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「どこ行きやがったんだ、あの女」
レオは苛立ちを募らせながら、あてどなく車を走らせる。汐莉がいなくなった。アルバイトに行っている隙に、無断で出かけたらしく、未だに帰って来ない。もう何十件と電話したが、音声ガイダンスが流れるのみで一向に繋がらない。機種変更したのは先月のことなので、携帯が故障しているとは考えにくい。何か後ろめたいことがあって、電源を落としていると捉えるのが妥当な線だろう。大体、あの女には学校帰りに男とレストランに立ち寄ったという前例もある。同じ過ちを繰り返すのであれば、前より厳しく処罰して意地でも学習させてやらないといけない。夜になっても、朝になっても思い当たる場所は虱潰しに探して、連れ帰ってやる。
「畜生」
煙草を吸っても、気分は晴れない。こんなことになるのなら怪我させても、束縛を緩めるべきではなかった。束縛を最小限にしてあげようと、甘やかしたツケが回ってきている。そもそも、大げさな包帯を巻いて被害者ぶってはいるが、非があるのは言いつけを守らなかった汐莉である。別れの口実をつくるために、わざとレオをキレさせ、暴力を振るわせたとしても驚かない。今頃どこかで他の男と会っているなんてこともありうる話だ。仮にそうだとすれば、許しがたい裏切り行為となる。
浮気相手の目星は何人かついている。有力なのは見知らぬ番号で電話を掛けてきた研究室の男である。顔は分からないが、汐莉と同じゼミに所属する四年生なので、絞り込みは難しくない。一方で、元彼の可能性も消えていない。汐莉には会わないと誓わせているが、彼女は平気で嘘をつくので当てにならない。元彼だろうが、大学の先輩だろうが、彼女に手を出した男は絶対に許さない。人の女を奪おうなどいい度胸である。汐莉は必ず奪い返す。浮気相手は泣こうが喚こうが、腹の虫が収まるまでサンドバックにする。手足を潰し、あばらを砕いて、内臓をグチャグチャにしてやるのだ。
「あー、急いでんだよ。こっちはよ」
赤信号に運転の邪魔をされ、怒り任せにハンドルを殴打する。勢いで携帯が足元に転がり、仰向けになった画面には「非通知設定」との表示が出た。偶然、着信が入ったようだ。拾ってすぐ青信号に変わったので、大急ぎで近くの路肩に停車させる。
「ごめん、ごめん。運転中だったかな」
悪意の籠った嘲笑が聞こえ、思わず携帯をぶち付けそうになった。よりにもよってこのタイミングで一番話したくない相手からだ。
「……休場、飛鳥か?」
「うふふふ、ピンポンピンポンピンポーン。正解。いやー、繋がって良かったよ。ライオンきゅん。出てくれなかったら、どうしようか心配で、心配で」
「どうしててめえがこの番号を知っている?」
こいつと連絡先を交換した覚えはないし、永久にあり得ないことだ。なのに、いつの間にかレオの番号が把握されている。当然、どのようなルートで入手したのかは分からない。
「そんなに怒らないでよ。せっかく、良いことを教えてあげようと思って電話したのに。いきなりけんか腰で来られちゃ、話が進められないじゃないか」
「良いこと、だと?」
「そうそう、凄く良いこと。君の彼女に関わる重大なお知らせ」
「てめえ、まさか……」
まただ。今回もこの男が絡んでいる。昔のようにレオを陥れ、恋人を奪おうとしている。
「そう、君が大好きな汐莉たん。実はねー、今俺と一緒にいるんだ」
「んだとおぉぉおお。どういうことだぁぁぁああああ」
レオは運転席で叫びながら、地団太を踏み、ハンドルに拳を叩き付ける。興奮のあまり呼吸が乱れ、車体は微かに上下に揺れた。
「電話口で怒鳴らないでくれる? 耳が痛いよ。もしかしてもう発狂しちゃった? 早いよー。こんなのまだまだ、ほんの序の口。小手調べだっていうのにさ。地獄に招待するのはこれからだよ」
「ふざけんな、さっさと答えろ。さっさと答えろよ。さっさと、さっさと答えろ」
「さっさと、さっさと……って、オウムか何かかな? ボキャ貧にもほどがあるよ。じゃあ、端的に教えてあげる。君の大好きな汐莉たん、今日から俺の彼女になるの」
「ああ? 汐莉がてめえの女になるわけねえだろ。あいつに代われ、そこにいるんだろ?」
「ええ、やだよ。めんどくさい、不服なら直接会って話そうよ」
「どこだ? 場所を言え。早く言え」
「そうだねえ、某ショッピングセンター近辺の県内最大級の調理師専門学校で会うっていうのはどう? おなか減っちゃってさ、何か作って欲しいんだ」
「逃げんなよ」
「逃げないよ。絶対逃げないから、交通ルールを守って安全運転で来てね。君がスピード違反でお巡りさんに捕まったり、事故ったりすると面白くないから。じゃあ、一足先に待ってるよ」
