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13 逃避

「どうしたどうした、お前が一人でこんなところへ来るなんて。千夏は?千夏の頼みでここに来たのか?美咲に何か伝えたいことでも?でもあいつなら、二人そろってここへやって来るだろうなあ。それこそ、四人そろってわいわいしたいもんなあ。お前だけ来るってことは、何か事情があるのか、そうなのか?もしかして、何かあったのか。俺があんなに努力して千夏の機嫌を直したのに、もう悪くしたのか?いや、しかしそれならお前は一人でここに来ることすら出来ずに屋敷に監禁でもされていそうだ」

「ちょっと、静かにしてくれないか。時間を考えろ」

「それならこんな時間に訪ねてきて、それでも快くお前を受け入れた俺を褒めてくれ。そして常識を考えてくれ」

「つまり俺たち二人とも常識から外れているということだ」

「まいったな。そうかもしれない」

 はは、と玄関口で剣崎毅は笑うと、そのまま家の中へと俺を招き入れた。仕事でそれなりに収入を得ていて、千夏とは差があるものの、裕福な暮らしをしていてもおかしくない毅は、それでも1LDKの賃貸だった。美咲の希望らしい。

 雄弁家で、おおらかな毅は、深夜一時を前にして訪ねてきた不躾な俺に、軽口をたたきつつも嫌な顔一つせずに出迎えてくれた。行くところがここしかないと、彼にも分かっていたのだろう。俺にはもう、居場所というものが全くない。だからこそ、千夏の傍を離れられなかったというのもある。

 ひんやりとした部屋に入ると、一瞬で汗が吹き飛んだ気がした。

「何だ、飲んでたのか」

「ああ。そんな気分だったんだ。美咲は寝ちゃって、俺は一人酒だ。ああ寂しい寂しいとしくしくしてたら、お前が来てくれた。なんというタイミング、嬉しいよ」

「ちょっと酔ってるな。いつも以上に変だぞ」

「なんだと。俺はいつだってマトモだ」

 俺は肩をすくめて、リビングにぽつんと置かれたテーブルの椅子に腰かけた。そのテーブルには、綺麗に片付けられることなくごちゃごちゃと缶チューハイやら焼酎の瓶やら、様々な酒が転がっていた。軽く振ってみると、そのどれもが空になっているんだから、よほど飲んだのだろう。酒豪の彼にしては珍しく、頬に赤みもさしているし、いつも以上にテンションも高いし、何か嫌な事でもあったのだろうか。

「ああ、お前、今変なこと考えてるだろ。俺に何か嫌な事があったんじゃないかって。まあ、ここまで酒を飲み散らかすなんて、美咲が居る中ではあまりやれないし」

「よくわかったな。……で?どうなんだ」

「まさか。何もないよ。ただ、たまにだが無性に酒が飲みたくなる時がある。美咲は嫌がるが、これは酒好きには抑えられない衝動だ」

「……俺にはとても理解できない衝動だな」

「千夏やお前は下戸だからな。そうかもしれん。……で。どうしてこんな時間に一人でやってきた。千夏はいいのか。普段なら今頃、あいつの隣で添い寝をしているだろう」

 酔いを醒ますためか、グラスに氷をどぼどぼと遠慮なく入れて天然水を注いだ毅は、俺の目の前に置き、自分はごくごくと飲み干してから向かいに座った。このうだるような暑さの中で、冷たい汗をかいたグラスはとても魅力的だ。俺も水をちびちびと飲み、話を切り出す頃、ようやく外で籠ってしまった熱を取り除けた。

 そして、俺は古くからの友人にその一言を切り出す。

「演技をやめた」

 たった一言だ。たいして大きな声でもない、ともすれば聞き逃してしまいそうな小ささで漏らしたその言葉は、しかし毅にしっかりと届いた。

 長年の付き合いである俺たちを知っているからこそ、毅は瞬時にその言葉を理解し、頷き、そうか、と相槌を打った。それだけで事足りた。他にはもう、何もいらないだろう。いつも一緒に居るわけでもないのに、それでも俺たちは、感情のなかった自分でさえ、お互いをよく理解していた。

