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15 計画

 何だかんだと四人の仲は次第に時間が解決を施してくれた頃、いつの間にか高校生に上がり、ついに夏休みが始まった。高校生初めての夏休みは、自然と四人で集まることが多くて、時に海水浴だったり、夏祭りだったり、宿題を見せ合ったり、学生らしく謳歌した。俺は不器用にも家の様子に全く気付かず、自らを変える危険な罠が張り巡らされつつあることを見逃していた。

 そんな頃、美咲は吹っ切れたのか、毅にべったりするようになり、それこそ今までは千夏の隣で笑っていたのが嘘のように彼の横に居続けた。それが千夏にとっては気に入らないらしく、だけど大切な親友が幸せそうなら、と泣く泣く我慢していたようだ。千夏だって毅の事が好きだし、それはそれで仕方がない。

 そうなると俺の横にべったりとしている存在が、これまで以上に千夏という枠になってしまうわけで。その頃からだろうか。俺の社長の息子という立場が次第に崩れ始め、仮にも使用人の娘である奴がでかい顔をし始めたのは。

「澪、私を見て。私だけを見て、ねえ」

「……え?急になんだ?」

「何って、いつもの事でしょ、私の理想を崩さないで。ほら、人に笑顔を振りまいて、さわやかに振舞って?」

「どうして俺がそんな事を?」

「しろって言ってんの分からないの?あんた、自分の立場分かってるの?」

 それはむしろ俺が言いたい言葉だった。たしかに数年間ずっと一緒で、これ以上ないほどに近しい人物ではあるが、地元に根を張る企業の息子になんて口の利き方だ。どういう了見だ。

 そう言おうとして、俺は言えない事に気付いた。

 いつの間にか千夏の視線は俺を捉えるばかりか、がんじがらめにして動かせないようにするほどにきつく、視線だけで人を殺せるのではと勘違いしてしまうほどで。つまり千夏は、視線一つで恐怖を一にも二にも与えてしまう、メデューサのような人間だったのだ。今まで気づかなかったのが笑えて来るくらい、千夏はわがままで傲慢で、人を容易く操り、石に変えてしまう妖怪になり果てていた。

「なあ、千夏、最近様子が可笑しくないか」

「そんなことないわ。私はいつも通りよ」

 そう言って笑う千夏は、毅も、美咲もどこかで違和感を覚えてしまうものだった。


 そうして、俺たちの関係が決定的に変わってしまったのは、夏休みを終えて、すっかりみんなが日焼けしきったころだった。

 俺は今でもあの日を忘れない。

 友人が死んで、自分の家が壊れて、これまで多彩な色で描かれていた俺の人生が、全て無色透明になって、終わりが告げられてしまった日の事を。


「美咲が死んだ」

 始業式の次の日。

 朝の八時半、教室に入って、けだるい暑さをガンガンに効いた冷房で吹き飛ばそうと鞄を置いた時、先に登校していた毅がそんなことを言った。

 俺はてっきり、何かの冗談かと思って、笑い飛ばしたのを覚えている。

「毅、朝からそんな冗談はいいよ」

「いや、冗談じゃない。冗談じゃないんだ。自殺だって。昨日の夜、学校の屋上で飛び降りて……」

 毅はあらぬ方向を見て、ちょっぴり頬を染めて何かを呟く。その視線を追ったけど、俺には何も見えない。なんだか嫌な予感がして、俺は毅の顔を凝視した。まさか。本当に?

 そう問いかけようとしてぐっと唇を噛み締めた。そんなの、嘘に決まっている。だって、美咲に死ぬ理由なんて何一つないじゃないか。

 俺は首を振って、否定するものの、しかし、そうとは言い切れないことを悟った。何より、教室の中がやけにざわついていたのだ。そして、皆が皆、俺たちを。つまり、毅を見ている。

 ここの所、千夏の急変した態度に振り回され、対応するのに精いっぱいで、周囲の様子を気にする余裕すらなかった。おかげで教室に入っても気づくのが遅かったのがいけない。

「安藤さん、自殺だって。剣崎くんにべったりだったのに、止められなかったのかな」

「そういえば最近、安藤さんの様子、可笑しかったよね?てか、あのグループって近寄りがたいしなんか変じゃない?」

「それはそうと、剣崎はなんであんなにニヤニヤしてるんだよ。気持ち悪いだろ」

 四方八方から聞こえてくる声、声、声。それはやがて俺たちを取り囲み、縛り付けていく。朦朧とした思考回路を必死に巡らせた答えは、つまり安藤美咲という俺たちの友人が死んだという、信じがたい事実だった。信じられない。だけどもうじき教師がやって来て、今にもその事実を無慈悲に告げるのだろう。 それよりも、毅の事が気になる。美咲はどうして死んだ。死ぬ理由がない。彼なら何か知っているのではないか。

