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 レオが彼氏になって以降、友達とカラオケに来ることがなくなっていたので、溌剌と熱唱するのも久しぶりになる。これまで蓄積されたストレスが消費カロリーに混じって、体内から放出されていくようで清々しい。同席している先輩は歌い疲れたらしく、通信カラオケ機器をいじりながら聴くに徹している。自分から誘っておいて、一、二曲でマイクを譲る彼女には呆れるが、汐莉がマイクを独占していられるのはそのお陰である。

「次も好きなの歌っていいよ。決まっているなら私が番号入力してあげる」

「ちょっと、待ってもらって良いですか?」

「別に構わないけど」

 人気の失恋ソングを歌い終わり、次の選曲に移る前にどうしても気になったので、テーブルに置いてあるスリーブタイプのスマホケースを開く。先輩手製のケースは細部までこだわりを見せているが、使ってみるとサイズがキツく、取り出しに苦労する。こまめに携帯をいじるのが面倒だったので、喫茶店を出てからは入れっぱなしにしておいた。

 カラオケボックスに入ってかれこれ二時間経過しているが、まだ一件も着信やメールが入っていない。しつこい電話に辟易しても、いざ来なくなってみると妙に寂しくなる。アルバイトはとっくに終わっている筈なので、そろそろ来ても良い頃なのにおかしい。急用が入って忙しいのか、体調でも崩しているのか、彼に限って二時間も連絡を寄越さないなんてあり得ない話だ。バイトがどれだけ忙しくとも一時間毎に、隠れてこっそりメールを送って来るような彼氏である。「わざわざこちらから連絡する必要はない」と兎々津は言うが、過去には一時間少々で、何十件と送って来たこともあるのに、ここまで静かだと彼の身に何かが起こったのではないかと心配になってくる。

「レオ君から着信あった?」

「いいえ、一件も来てないです」

「さすがに、それはおかしいね」

「そうなんですよ……」

「彼氏のことが心配ならこの辺にしておく? ちょっと早いけど、歌うって気分でもないんでしょ?」

「せっかく誘ってもらったのに、すみません。そうしてもらえるとありがたいです」

「気にしなくて良いよ」

 選曲本を捲っていた兎々津はテーブルの菓子類を片づけ、荷物を持つ。歌ったのはほとんど汐莉だったが、カラオケ代は割り勘にした。「全額払うよ」と兎々津は言ったが、彼女にはカフェでも全額奢って貰っているし、スマホケースのお礼もしたかったので、遠慮を押し切って払わせてもらった。

「じゃ、これ。彼に見つかると駄目なので返しますね、受け取ることが出来なくて本当、すみません」

 汐莉は店を出て、スマホケースを返却する。自分のために作ってくれたものを受け取らないのは、非礼な振る舞いだが、彼との約束を破るわけには行かない。その辺は兎々津だって理解してくれている。

「良いよ。気にしないで、使ってくれてありがとね」

「こちらこそありがとうございます。今日は楽しかったです」

「私も……楽しかった」

「でも、先輩って器用だったんですね。ちょっと意外でした」

「ううん、不器用だよ。私はね……」

 兎々津はきまりが悪そうに苦笑いを浮かべる。

「またまたぁ、器用じゃないとこんな立派なスマホケース、作れませんよ」

「その通り、器用じゃないと作れない。だからこれ、本当は私が作ったものじゃないの。絵は描き慣れているんだけど、手先の方は全然器用じゃなくてさ。こういうのが得意な知り合いに頼んで作ってもらうしかなかったの。嘘ついて、ごめんね」

「え……そうだったんですか?」

 汐莉は怪訝に眉を潜める。カフェでも、カラオケボックスでも自分が苦労して完成させたのだと言い張り、「頑張って作ったから、一日だけでも使って欲しい」とお願いまでしてきたのに、今更になってそれら全てが虚言だったと言っている。黙っていれば、気付きもしなかったことなのに帰る段階になって、自分から白状する彼女の思惑は何なのだろう。