レオは居場所を聞き出してすぐ、ハンドルを回して方向転換する。休場飛鳥を信用しているわけではないが、行かないと進展は望めない。あの男が何かを知っているのは、間違いないからだ。
休場は本当に目障りな男である。レオが彼女と揉めていると、どこからともなく現れて邪魔をする。死ぬ寸前まで殴ろうが蹴ろうが、懲りることはない。卒業して学内から姿を消し、安心していたのも束の間、汐莉が彼女になった途端、再び出没した。大学に籍がなくなっても尚、汐莉を奪うために舞い戻って来たのである。あの男が事態をややこしくしていったせいで、過去に付き合った女のほとんどは一ヶ月と持たず、離れていった。レオにとって休場は先輩でも何でもない。恋人との仲を裂くためだけに存在する、疫病神に他ならないのである。あの男がレオの恋愛に関わるのを止めるつもりがないのなら、最後の手段に頼るしかない。追い払っても遠ざけても、しつこく追いかけて来るなら問答無用、実力行使で排除する。存在が悪なら、その存在をなくしてしまえば良い。こんな簡単なことにもっと早く気付いておけば、長々と悩む必要はなかった。休場飛鳥が死んでしまえば、それで片が付くのである。
僅か十分ほどで調理師専門学校が見えてきた。ローカルニュースで度々、話題に上がるこの学校では、学生のいない土日祝日を活用して、料理に関する講演会やイベントが積極的に開かれている。この日も校門の傍に「講演会のご案内」と書かれた看板が立っていた。三階の会議室で行われている講演会には、全国的にも有名なシェフが招かれているらしい。
レオは看板を横目に通過し、広い駐車場に入る。休場飛鳥は正面玄関の入り口付近で待っていた。壁にもたれ掛り、堂々とイヤホンで音楽を聴いている。美少女アニメのタオルを首から掛け、歌を口ずさむ男は変質者以外の何者でもない。レオが車を停めて外に出ると憎らしい笑顔を向け、友達感覚で手を振ってきた。待っていたのは彼一人で肝心の汐莉は見当たらない。騙したのかと腹が立ったが、よくよく考えたら逆にこれは好都合なのかも知れない。彼女がいなければ、この男を殺すなど朝飯前だ。躊躇う必要はない。講演が終わり人であふれ返るまでに、殺害して死体を処分する時間は十分にある。その後、どうするかまでは考えていないが、殺人容疑で逮捕されても休場飛鳥を殺して、刑務所に入るのなら本望である。相手が怯えて逃亡を図るような人間ではないので、実行にも移しやすい。
「やあ、早かったね。お疲れ様」
休場はイヤホンを外し、悪意に満ちた含み笑いを浮かべる。レオは高ぶる感情を抑え、挨拶代わりに胸ぐらを掴みあげる。今は彼女の行方を聞き出すのが先だ。こいつの頬に拳を叩き込むのは、その後でいい。
「女はどこだ? 俺の女をどこへやった」
「残念。汐莉たんはここにはいません」
自制していたつもりだが、気が付けば一発殴っていた。小馬鹿にした物言いで舌を出され、反射的に手が出てしまったようだ。首にぶら下げてあった鍵やキーホルダーが衝撃で外れ、肩にかけてあるスポーツタオルやイヤホンが、大理石の床に散らばる。休場は「あーあー」とため息を漏らしながら、情けなくそれらを拾い始めた。オタクという生き物にとって、アニメやゲームのグッズは宝物なのである。この男も例外ではなく、いつ見てもタオルやキーホルダーを大切そうに持ち歩いている。こんな気持ちの悪いもののどこに魅力があるのか理解は出来ないが、目の前で切り刻んでやれば、余裕綽々の休場もさすがに青褪めるだろう。「やめてくれ」と泣き叫ぶ中、容赦なく踏みつけ、粉々にする。考えただけでも爽快だ。
「人の女に手を出すとはいい度胸だ。覚悟は出来てるんだろうな?」
真っ直ぐに見据え、鼻血を拭う男の襟首を掴む。殺してやろうと思っているので、加減はしない。
「ちょっと、ちょっと落ち着いて。俺には君の彼女を横取りする気なんてないから。電話で言ったのはぜーんぶ、嘘なの。びっくりさせちゃってごめん。でも、そうでもしないと来てくれなかったでしょ? だからさ、多少の方便は勘弁して、寛容な精神を持とうよ」
「あいつはどこだ? 居場所を教えろ。どうせまた、お前が絡んでいるんだろ? とぼけたらぶち殺すぞ」
「取り敢えず、説明すると長くなるからちょっと中に入ろうよ」
「ああ?」
「鍵が掛かってない教室があるんだ。本当だよ。さっき、校内を見学していたら偶然、発見したんだ。人目につかないし、監視カメラもない。そっちで話そうよ。今日は講演会で上に人がたくさん来ているんだし、こんなところで言い争っているとお互いまずいでしょ。大丈夫、みんな三階にいるから教室までは下りて来ないよ」
裏で何かを画策しているようでもあるが、確かに場所を変えた方が良さそうだ。休場飛鳥の殺害を企てるレオにとって、口論の現場を誰かに見咎められるのは避けたい。日曜日の受付は無人で、来客の出入りも殆どないが、警備室には人もいる。警戒するに越したことはないだろう。