 俺はそこで、毅のとびきりの笑顔を見ることになる。友人が死んだというのに、少しも悲しい顔をせずに、ずっとニコニコにこにこ、それこそ花畑でも咲いているかのように彼は笑顔のままだ。俺は美咲が自殺してしまう理由として、信じたくないけどある一つの可能性を導き出してしまった。自己を押し出さないと思っていた美咲が、もし恋に恋して猪突猛進に生きる人間だったならば。

「毅……、何でそんなに、嬉しそうなんだ」

「ん?だってさ。俺は、永遠の愛を手に入れたんだ!俺を好きで好きでたまらないって言う、可愛い恋人が出来たんだ!」

「楊貴妃は?」

「諦めたよ。それより、俺は彼女の愛に答えたかったからな。なあ、美咲?」

 俺は、鏡がないというのに顔が真っ青になるのが分かった。血の気が引いて、効きすぎた冷房と妙な寒気のダブルパンチが、俺の全身を襲って震え上がらせる。

 美咲が死ぬただ一つの理由なんて、分かりきっていたことじゃないか。毅の幸せそうな顔が何よりの答えじゃないか。

 安藤美咲は、毅に愛されたいがために死を選んだんだ。

 それに気づいたときには、既に毅と美咲の恋の行く末は決着をつけていた。つまり、今度は俺たちの出番。衝撃は、まだそれだけでは終わらなかった。


 美咲が死んだからなのか、千夏はその日は登校しなかった。家に帰ったら早々に彼女にこのことを告げなければと意気込んでいた俺は、毅と美咲の新カップル誕生の慣れ合いを横目に、駆け出して校門を抜けていた。どうせ俺には死んだ美咲の姿は見えない。これから見るのは、葬式で棺の中に眠る彼女の抜け殻だ。

 それよりも、千夏は美咲が死んで心底哀しむだろう。最近の彼女は俺に対しても、周りに対しても、なんだかやけに態度がおかしくて、今まで以上にわがままで女王様気取りだった。それも、美咲の変化を敏感に感じ取っているからかもしれない。

 そう思うと、今までの非礼も許してやろうという気になった。それよりも、今はただ、千夏と一緒に美咲の死を悼み、悲しみに暮れたかった。まだまだ心が完全に壊れ切っていなかったその頃の俺は、美咲という友人の死に純粋に動揺して悲しんでいたのだ。涙が出ないのは我慢して、尚且つ彼女が死んで幸せそうにしている人間が傍にいたからだ。一人の死によって幸せになるものと不幸になるもの。全く滑稽な展開でいて、どうしようもなく笑えてしまう。

 そうして俺は、両親が必死に働いて建てた豪華な屋敷に足を踏み入れた。アイシングの家族が暮らして、使用人も寝泊りするあの快適な場所へ。

 荘厳な玄関をがむしゃらに開けた俺は、家に入るなり釘原と千夏を同時に呼んだ。今はただ、だだっ広い屋敷が憎らしい。早く、千夏に美咲の事を伝えなければ。もう、会えないんだ。俺たちは、三人になってしまったんだ。そして、彼女は恋を叶えてしまったんだ。

 伝えることはいくらでもあるのに、屋敷の中は人の気配が何処にもなくて、俺は途方に暮れた。

「どうしてだ……?いつもなら、使用人がうろうろしているのに」

 それこそ、釘原がいの一番にやって来て、俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくるというのに、今はその気配すらない。一体みんなどこへ。

 右往左往して、俺はリビングへと早足で向かう。ここならきっと誰かしら居るはずだ。そう思って、真っ白なリビングの扉を開けると、確かに人は居た。

 けど、沈鬱な表情を浮かべた使用人数人と釘原が立ち尽くして、ソファーでは千夏が悠然とくつろいでいる。何だか妙に嫌な雰囲気だった。みんなの顔を順繰りに見渡して視線を合わせようとするけど、誰とも合うことがない。唯一千夏だけが窓ガラスに映り込んだ夕陽を見つめていた。