「うん……なんかやっぱりって感じです。でも、あたしはそんなこと気にしないタイプなので謝らなくても良いですよ。それじゃ、もう帰りますね。彼が心配なので」

 意味不明な行動を取る兎々津が気持ち悪くて、一緒にいたくないので、精一杯の気休めで取り繕う。

「ちょっと待って、福永汐莉」

「何ですか?」

 汐莉は半ば苛立ち気味に振り返る。急いでいるのに、引き留められて迷惑だ。

「あんたさっき、彼から連絡がないって言ってたよね?」

 そんな分かり切ったことをなぜ、再び訊いてくるのか。事情は数分前に話したばかりなのに。

「はい、だから心配なんです。彼が何かの事件に巻き込まれていたら、大変ですので」

「事件……ねえ」

「そんな真顔にならないでください。例えばの話ですよ、例えばの。大丈夫ですよ、レオ君のことだし」

「いや……事件に巻き込まれたらっていうあんたの推測、ある意味正解だよ」

「ちょっと、そんな不謹慎なこと言わないで下さい。冗談でも怒りますよ」

 予期していない言葉を聞き、兎々津を睨む。しかし、相手から茶化そうとしている様子は見られない。彼女の至って深刻な表情が、汐莉に憂苦の種を植え付ける。

「あんたの彼が数分おきに連絡をしてくる人で間違いないのなら、多分、何度も連絡をしてきたと思う。繋がってなかっただけで」

「はあ? 意味が解らない。何を言っているんですか?」

「そろそろ電波も回復していると思うから、もう一回、携帯見てみて」

 汐莉は兎々津に促されるまま、画面を開く。アンテナが一本、二本、と立ち、少し遅れて大量のメールと着信履歴が到着した。全件彼氏からのものだ。

「何ですか、これ。一体どういうことですか?」

「落ち着いて聞いてくれるかな?」

「はい?」

「実はこのスマホケース、あんたのスマホが圏外になるように人工的な細工を施したものなんだ。だから、あんたがこれに入れている間、外部からの電波は遮られていたの」

解説によると、彼女の渡したケースは、ビニールレザーの生地にアルミテープを何重にも重ねて張り付け、その上からカモフラージュとして布を縫いつけたものだという。アルミニウムには電波を遮断させる効果があるそうで、そんな材質のものがスマートフォンを密閉していれば、通信障害が起こってしまうのだ。

「そんな……。じゃあ、先輩と一緒にいる間、彼はずっとあたしに電話して、メールも送って来てたって言うんですか?」

「まあ、そうなるね」

「……酷い、最低です。あたしを騙したんですね!」

 道ゆく人の視線が注がれる中、汐莉はヒステリックに声を荒げる。先輩の裏切り行為に失望を隠せない。せっかく仲直りが出来て喜んでいたのに、肝心の兎々津には端からそのつもりがなかったようだ。スマホケースを渡したのも汐莉を修羅場にまで追いつめるための伏線としてであり、お詫びのためではなかった。まんまと騙された。プレゼントを貰ったと錯誤し、うまい具合に煽てられた自分が情けない。そういえば、この女はレオに連絡を入れようとするたびに、慌てて止めてきた。あの時、少しでも疑いの目を持っていたら、先輩の策略を見抜けていたのかも知れない。

 いずれにしても仲直りを装って近づいてきた安城兎々津に、一日の予定が潰されてしまった。考えれば考えるほどに、悔しくてたまらない。何の権利があって、彼氏との連絡を妨害されなければならないのだろう。悪戯にしてはあまりにも悪質である。

「どうしてそんなことするの? あたしが彼に暴力を振るわれても良いんですか?」

「良いとは思わないね、一応ゼミの後輩だもの」

「なら、どうして? 答えてよ」

「説明していたら長くなるよ。事情が複雑すぎて……。取り敢えず、まずは彼氏と話してみたら? 私は逃げたりしないから」

「はいはい。所詮、あなたには他人事なんですね」

 汐莉は恨めしそうに吐き捨て、急いで折り返しの電話を入れる。呼び出し音を聞くだけで、指が小刻みに震えてきた。確実にレオは怒っている。無断で遊びに出かけ、二時間以上も彼の電話やメールを受け取らなかったのだ。しかも、今回が初めてではないので平伏して謝ったところで、すんなりと許してくれるわけがない。

「……汐莉か?」

 彼氏に繋がり、心臓の鼓動は恐怖で一層激しくなる。

「レオ君。ごめん、連絡くれたよね?」

『ああ、何十回もな』

「ごめんね、電話が不調で繋がらなかったの。ずっと圏外になってて……本当にごめん」

『安城兎々津だろ? それやったの』

「え? どうして知ってるの?」

 怒声を覚悟していたが、返って来たのは意外な答えだった。振り返ると、兎々津が硬い表情で頷いている。意味深な発言をしている辺り、おそらく彼女は受話器の向こう側で何が起こっているのかも知っているのだろう。