「俺は、二人が幸せになればいい。だからこそ、いずれはこんな日が来ることは知っていたさ」

 難儀なものだな、と毅はグラスに言葉をとぽとぽと注いだ。その目はいやに悲し気で、俺は黙って彼の言葉を聞くしかない。そうだな。難儀だよ。どうして人間っていうのは、こうも面倒なのだろう。一つのものごとをただひたすらに突き進めばいいのに、いつの間にかねじ曲がって、こんな未来を描いてしまっている。

「澪も千夏も、幸せになってほしい。もしかしたら偽善者かもしれない俺は、どうしようもできないんだ。だから、来るもの拒まず去る者追わずの態勢でやってきた。美咲もだ。だからこそ、こうなるまで俺たちは行動できずにいた。ごめんな」

「いいんだ。お前の立場も理解してるから」

 それに、彼には彼で悩みの尽きない人間だ。俺よりずっと明るくて、仕事も上手くいっている彼だけど、それでも美咲との障害を考えると、どうしても他の人より苦労が課される。毅が自分の事で精いっぱいと言ってしまえば、俺もそれに同意するしかないくらい、彼も大変な思いをしている。結局、俺たち四人は子供の頃の純粋さが招いた結果によって、こんな歪んだ大人になってしまったのだ。

「ちょっと、しんみりするな。……昔の話でもするか。たまには、思い出に浸るのも悪くない」

「俺たちの子供の頃か?」

「ああ。お前がアイシングの息子で、千夏が使用人の娘で、俺はまだ運命の人を見つけていなくて、美咲は死んでいなかったころだ。ほら、アルバムもあるぜ」

 毅は嬉々として棚から数冊のアルバムを取り出し、机に広がったごみを脇によけた。色あせた緑色のアルバムをおもむろに開くと、幼き頃の俺たちが笑顔でピースサインを作っていた。

「懐かしいな」

 俺はさりげなく、まだ空になっていないカクテルチューハイを見つけて毅に差し出す。彼は笑顔でそれを受け取り、プルタブを開けた。軽快な音の次に、毅が喉を鳴らす。俺は二杯目の水をちびちびと飲んでいた。今頃、千夏はどうしているかな。もう、寝たかな。少しだけ気にしつつも、やはり着陸してしまうのは、奈緒という壮大な雪のじゅうたんの上だ。奈緒は、今どこにいるのだろう。一人楽しく遊んでいるのかもしれない。彼女の事だから、外に出てひたすら雪の上でごろごろしていてもおかしくない。想像するだけで、口元がたるんでくる。不思議なものだ。

「俺たちが初めて撮った写真か、これ」

 毅がそう言ってアルバムから一枚の写真を取り出す。右から順に俺、千夏、毅、美咲が何やら子供ながらに喧嘩している姿だ。きらきらと輝く制服には見覚えがある。俺は千夏に、毅は美咲に。怒って大口を開けて、だけどどこか愛のこもった眼差しでぎゃんぎゃん叫んでいるのが、今にも聞こえてきそうだ。

「これを撮ったのは誰だったっけ」

「澪の親父さんだよ」

「そう、か。美咲も、まだこの頃には……」

「ああ。そうだな」

 毅は何でもない事のようにつんとした態度でそのまま写真をぱらぱらとめくる。俺たち四人の、普通だけどどこか変わっている環境と性格がよく表れたこの冊子は、予想外に感慨深い。そうだ。この写真を他人が見たらなんというかな。奈緒に見せたら、驚くかな。だけど、彼女はどうしてか俺と、その周りの事をだいたい把握しているような口ぶりだった。驚くことは少ないだろうか。でも、小さな俺を見てほしいとは思う。可愛いなんて言われたい、かもしれない。結局、何をするにも今や奈緒の事で頭がいっぱいだった。

 写真からしてもおかしさがにじみ出てくる俺たちは、他人が理解するには少し難しい。

 だからこそ、昔話にも花が咲くというものだ。

 いつしか俺たちは、夜が更けて、朝陽が射し込むまで、語り明かしていた。


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