「監視カメラがない……か。嘘じゃねえよな」
「嘘じゃないよ。そんな刑務所みたいな教室なんて、この世にないから」
「なら、早く行け、案内しろ。余計なことはするなよ」
飛鳥は敬礼してイヤホンや鍵、キーホルダーをポケットにしまい、小意気にもアニメ柄のスポーツタオルを肩に掛け直した。その行動の一つ一つに蔑みが込められているようで、無性に殺意がそそられる。
「じゃ、行こうか。ついてきて」
飛鳥に導かれ、レオは正面玄関を潜る。警備室で守衛の男と目が合ったが、レオたちをこの学校の生徒であると認識したのか呼び止められることはなかった。エントランスの中央部にある大きな階段を素通りし、一直線に廊下を進む。全てが休場の思惑通りになっているようで不愉快だが、もう少しの辛抱である。
「もたもたするな。早く歩けっつってんだよ」
みっともなく伸びた飛鳥の襟足を掴み、前後に強請る。
「痛い、痛いよぉ。レオ君。止めてよぉ」
汐莉の真似をしているのだろう、涙を拭き取る大げさな仕草を見ていると吐き気がする。こいつは徹底的に追い込んで、潰す。病院送りでは済ませない。
「気持ち悪い声、出してんじゃねえよ」
背骨に膝を打ち付けると、男は頭部をグラつかせ、無様に倒れた。骨髄に当たって痛かったのか、手すりを頼りながら重く鈍い動きで立ち上がる。
「分かったから、暴力振るわないでよ」
休場はぎっくり腰の老人のように腰を支え、バランスを取りつつ緩慢に案内を再開する。一階は主に調理ホールやパン工房、試食室など、座学ではなく、ほとんどが実習で使われている教室のようだ。シチューを煮込んだような匂いが、どこからともなく漂ってくる。それに反応してか、レオの胃袋が鳴った。昼食を早めに摂っていたこともあり、この時間から空腹感が巡る。今夜は久しぶりに汐莉を高級なレストランに連れて行ってあげようと考えていたのに、休場飛鳥に貴重な一日を狂わされて、憎たらしいことこの上ない。
「この教室だよ、入って、入って」
休場は『調理ホールC』というプレートの下がった一際、大きな実習室の前で立ち止まった。ホールには、調理台やホワイトボード、試食テーブルなどがある。配置と規模が異なるだけで、高校時代に利用していた家庭科の実習室に良く似ている。ケーキでも作っていたのかホール全体には甘い香りが漂っていた。ここは飛鳥を屠るにも最適な場所である。誰かに見られる心配がなく、防犯カメラのような機器も見当たらない。窓際のテーブルに敷かれた布巾の上には、艶めかしく輝く包丁が、大小ずらりと羅列している。休場は外部の干渉が入らないようにと、引き戸を閉め、我が物顔で試食テーブルに備え付けられている丸椅子に腰を下ろした。自分で死に場所を用意するとは間抜けな男である。
「まあ、座りなよ」
休場が椅子を取って勧めてきたが、言いなりになるつもりはなかったので、無視する。
「あーあ、つまんない」
生意気な男はため息をつくと、ポケットからティッシュを取り出し、ゆっくりと鼻に差し込んだ。舐められてものだ。
「質問の続きだ。女をどこにやった? 答え次第じゃ、お前、分かってるだろうな?」
「分かってるも、何も、俺は君の助けになりたいんだよ?」
「まだ、そんなこと言ってんのか」
レオは飛鳥の髪を鷲掴みにする。椅子が倒れ、男は情けなく尻餅をついた。
「おっと、殴るのは勘弁して。暴力反対、さっき貰った一発がかなり効いているんだ。とにかく、話を聞こうよ、俺を殴りたければその後でも良いでしょう?」
休場にはごっこ遊びと同じ感覚なのだろうか。両手を上げて降参のポーズを取っているが、乾いた笑顔だけはふてぶてしく残っている。
「だったら早く言え、ふざけたこと抜かすとぶっ殺すぞ」
「君は彼女と連絡が取れなくなっているんだよね?」
「そうだよ、繋がらねえんだ。俺から着信が来ないように設定しているのか、電源を切ってるのか知らねえが」
「それねえ、多分、電源を切っているわけじゃないよ。彼女の携帯に電波が届かなくなっているだけ」
「あ? どういう意味だ?」
休場は丸椅子を元に戻し、ズボンの汚れを払いのける。
「さて、問題です。携帯電話をアルミニウムですっぽり覆ってやるとどうなるでしょうか?」
「おちょくってんのか、この野郎」
なぞなぞ形式で質問する不真面目さに苛立ち、のど輪締めを入れて罵倒する。行方不明の彼女が心配でならないのに、この男は敢えて人の神経を逆なでする言動を選び、心を弄んでいるのだ。膝をつき、大げさにえづく休場を見下ろしながら、殺意の波が増幅していく。何が起こっているのか、汐莉がどこにいるのか、全て聞き出したらこの男はもはや用済みである。包丁で滅多刺しにして肉の感触を楽しんでやろう。