「千夏……どうしたんだ?何か、様子が……、ってそんなこと言ってる場合じゃないんだ。美咲が」

「ねえ澪」

 千夏は俺の声を遮ると、酷く緩慢な動作で、気だるげに頭だけを振り返らせた。ばちりと合った視線は、今まで以上にねっとりしている。何だか恐ろしくなった俺は後ずさって、なに、と小声で返す。そこからだ。俺の本当の地獄が始まったのは。

「私、今日からアイシングの跡継ぎになったよ」

 アイシング。それは、創立二五年にして地元に密着するそこそこ大きいスーパーの企業。俺の両親が経ちあげて、ゆくゆくは俺が跡を継ぐ予定の会社。

けど、千夏は今なんといった?

 彼女が、アイシングの跡継ぎになったって?

「は。はは……。千夏、そんな冗談は笑えないよ」

「冗談じゃないよ」

 その言葉は、今朝も聞いた。毅の口から。信じたくない事実として。

 だからこそ、俺は千夏の言葉を噛み締めるのに時間をかけた。冗談ではない。二回目だというのに、全く頭に入ってこなかった。一体どうしてそんな展開になっているんだ。

 釘原に視線を移すと、彼は突っ立ったまま、顔を俯かせている。床と熱烈な視線を交わしているようにも見えるほど、釘付けだった。そんな彼の様子に、またも不安になる。

 そんな時だった。場の空気を一転して変えるような音が部屋全体に鳴り響いて、皆が皆、十人十色の顔色を浮かべる。

 その音は、俺のポケットから鳴り響く着信音で、すかさず手に取り、通話に入る。相手は両親の秘書だった。たまに会社で顔を合わせる程度だけど、息子の俺の電話番号を知っているとは思わなかった。

 だけど、そこでまたも俺は顔面蒼白になり、膝をつく。電話の向こうでただ淡々と流れる音声に、俺は耳を塞ぎたくなる。だけど、この事実から目を背けることは絶対に出来ない。

 何故なら。

 ――ご両親が飛び降り自殺をされて、意識不明の重体です。

 ――きっと、今夜が峠だろうとお医者様が。

 ――それで、どうしてか、社長室に遺書がありまして。アイシングの跡継ぎは、息子の澪様ではなく、使用人の東雲家、ひいては東雲千夏に継がせろと。

 俺は咄嗟に千夏を睨む。

 飛び降り自殺だって?

 そんな馬鹿な。

 あの、和やかで会社を経営するにはメリハリもない、終始幸せいっぱいという顔で仕事をしているあの二人に、自殺をする理由なんて、どこにもありやしない。それは、息子である俺が知っている。

 なら、答えは簡単だ。あまりにも簡単すぎて笑ってしまうくらい。ああ、こんなの、誰にだってわかる。

 使用人の分際で、東雲家がアイシングを乗っ取ったのだ。

 もはや携帯から流れる秘書の声なんて聞こえていない。ああ、こいつも考えていることは打算に満ちた、真っ黒な事だけなのだろう。長いものに巻かれて、いよいよ東雲家に尻尾を振ろうと考えているに違いない。道理でこの屋敷の使用人たちの様子が可笑しいわけだ。つまり、俺はもう、この屋敷で権力も何もありゃしない、ただの人間というわけだ。

 千夏の最近の女王様気取りの態度、俺に対しての異常な執着。こうしてみれば、納得がいく。

 俺は、千夏の掌ですでに転がされていた。

「千夏ッッッ!」

「なあに?私に、何か用?跡継ぎなんだから、もう少し、態度を改めてはどうかしら」

「ふざけるな!お前、美咲がこんな時になんてことッ」

 そこで俺の意識は一瞬だけ吹っ飛んだ。何が起こったのか理解する前に、スーツのいかつい男が立ちはだかって、俺を見下ろしていた。蹴り飛ばされたのだと理解した時には、じわじわと腹に痛みがたまり、壁にしたたかに打ち付けた背中が熱くなる。

「な、んだよこいつ。知らない、人間を、屋敷に、入れるな……」

「貴方が知らなくても、別に関係ないことよね。だって、この屋敷の主は私で、この人は、私が雇ったのだから」

 ふふ、と笑みを漏らした千夏は、狂気的に口元を歪ませて、ソファから立ち上がる。ずりずりと崩れ落ちた俺は無様にも、目の前に立ちはだかる男にすくみ上って何も出来なかった。

