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 残った飛鳥はホールの食器類を片づけ、床の血液を拭き取り、椅子を整理した。無断で侵入していたのを学校関係者に知られると厄介なので、撤収は迅速に行わなければならない。

 試合の終わったボクサーはこんな感じなのだろうか。動くたびに体の節々が痛む。殴られたせいで唇は切れ、瞼も腫れている。

「どうしてくれるんだよ、レオ君。これ、もう装備出来ないじゃないか。可哀そうに、今日でお別れだよ」

 飛鳥は片づけを終え、変形させられたフィギュアを掲げて大げさに嘆いた。恋人にフラれたばかりの飯塚レオは依然として泣いていて、こちらの愚痴など全く聞いていないようだ。

「そうそう、最後に一つ、面白いことを教えてあげよっか」

「…………」

「ここ最近、汐莉ちゃんに四年生の先輩から、電話が掛かって来たことってなかった? 突然、何の前触れもなく」

「……それがどうした?」

「実はあれ、俺とトトッちゃんが彼に番号教えて、連絡するように促したんだ。勝手なことしてごめんね。ただ、これも人助けなんだよ。ムカついたかも知れないけど、彼のことは許してあげて。どうしても伝えないといけないゼミの連絡事項があったのに、電話が繋がらないって困り果てていたんだからさ。そういう人がいると見捨てるわけにもいかないじゃん。『情けは人のためならず』、このことわざの正確な意味が分かる? 情けを掛けるとその人のためにならないから厳しくしなさい、ではないのだよ。そういう風に間違えた解釈をされがちなんだけど、本来は逆ね。人に情けを掛けると、巡り巡って自分にも良い報いが返ってくるから、出来るだけ親切にしておきなさいって意味なの」

「お前って野郎は……」

 レオは一瞬、睨んできたが何も言い返しては来ない。再び意気消沈して咽び泣く。

「汐莉ちゃんの携帯番号はとっくに忘れちゃったから、そこは安心して。俺は三次元のあんな馬鹿女に興味ないから。あっ、フラれた君にはもう関係のない話か。ごめん、ごめん。まあ、落ち込んでなくて元気出しなよ。君にはまだ、メールしてくれる心優しい天使がいるじゃないか。もう後輩ちゃんのことなんか諦めて、そっちに乗り換えれば良いんじゃない? もっとも、君の場合、その子と付き合ったとしても、今までと変わらず同じ過ちを繰り返すだろうがね」

 追い打ちに使える鬼畜な台詞としてはまずまずである。飛鳥には後輩を慰めるつもりなんてない。逃れようのない現実を突きつけて、絶望してもらえればそれで良い。彼がしたいのは人間観察だ。生々しい感情に触れ合うことで作詞・作曲の引き出しを増やし、新たな創作の糧とする。今までも感動、歓喜、笑い、癒し、興奮、悲哀、憎悪、絶望など、様々な心理状態を内包した楽曲を動画サイトにアップして来られたのは、「劇団鳥兎」のしっかりとした人間観察の賜物なのである。

 金や恋愛によって人は幸福になる。しかし、それらは一歩わき道に逸れると人間性を傷付け、他者を咎めてしまう。その象徴的なトラブルが今年になって立て続けに二件、起こったのは奇跡としか言いようがないだろう。飛鳥としては、半分命がけで得た、この経験を無駄にしたくはない。

「君と付き合っている限り汐莉ちゃんに自由がなく、窮屈に過ごさなければならない。その流れに終止符を打ったのだから、君の決断は十分、評価できるよ。汐莉ちゃんにとってはそれまで、あり得なかった幸福の可能性が見えてくるんだもんね。別れを受け入れた君は凄く偉い。今後も下らない自己満足でやり直そうなどと考えちゃ駄目だよ」

「なら、俺は……これから、どう生きていけばいい?」

「さあ……自分の生き方くらい自分で考えなよ? まあ、強いてアドバイスさせてもらうなら、君はもう二度と恋愛をしないことだね。もしくは……」

 飛鳥は調理テーブルの上にある包丁を一瞥する。洗浄してから敢えて、レオの目につく場所に置いてあるものだ。刃は綺麗に研がれ、艶めかしく光っている。襲おうと思えばいくらでも襲い掛かって来られたのに、絶望の底に落とされた彼は身動きすらもできないようだ。うつろな眼差しでこちらを見つめるのがやっとのようである。

「ううん、何でもない……。君は恋愛さえ止めればどうとでもなるさ。じゃあ、部屋も片付いたし、帰らせてもらうね。講演会終わったら、警備員さんの巡回があるから。君もなるべく早く帰るように」

 兎々津が出ていくときまでは静かだった廊下が、徐々に騒がしくなっている。二人は無事、学校スタッフや講演参加者に出くわす前に、建物の外へと出られたのだろうか。

「ああ、そうだった」

 ふと、兎々津との約束を思い出し、振り返る。飛鳥が犯罪に繋がるようなことをしたら彼女にまで迷惑が掛かってしまう。

「ここでの騒動が明るみに出ても、被害者は俺だからね? 何を聞かれても君が俺を無理やり連れ込んで暴力を奮ったってことで話を通すから。あと、気付いていなかったようだから教えてあげる。教室には監視カメラなんてないって言ったけど、廊下にはあるんだよ。そのカメラには俺をボコりながら、部屋に連れ込む君の映像がばっちり残っているだろうね。つまり、真実を話したところで俺の優位性は変わらない、君の方が不利になるの。フォーク攻撃に関しても正当防衛だから全然問題ないしね。刺されそうになったから反撃した、を貫き通したらそれで許してもらえるだろうし」

「……分かったよ、お前の言いたいことは分かった。だから……もう俺を一人にしてくれ。頼む」

「そうかい、なら俺もそろそろ帰るとしよう。でも、最後に一つだけ言わせてくれ」

「……まだ、何かあるのかよ」

「ううん、大したことじゃないよ。ただ、縁起でもないことは考えないようにって警告したかっただけ。まっ、もしものことがあったら救急車くらいは呼んであげるけどね」




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