氷解
お市一行が淡路から土佐に向かっている頃、安土の天守に三人の男がいた。
「上様、お言いつけ通りに、文を全国に配布致しました」
男は信長にそう伝える。
「市の首輪には心許ないが・・・十兵衛、手間をかけたな」
信長は十兵衛を見て労いの言葉をかける。
「上様、あのような役職は危険では無いのですか。上様の立場が危うくなるのでは・・・」
男が信長に話す。
「官兵衛の言う様に、確かに危険な役職だ」
外を眺めながら信長は呟く。
「ならば何故、あのような役職をお与えになったのです!今ならばまだ間に合いまする!撤回の指示を!」
官兵衛は信長に詰め寄る。
「・・・・・・」
信長は答えない。
「何故、お答え頂けぬのですか・・・」
官兵衛は信長を直視した。
「官兵衛、お主程の者が分からぬのか?」
十兵衛が官兵衛に語りかける。
「明智殿はお分かりになるのか!」
官兵衛は悔しそうな顔をして十兵衛に詰め寄る。
「お市様だからだ」
十兵衛は官兵衛に微笑みながら話す。
「なっ!答えになっておらぬ!」
官兵衛は十兵衛に叫んだ。
「お主、お市様を知らんな・・・」
十兵衛は官兵衛を冷たく睨み、冷たくあしらう様に話す。
「・・・・・・」
官兵衛はその視線と言葉に恐怖を抱き、沈黙してしまう。
「織田家の天下、上様だけの力だと思っておるのか。上様とお市様で作った天下ぞ。それを誰よりも分かっておるのは上様じゃ!お市様に邪念は無い。上様が死ねと言えば、死ぬお方ぞ!お市様が上様を討って天下を治めるのならば、上様はそれでも良いと思っておる!固い絆がある事をお主は分からんのか!」
十兵衛は官兵衛に怒鳴りつけるように叫ぶ。
「よい、十兵衛。官兵衛は我を思うての諫言じゃ・・・許してやれ」
信長は恥ずかしそうな顔をして、十兵衛に話しかける。
「申し訳御座いませぬ、出すぎた真似を致しました」
そう言って頭を下げる十兵衛。
「十兵衛の言う通り、我は市になら、この首やれるわ」
信長は微笑みながら話す。
「なっ!」
官兵衛は絶句する。
「市は我で有り、我もまた市なり」
天守から外に出る信長
「「・・・・・・」」
二人は信長の言葉を静かに聞く
「宰相とは市一代限りよ。それにあやつを無役、無官にしておく方が危ういわ」
信長はそう言って笑った。
「上様のお心を見抜けず、申し訳御座いませんでした」
官兵衛は頭を下げて、体を震わせながら謝罪する。
「官兵衛、小さく考えるな。目先にとらわれず、大きな視野を持て。お主の言は市にとって、これ幸いと思う事ぞ。奴の先を読めねば、弄ばれるだけだぞ・・・はっはっはっ」
信長は笑いながら空を見上げていた。
それから暫く時が流れて・・・
土佐、岡豊城の一室で久武親直は近習の者から報告を聞いていた
「何、取り逃がしただと!探せ、必ず探し出せ!生死は問わぬ。急げ!」
「はっ!」
親直は近習の男にそう命じると下がらせる。
「くっ・・・」
親直は顔を歪め、下唇をかみ締め考え込む。
城下にいた阿波から来たと言う、織田の民は間違いなく、間者であろう。
今、色々と探られると面倒なことになる。
元親は軟禁場所から動いてはおらぬ。
接触されても、千雄丸がこちらにいる限り、元親は動かん。
早く土佐を我の思うがままにせねば、あの方の計画に参加すら出来ぬ。
土佐を治めれば、四国は我の物となる。
失敗は許されぬ。
少し早いが動くか・・・
「誰かある!」
近習の男が親直の前に来る。
「何か御用でも?」
近習の男が問いかける。
「皆を呼べ!評議をおこなう」
「はっ!」
近習の男が皆に伝えに行く姿を見ながら、親直は静かに微笑んでいた。
俺は元親達と策を練り、計画を実行に移していた
「蝙蝠は軟禁場所に戻りなさい」
「御意!」
「鳶、千雄丸を攫って来て」
「御意」
「百地、毛利元就にこの文を渡して」
「御意」
「藤林、松永久通にこの文を渡して」
「御意」
「忠澄は城から呼び出しがあったら教えて」
「御意」
「蜂、川並衆を城下に集めといて」
「御意」
「久爺、茶でも飲んでましょうか」
「御意」
俺は久爺、梵天丸と共に茶室に入る
「後は時間との勝負ですな」
久爺は茶を点てながら話す。
「そうね、でもちょっと気になるのよね・・・」
俺は首を傾げながら話す。
「姫には懸念があるのですかな?」
久爺が手を止めて話しかける。
「親直だけの考えで、動いてるとは思えないのよ」
俺は顎に手をやり考える。
「背後に唆した者がいると思っておられるのか?」
久爺が俺を見る。
「土佐を手に入れたとしても、すぐに織田に露見されて、消される事が分からないとは思えない。露見されても織田と対抗できる確証が無ければ、こんな計画実行出来ない」
俺は思案する。
「今の織田家に歯向かう者など、日の本にはおりませぬぞ?」
久爺の言葉を聞いて、俺は最悪のシナリオを思いついてしまう。
「そうか・・・わかったわ」
まだそんな考えを持つ奴がいたとはね。
俺は冷淡な顔をして茶を飲んでいた。