『聞いたんだよ、全部』

「聞いた? 誰から?」

『休場飛鳥のクズだよ』

 汐莉はその人物の名前を聞き、嫌悪感が込み上げてきた。休場飛鳥はただのオタクではない。汐莉がこれまで出遭ってきた男の中でも最悪の性格をしている。

「今、あいつといるの?」

『ああ、お前は安城兎々津といるんだろ? こいつらグルで嵌めてきたんだよ、俺らを』

「酷いよね、二人とも……。あたしも騙されちゃった」

 語気を強め、冷淡に兎々津を睨みつける。彼女はあの男の恋人であり、手先でもある。休場と画策し、今まさにレオとの仲を裂こうとしているのだ。

『それもそうだが、お前が勝手な真似さえしなければ、ここまで面倒にならなかったんだ。何で黙って遊びに出かけた? 何で安城兎々津なんかの誘いに乗りやがった? あれだけ言っただろ、休場と繋がりのある奴には関わるな、と。腕の怪我を理由にいつまでも俺が大人しくしていると思ったら大きな勘違いだ、馬鹿。調子に乗ってんじゃねえぞ?』

「調子に乗ってないよぉ。あたしはいつでもレオ君を一番大事にしている。ほんとだよ」

『黙れ、ブス。お前もこいつらと同じで人間のクズだ』

「お願いだからそんな酷いこと言わないで。あたしたちは陥れられたの。レオ君が怒っても喜ぶのはこいつらなのよ」

「つべこべ言ってんじゃねえよ、てめえ……(はいはい、もうその辺にしておきなよ)」

 レオが叫んでいる途中で休場と思しき男の声が入り、電話が切れる。大方、近くで聞いていた休場が、携帯を奪い取ったのだろう。話の続きが気になるが、通話を終えて再び掛け直す勇気はない。

「先輩にも聞こえてましたよね。彼がすごく怒っているの。あたしがまた殴られて大けがでもしたらどう責任取るつもりです? あっ、ひょっとしてそれが狙いでした?」

「だから、違うって。私はあんたが傷付く姿を見たくて、こんな小細工を施したわけではないよ」

「嘘です。汐莉を騙して罠に嵌めた先輩なんか、信用できません。知ってますよ、あなたの彼氏は人の恋愛を壊す天才だそうですね。他人の恋愛を邪魔して仲を裂くのがそんなに面白いんですか? 今度はあたしたちの関係を傷付けて、二人で笑いものにしようって? 結局、先輩も休場と同類だったんですね」

 休場飛鳥がどれだけ迷惑で危険極まりない男なのかはしつこく、聞かされている。人間観察と称して、レオの恋愛を滅茶苦茶にして来た精神異常者。あの男にとって彼を傷付ける行為は単なる娯楽なのだ。そんな奴が自分の彼女と共謀し、汐莉たちが築いてきたかけがえのない日常を奪おうとしている。

「騙したことは申し訳ないと思うよ。ただ、あんたは少し飛鳥の奴を誤解している」

 休場の悪行を列挙し、口汚く罵っていると、無言で俯いていた兎々津が反駁してきた。抑揚もつけず、冷静沈着にこちらを見据えている。彼氏を擁護したいのだろう。汐莉はさっきより強い視線を返して応じる。ここで優位に立たれたくはない。

「確かにあいつは頭が可笑しいよ。それには私も同意する。口を開けば馬鹿なことばかり言って人に迷惑を掛けるし、あんたの彼氏にだって面白がってちょっかい出しているし。あんたが言った通り過去に人間関係を壊されて、あいつを憎んでいる人は大勢いる。そのうちの何人かは、殺意を抱いていたりもするだろうね。でも、あんなゴミクズでも誰かのために行動を起こすことがある。実際、私もあいつに助けられたって言ってる人を何人か知っている」

「助けられた人? あんな奴に?」

「例えばこのスマホケースを作ってくれた人とかね」

「だとすれば、ぜひ詳しく教えて欲しいものです。その時の様子を」

「ごめん。具体的に何があって、どうやって助けたかまでは言えないんだ……」

「ふうん、事実かどうかも怪しいですね」

「信じられないのなら仕方がないよ。でも、私があいつの相方でいられる理由の一つは、あいつがただのサイコパスではないからなんだよ。これは本当。嫌がらせするしか能がない男なら相方なんて、とっくに辞めている。協力なんてもってのほか」

