブな考えを巡らせていると、背中にべちゃっと音がした。その瞬間、冷たい感触が背中に伝っていく。

「奈緒か?」

「もちろん。帰ったかと思ったら、また外に出てるのを見かけて遊びに来ちゃった」

「先に帰ったのは奈緒だろ」

「あらら、その通り。ごめんね」

 ぺろっと舌を出して謝る彼女はちっとも悪いように思っていなかった。まあいいさ。彼女の身勝手さにはそろそろ慣れてきたところなのだから。

「ねえ、さっき、私がどうとか言ってたよね?なあに?」

「ああ、聞こえてたのか」

 それなら好都合だ。俺はポケットからチケットを取り出して、奈緒にみせると、一気に説明した。どうやら自分が思っていた以上に緊張しているらしい。

「俺の身勝手な頼みだと分かっているけど、聞いてほしい。どうか、叶えてほしい。俺と、一緒にこの町を出ないか。俺と一緒に過ごさないか」

「……え?」

 それは、奈緒にしては珍しい表情だった。いつも楽しそうだったり、悪戯っ子のような顔だったり、とにかくくるくると変わっていくその顔は、俺にいい印象を与えるばかりだった。

 けれど、今の奈緒と言ったら戸惑いと驚きがないまぜになった表情で、無言でチケットを見つめていた。

「これは、そのためのチケット?」

「そうだ。毅にもらった。この町を一緒に出よう。……勝手なお願いだってことは分かっている。けど、俺がこの町に居たら、また千夏に見つかって元通りだ。そんなのは絶対に嫌だ」

「でも、それがどうして私と一緒に行くことになるの?」

「奈緒が好きだからだよ」

 迷いはなかった。この気持ちは本当だった。雪がしんしんとまた降り始める中で、俺は空気に熱された身体をどうにかしたくてしきりに腕をさする。けれど、熱は高まる一方で、心臓だってうるさくなってきた。緊張の延長戦は、相当に困難を極めて、どうやら身体をヒートアップさせるらしい。

「好きな人と一緒に駆け落ちするのは、何も珍しい事じゃない。俺は奈緒と一緒にこの町を出たいんだ」

「それって、とっても自己中なお願いだね。君のために私の人生を捧げろって言ってるようなものだよ?」

「そうだよ。知ってる。……でも、奈緒だって自己中なんだから、お互い様だ」

「あらら、これは一本取られた」

 あちゃーと額に手を抑えて大袈裟なリアクションを取る彼女は、それでもいつもの笑顔を浮かべてはいなかった。これが真剣な話であると、さすがの彼女でも悟ったらしい。

「ううん。私が行くと思ってる?」

「かなり」

「駆け落ちするって言ったって、私は貴方の事を好きじゃないんだよ?人としては面白くて好きだけど、嫌いだとも言ったし。恋愛感情なんて、欠片もないんだよ?」

 平気な顔をしてかなり人の心をえぐってくるな、と内心で冷や汗をかいた。そんなの分かってるのに、あえて口に出すあたりが、奈緒らしいと言えばらしい。

「そんなの、前に聞いた。……でも、だから何だっていうんだ。俺は、奈緒が好きだ。そして、一緒に町を出たら奈緒は必ず俺を好きになる。好きにさせてみせる。……俺が、奈緒に恋愛感情ってやつを教えてやる」

 一世一代の告白。そう言っても過言ではなかった。俺には、彼女と暮らす未来が必要だ。千夏に振り回されない、俺という個人を引き出してくれる奈緒が必要だ。俺を面白いと言って、なんでも知っている彼女は、責任を取るべきだ。

 そんな傍若無人な考えが浮かんで、俺は少しだけ笑う。なんだ。俺も負けず劣らず自己中で人を振り回すじゃないか。まるで、千夏のようだ。

「恋愛感情を教えてくれるっていうのは、とても魅力的だね。……でも、ね」

 奈緒はくるりと背を向けた。外灯に照らされて艶やかな黒髪が揺れる。雪が積もっていようが、振り払う事もしないで奈緒はその華奢な背中を広げる。抱きしめたい衝動に駆られて、だけど止めた。背を向けられた瞬間に、答えはもう出ていた。

「ごめんね。行けないよ」

 ザザッ、と音がしたような気がする。テレビの雑音、ラジオのノイズ。例えば、そんな音が俺の中に響いてやまない。聞きたくない答えは、それでもある程度予想できていた。奈緒なら、誘われたらすぐに肯いてしまうだろう。だけど散々遠回りした言葉を放たれた時、もう俺は諦めを覚えていた。

 俺は、奈緒に振られたんだ。

 一度ならず、二度までも。

「なあ、聞いていいか」

「なあに?」

「どうして、行けないんだ?俺じゃ、恋愛感情を教えるのには役不足ってことか?」

「違う」

 バッサリ切り捨てた彼女は少しだけ顔を後ろに向けると、横顔を覗かせた。伏せられたまつ毛は何かを憂いているようで、いつもの彼女の姿からは程遠い。

「魅力的って言ったよね。もちろん、そう思ってる。出来れば行きたいよ。でもね、ごめんね」

 不意に、奈緒は夜空に右手を伸ばした。今にも星を掴んで、食べてしまいそうな勢いだった。雪は味がしなかった。けど、星は味がするのだろうか。

「もう、この町から出られないの」

「……どういう、事だ?」

 訳が分からなくて問い返すと、奈緒は一度だけ笑い声を漏らすと、ついてきて、と手招きした。俺は、素直に従うことにした。振られたというのに、たいして悲しみが積もらないのは、奈緒が恋愛を知らないからだろう。これから何度でもチャンスはやって来る。まずは、理由を突き止めたかった。

 そうして、俺たちは夏雪現象に直に触れることになった。


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