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ざわめきと共に講演会の参加者たちが学校から溢れ出る。会場となっているのは調理師専門学校だが、見た感じ参加者のほとんどが中高年の主婦層のようだ。年代は兎々津よりも、兎々津の両親に近く、中には子連れで来ている母親もいる。
「そういえば先輩、汐莉の払ったカラオケ代。返してくれませんか?」
学校が見えなくなるまで歩き、人ごみから離れたところで、福永汐莉が立ち止まった。泣きはらした瞳を擦り、掌を広げている。
「遠慮を押し切ってまで出した汐莉が馬鹿でした。騙されていたのに気付いていたら絶対に払いませんでしたし、良いですよね?」
「もちろん、私も後だしじゃんけんするほど卑怯じゃないからね」
「呆れた、どの口が言ってるんですか」
「仰せの通りで」
兎々津は財布から千円札を一枚取り、返金する。受け取ることはないだろうな、と考えつつも、ついでなのでイリエーサー手製のスマホケースも見せる。
「こっちは当然、いらないよね?」
「記念品のつもりですか? 早く仕舞わないと、そんなもの引き裂いて燃やしますよ?」
「念のため、聞いてみただけだよ」
「念のためとか、嫌な人ですね……」
夏休み前までは執拗に絡んでくる福永汐莉に困っていたが、今や完全に嫌われてしまったようだ。次回からは研究室で会っても、彼女の方から絡んでくることはまず、あり得ないだろう。鬱陶しさから解放されて喜ぶべき一方で、感慨深くもある。福永汐莉は兎々津の独善、偽善に振り回されただけである意味、被害者でもあるのだ。
「あんた、これからどうするの?」
「さあ? それが分かれば苦労しませんよ。この先、生きていけるかどうかも」
「凹んだときに、無理やりテンション上げようとするのはご法度だよ」
「テンションを上げる気も起きませんよ」
落ち込んだ気分を浄化させるには、鬱になる曲の方が心理学的にも良いらしい。これは以前、どこかで聞いた雑学である。ユニットで作った曲にいくつか心当たりがあったので、ついでに宣伝してやっても良かったが結局、自重することにした。
「しばらくは辛いだろうけど、遅かれ早かれこうなっていたよ、あんた達二人は。これでも、傷は浅い方なんじゃないかな?」
「参っちゃうな」
汐莉は苦し紛れの笑いを作る。飯塚レオの正しさを証明すると張り切っていたのに、予想とは真逆の結果になってしまった。気の毒と言えば気の毒である。憔悴しきった彼女はフラフラと不自由そうに歩きながら、交差点に消えていく。兎々津が何かを言ったところで、慰めの足しになりそうもなかったので、敢えて無言で見送ることにした。
哀れな後輩と別れてから、兎々津は最寄りのバス停で一人、時間潰しを始める。
「大変だったんだね、あんたも」
携帯に残っていた幼馴染とのツーショット写真を眺め、誰にも聞こえないように、そっと呟く。彼女とは高校を卒業して以降、一切の連絡を取っていない。県外の大学に通っている筈だが、近況は不明である。地元での成人式にも帰って来なかった。大学に入ってからは連絡を試みたこともないので、登録してある番号が既に繋がらない可能性だってある。
「へえ、その人がトトッちゃんのお友達なんだ。面白い」
物思いに耽っていると、飛鳥の首がぬっと伸びてきた。
「ちょっと、人の携帯、勝手に覗かないでくれる? プライバシーの侵害だから。あんたは面白くても、こっちは不愉快なだけで面白くもなんともないからさ」
「これは失礼しました」
一ヵ月前の福永汐莉を彷彿させるやり取りだ。二人には性格の稚拙さにおいて近いものがある。
「それで、終わったの? 例の後片付け」
「うん、終わった。見てよ、これ。酷い有り様だ。もう付けられないよ」
飛鳥の首にぶら下がっていた二体のキーホルダーは、ただの残骸になっている。飯塚レオにやられたらしい。
「あらかじめ、ダブりを用意しといて正解だった。危うく、タオルまで引き裂かれるところだったよ。怖い、怖い」
あちこちに血が滲んだ顔で愉快気に笑っていられる神経は、やはり普通ではない。
「本当、運がいいよね、あんた。実際、殺されてもおかしくなかったよ」
「だから言ったじゃん。俺は死なない。無敵なんだ」
「勝手に言ってろ、クソ中二病が」
「へへ、へへへへ」
褒められたと勘違いしているのか、飛鳥は照れ臭そうに八重歯を見せる。
「ところで、トトッちゃんと一緒に写っている、その子」
「ああ、これ。例の幼馴染。高校時代、彼氏に裏切られたっていう」
「ははーん、なるほどね……。高校を卒業して以来、電話でもしてみよう、とか考えてた?」
「え? まさか……。今更、何を話すっていうの」
兎々津は携帯をポケットに仕舞い、バッグを肩に掛け直す。
「帰ろうか」
何かと消耗の激しかった一日は終わり、久しぶりに贅沢がしたくなった。まだ、晩御飯には早いが、軽食くらいは摂れるだろう。
「そういえば、まだだったね」
飛鳥が通りすがりのフードバスを指さして言う。
「でも、高いな。たかが飲み物なのに五百円以上もするなんて」
「何が?」
「あら、覚えてないの? 夏休み前のお約束」
「ん……。あー、はいはい」
兎々津は「タピオカドリンク」という幟を見て、夏休み前に、「一番高いものを奢れ」と言っていたのを思い出す。
「もう良いよ。今回は私の都合であんたに無茶させてしまったし、帳消しにしてあげる」
「そうはいかないよ。だって俺、喉が渇いていて冷たいものが飲みたいんだもん。だから、さっさと買うよ。一番高いので良いんだね」
「どれでも良いって……」
まったく困った相方だ。ろくでもない奴なのは分かっているのにどうしても憎めない。兎々津は小さく微笑み、列の最後尾に並ぶ飛鳥を追いかける。
二話目終了です。次話以降は未定、数か月は頂くかと思います。仕事の方が忙しくなるかも知れませんが、なるべく早く投稿出来たらと思います。