「信じられませんね。まあ、作り話ではないとしても、だから何って感じです? あの人が汐莉を助けてくれるとでも言いたいんです?」

「ええ、私と二人でね」

「笑わせないでください。詭弁は止めて下さいよ。一体、私が何から助かれば良いんですか?」

「彼氏の度を越えた束縛と暴力。いわゆるデートDVって奴から」

「デートDV? それは身内の問題だから、先輩には関係ないでしょ」

「恋人や配偶者から暴力を奮われている人はみんなそう言うよ。そう言って後悔する」

「私は後悔なんかしません」

「じゃあ、単刀直入に教えて。今現在のあんたは彼氏と一緒にいて楽しい?」

「酷い、休場飛鳥を悪く言うなって言っておきながら、自分は汐莉の彼氏を非難ですか?」

「ううん、私はあんたの彼を悪く言いたくて訊いた訳ではないよ。良く知りもしない人を咎める権利なんてないからね。純粋に楽しいのかどうか知りたくて、質問させてもらっただけ。これでも立場的には、あんたの味方だから」

「あんたの味方だなんて……良く平気な顔して言えますね。今どういう状況か、分かっているんですか?」

「概ね、分かっているつもり。そのうえで回答を頂戴したいんだけど」

「言っても無駄だとは思いますが、あたしは彼と一緒になれてすごく幸せです。それを承知の上で、あなたや休場があたしと彼の関係を終わらせようというのであれば、先輩たちは味方なんかじゃありません。あたしたちの敵です」

 汐莉は味方であると明言する兎々津を真っ向から拒絶する。所詮は有難迷惑の良心、彼女は偽善者だ。はっきりと敵意を向けられた兎々津は、大きくため息をついた。

「本当にそう思ってる?」

「当たり前じゃないですか。あたしたちは愛し合っているんです」

「愛し合っているって何? 虫唾が走るんだけど……。毎日罵られて怪我までして、それが愛情とやらの正体? だとしたら、あんた達は狂ってる」

「いい加減にしてください」

 汐莉は叫んだ勢いで、兎々津の頬を引っぱたく。重心を捻るようにして引っ叩いたので勢いが付き、相手の体はぐらりと左に傾いた。無意識に伸びた右腕は、先日まで怪我をしていたので、叩いた衝撃で僅かに痺れている。ついつい出掛かった「ごめんなさい」の声は、自分自身を律して押し留める。他人の恋愛を愚弄したこの女に謝る必要なんてない。彼との恋愛を否定するのであれば、例えそれが先輩だろうと許せない。掌にしっかり残った皮膚の感触を握りしめながら、「ざまあみろ」という気持ちが込み上げる。

 周りを見ると通行人が、街中で言い争いを繰り広げる二人の女子大生に、好奇の視線を注いでいた。

「これは半日一緒に過ごしてみた私からの感想なんだけど、凄く窮屈そうだったよ、あんた。彼に怒られるのではないか、ひたすら気にしてさ」

 兎々津は赤くなった頬を抑え、何事もなかったかのように体勢を戻す。叩かれても怒ったり、睨みつけたりはせず、哀れみだけを浮かべて、刺すように視線を送って来る。

「だから? だから? だから何ですか?」

「あんたは念仏みたいに幸せを連呼して、幸せな自分を無理やり演じているんだよ。彼に管理されて、当たり前のように暴力を奮われる毎日が、負担になっているのにその現実を認めたくない。だから、『付き合っていて幸せ』だとか『愛されている』とか、響きの良い呪文を唱えて、苦痛を誤魔化している。違うかな?」

 悔しかったが、彼女に応戦して勝てるだけの言葉が見つからない。汐莉がレオとの恋愛に疲れているのは確かなのだ。一時期は束縛や暴力を控えてくれたが、包帯を外してからは、再び厳しい要求をしてくるようになった。つい数日前も、帰り際に掛かって来た一本の電話を巡って喧嘩になり、殴られている。

「でも、頑張って現実逃避しても辛いだけだよ。彼のことが大好きでも、交際に伴う痛みは大きい。束縛とか支配とか、暴力とか、暴言とか……。いい加減に現実を見なよ。そろそろ限界が来ているんじゃないの?」