 やがて男と入れ替わって千夏が見下ろしてくる。その目は、何処か虫を見るようでも、熱烈な視線を送っているようにも見えた。

「残念ね。澪の両親、何があったのかしら」

「お前達がやったくせに……!そうやって、お前ら東雲家はずっと俺たちを見張っていたのか」

「何のこと?でも、澪のご両親が私たち一家を指名するのなら、それに応えなきゃと思っただけよ。……つまり」

 千夏は凍てつく視線で俺を一瞥すると、俺の腹に蹴りを入れた。女の蹴りなんて、たかが知れている。全然、大丈夫だ。そう取り繕った俺だけど、どうしてだろう。スーツの男が繰り出す蹴りよりも、千夏の蹴りの方が、ずっと痛かった。

「あんたはもう、私に逆らえないってこと。自分の立場をよくわきまえる事ね」

「美咲が死んだっていうのに、お前は……」

「ああ、そうね。美咲は死んだわ。でも、恋は叶ったでしょう」

 千夏は当たり前、とでも言うように腕を組んだ。俺は、目の前ででかい態度をとる千夏を穴が開くほど見つめてしまった。知っていたのか。美咲が死んだこと。それも、毅と恋人になれるように死んでしまったこと。

「知ってたのなら。どうして、止めなかったんだ?」

「はあ?むしろどうして止める必要があるの?あの子は好きな人のためにたった一つ、解決策を導き出して実行したの。それがたまたま、死ぬということだっただけ。何か、問題でもある?」

「お前」

 この時俺は思った。いつの間に幼馴染はこんなに変わってしまったのだろう。そもそも、俺は幼馴染がずっとアイシングの跡継ぎを狙っていることを気付けなかった。本当に、俺たちは幼馴染で、ずっと一緒に居たのか。俺が見ていた千夏は、果たして本物だったのか。俺は、今まで。

千夏の何を見ていたんだろう。

 こんな、間違った考えで友達の死を肯定してしまう、彼女の思考回路について行けなかった。それとも、正義を通して死はダメだと考える俺が間違っているのか。美咲の幸せを想うためなら、これで良かったのだと納得した方が良かったのか。

 この頃からだろうか。

 次第に、俺自身を見失って、自我を白紙に戻し、まるで生まれたての赤子のように心を真っ新にしてしまったのは。

 美咲の死と、千夏のアイシング乗っ取りは、それだけ俺の人生に衝撃を与えた。

 だから、やっぱり全て千夏の思い通りだったのだろう。

「美咲が恋を叶えたのなら、今度は私の番。ねえ、澪」

 千夏はしゃがんで俺に視線を合わせると、こう言い放つ。その幼いながらに綺麗で、可愛い顔は。どこまでも、化け物じみていて。

「貴方はこれから私の恋人として生きて。そうすれば、今まで通り、この屋敷で生活させてあげる。ご両親の残り香を追いながらね。でも、もし私の恋人が嫌だというのなら。この屋敷から出て行きなさい。アイシングの息子なんて立場がないあなたは路頭に迷うわ。ね、いいでしょ?」

 俺は思考が真っ白になる中で、頷いた。

 というより、頷かざるを得なかった。

 俺の両親がこの世を去ったと訃報が入ったのは、それから一時間も経ってからの頃だった。


 いつの間にかアルバムのページは最後に行きつき、二人の間にはどうしようもないしんみりとした雰囲気が漂っていた。毅は酔い覚ましに水をひたすらにあおり、俺は胃がちゃぷちゃぷと動くのを確認すると、グラスを机に置いた。

「美咲も、千夏も。……ただ、真っ直ぐに行動したんだ」

「ああ」

「だから、ちょっと変わった方向に曲がってしまっても仕方ない。そうだろう?」

「そうかもな。それで毅も美咲も、千夏も。幸せなら、それでいいかもな」

「おうよ。俺は幸せだ」

「でも、それなら。俺だって、幸せになっていいと思う。違うか?」

「もちろん、その通りだ。間違ってない」

「だから、俺は千夏を捨てて奈緒に会うよ。……迷惑、かけてごめん」

「気にするな。お前がそれで変われるなら、喜んで手伝うさ」

 そう言った毅は、笑顔で布団を敷いてくれた。俺は、そうやって身を隠すことに成功を収めたのだ。


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