 鋭い指摘は、汐莉の内側に潜っていた生々しい本心を抉り出していく。刃物で裁かれるように容赦がない。

「違う、先輩は間違っている」

 兎々津は腕を組み、嘆息する。苦し紛れに反発したが、相手を納得させられるわけがなかった。

「だったらどうして、彼に内緒で私と会おうと思ったの? 私はあんたが人の恋愛を壊す天才だって揶揄した、休場飛鳥の相方だよ? その場しのぎで了解したとしても、後で理由を付けて断れたし、その猶予もあったよね。どうして、そうしなかったの?」

ごもっともだ。本来ならば、カフェに誘われても断るべきで、検討の余地すらなかった筈である。なのに、彼を出し抜いてまで兎々津と会うのは、単純に仲直りがしたいから、だけだったのか……。汐莉は自分の本心が分からなくなり、助けを求めるようにスマホ画面を覗いた。

「本当は来たくなかったけど、先輩の誘いだから仕方なく付き合ってくれたのかな? もし、そうだって言うのなら、ここは潔く手を引く。飛鳥にもあんたの彼には金輪際、余計なことをしないように伝える。それで満足するならね」

「…………」

「どうかな? あんたが私の誘いに乗ったのは、私と仲直りがしたかったからではなく、恋の悩みを解消するためのヒントを期待していたからではないのかな?」

「……止めて下さい」

「さらに踏み込んで言えば、私に別れを諭して欲しかった。口では否定するけれど、あんたは既に彼とのぎくしゃくした関係から抜け出せる方法に気付いているんだよ。なのに、踏ん切りがつかなくて、誰かにそっと背中を押して欲しかった。そこで私を頼りにした」

「止めて……止めて下さい……」

 汐莉は両耳を塞いで、しゃがみ込む。自分を守るために現実を優先させるか、彼氏のために尽くしていくか。相反する二つの猛烈な欲望と使命感が彼女の脳内でせめぎ合っている。汐莉は彼と一緒に過ごしたい。そして、彼も汐莉の存在を必要としている。でなければ、「汐莉がいないと生きていけない」と言って泣いたりはしない。プライドが高く男らしさに拘る彼が、嘘偽りであんな弱々しい姿は絶対に見せない。交際を続けて行ったら自分の身が持たなくなるのは、恋愛嫌いの先輩に突っ込まれるまでもなく分かっている。それでも、簡単に別れるなんて決断は下せない。

「何とも、何とも言えないんですよ。どっちを選んでも私たち二人が傷付かないといけないなんて、辛すぎます」

「そういうものでしょ、恋愛なんて。誰も傷つかず傷つけず、幸せだけを満喫する。なんて好都合な話、どこにでも転がっているわけがないよ」

「でもやっぱり、別れられません」

 曖昧な回答しか出来ないが、汐莉が我慢さえすれば不器用でもまだまだ付き合っていける。彼を見捨てるなんて非情なことはしたくない。

「立てる?」

 往来のある歩道で膝に顔を埋めていると、そっと掌が差し出された。悔しかったが払いのけることが出来ず、素直に先輩を受け入れる。

「人が通るところで話すのはあんまり良くないし、移動しよう」

 二人はカラオケ店の向かい側にある公園に入り、空いているベンチを見つけて腰を下ろした。頭上では街路樹の枝葉がせり出して、日陰を作っている。

「おせっかいですね。先輩」

「私も自覚してる、ほっとけばいいのにおせっかいな奴だなって」

「どうしてそこまでするんですか? 誰も助けて欲しいなんてお願いしていないのに」

「過去に……」

「え?」

「過去にあんたと似たような境遇になった奴がいてね。あんたは、あまりにも似すぎているんだ……あいつに、私の幼馴染に」

「幼馴染? 兎々津さんの?」

「そう。私がまだ高校生だった頃だから結構前の話にはなるんだけど、そいつの彼も束縛が厳しくて、手を上げたりもする人でさ。いつ会っても頬を腫らして、体のどこかに絆創膏を貼っていたし、手には根性焼きっていうのかな? 煙草を押し付けられた跡もあった。あまりに酷い有り様で友達として見てられなかったよ。だから、別れるように勧めてやった。心配しているって伝えた上でね……。

 でも、あいつは別れないと言い張った。自分はこれで幸せなのだから、干渉はしてくれるな。あんたには関係ないし、迷惑だってさ。ある程度の予想はついていても、その時はやっぱり悲しかったね……面と向かって『迷惑』だとか言われちゃって。まあ、本人がそこまで言うのなら、私が深入りするのは控えた方が良いかなと思って、好きにさせておいた。友達ならもっとあいつのことを気に掛けて、相談に乗ってあげても良かったのに……私も子供だったよ。親切心で言ったことに激高されて腹が立って、もう勝手にしろって、意固地になってさ」

「それで、その友達はどうなったんですか?」

「もちろん、交際を続けたよ。着実に蓄積されていくストレスを無理やり打ち消しながらね。でも、最終的には精神を病んで……悲惨だったよ。今はどうなんだろう。高校を卒業してそのまま、県外に行っちゃったから、分からない。元気にやっていると良いんだけどね……」

 当時のことを思い出しているのか、兎々津は悔しさに頬を歪めている。彼女は幼馴染の慣れの果てについて、多くを語らなかったが「悲惨」の二文字が異様に重くのしかかる。汐莉は先輩の過去を聞き、恋愛嫌いの根源を知った気がした。しかし、汐莉とレオに何の関係があるというのだろう。

「素晴らしい思い出話をありがとうございます。結局、あなたは何が言いたいんですか?」

「今のままだと多分、あんたはそいつと同じ結末を辿る。だから、別れた方が良い。これは警告。正直、あんたに執着するほどの思い入れはないけれど、私だってもうあんな思いはしたくない」

「なるほど、つまり友達の無念をあたしで晴らしたいって訳ですね?」

「その通り、私はただのエゴイストだから。本当はもっと前にエゴを貫いとくべきだったよ。幼馴染がああなったのは、私が自由にさせすぎたせいでもあるし。あの時、是が非でも関係を切らせておけば、もしかしたら……」

 兎々津は俯き、歯をぐっと噛み締める。彼女に強い願いが籠っているのは汐莉にも十分伝わってきたが、人の恋愛に介入する動機が自らの未練を晴らすためというのは、傍迷惑であり呆れてしまう。

「先輩の理屈に当てはめると、汐莉がここで止めてって言っても強引に別れさせるんですよね? ちょっと、おかしくないですか? さっきは断ったら潔く手を引くって趣旨の発言をしていたのに。あれも嘘ってことですか?」

「ううん、本当だよ。あんたと幼馴染は同一人物ではないからね。幼馴染のことは好きでも、あんたのことはそれほど好きではない。残念ながら、私が無理に助ける義理もなければ義務もないんだ。だから、断るなら干渉はしない」

「汐莉が好きではないので、どっちでも良いですか。これは面白い、傑作ですね。ちなみに汐莉もあなたのことは大嫌いです」

「嫌いか……そうなるのも無理ないよね」

「大体、エゴを貫いておけば良かった、と言ったばかりなのに、言ってることがブレブレで意味不明ですよ?」

「私も自分がどうしたいのかよく分かってないんだろうね。何を望んでいるのか、期待しているのか。友達とあんたは違うって分かっているのに、どうしても面影を重ねてしまうし。あんたがあいつと同じ目に遭っても大してダメージがないと思っているから、無責任なこと言っちゃって、なのにトラウマを払拭できるかもなんて甘ったれて。先輩、失格だよね……」

「間違いなく、先輩失格ですね。それで、言いたいことは終わりですか? 終わりならレオ君のとこまで連れて行って下さい。あなた達には責任を取ってもらいますから」

「もちろん、良いよ。覚悟は出来た?」

「覚悟も何も。どのみち、彼をキレさせているので無傷では済みませんよ」

「了解、なら行きましょう」

「見ていてください。あなたの幼馴染を捨てたクズ男とレオ君との違いを証明してあげます。異常者カップルのあなた達に正しい恋人のあり方を教えてあげますよ」

「分かった、楽しみにしておくよ。でも一つだけ、訂正させて貰っていいかしら?」

「何?」

「別に飛鳥は私の恋人ってわけではないよ。あれは創作活動においての相方。ただの趣味仲間」

 恋愛嫌いの自分が異性と交際していると思われたくなかったのか、兎々津は苦笑いで「よく間違われるんだよね」と付け加える。



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